涼宮ハルヒの感染 2.レトロウイルス
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 それはわかってたさ。倒れた状況、長門の態度、どれを取っても普通じゃない。おおかた長門の話を聞いた古泉が、先に病院に連絡をしていたのだろう。
「だろうな。とりあえず何が緊急事態なのか教えてくれ」
 長門はまっすぐに俺を見据えた。その表情はわずかに暗い気がする。
「涼宮ハルヒの精神が、浸食されつつある」
 浸食? 何かがハルヒに入り込んでいるってことか?
「そう」
 それは何だ? そう聞く俺に、長門は表情を変えずに答えた。
「珪素構造生命体共生型情報生命素子」
 またその長ったらしい名前か。久しぶりに聞いたよ。未だに全部覚えられないけどな。
 あれだな。1年生が終わるってころに阪中が持ち込んだ事件。阪中の、あの哲学者と同じ名前を持つ何とも愛らしい犬に憑依した存在。あれと同じか。ウイルス、と定義してたな。
「そう」
「ハルヒも陽猫病にかかったってことか??」
 俺はシャミセンの頭に宿っているはずの何かを想像しながら言った。確か、消し去ることは許可されなかったからそんなことになったんだったな。だったら、ハルヒもどっかに圧縮保存しておけば治るんじゃないのか?
 少し希望が見えた気がした。
「今回はルソー氏と少し状況が違うようです」
 笑顔の消えた古泉が口を出した。
 お前には聞いてない、と言いたいところだが、長門が説明するより簡単な言葉で話してくれそうだ。ここは大人しく聞いておくことにする。
「情報生命素子は、どんな珪素構造体にも寄生できるわけではないそうです。どんなハードウェアにでもインストール出来るOSがないようなものですね」
 わかったようなわからないような。それが何の関係がある?
「普通の情報生命素子は、宿主を選択して自分が寄生出来る構造体を選びます。しかし、今回の情報生命素子は宿主の構造を探索して自分を変化させる能力を有していた。そうですね、長門さん」
「そう」
 長門がわずかにうなずく。
「大気圏突入により珪素構造体は自身の大部分を失った。情報生命素子は新しい宿主が必要」
 長門が後を続ける。
「情報生命素子は涼宮ハルヒの脳神経回路を始めとするネットワークを探索中」
 探索? SOS団が週末に行っているあれ──なわけないな。
「涼宮さんの精神は、探索をかけられることによって過負荷がかかっている状態です。それで他の機能──と言うべき部分に反応出来ない。それが意識不明という結果です。本能的かどうか、生命維持の部分は動いているようですが……。パソコンで一度にスペック以上の大量処理をさせたときと同じ状態、と言えますね」
 相変わらずお前の例えはよくわからん。
「探索中に消去を実行した場合、涼宮ハルヒに及ぼす影響は未知数」
「そこでいきなり負荷を除いたらまずいってことか?」
「未知数。避けるべき」
「今回、お前のパトロンは消去には賛成なのか」
 長門は軽くうなずいた。
「涼宮ハルヒの観察に支障を来す」
 その探索とやらが終わったらハルヒは目覚めるのか?
「探索が終わると更新を開始する」
「更新?」
「涼宮ハルヒの精神が、情報生命素子に書き換えられる」
 ──つまり

「目が覚めたとき、彼女は涼宮ハルヒではなくなる」

 頭を殴られたような衝撃を受けた。
 なんてこったい。ハルヒがハルヒでなくなる?
 バカな。冗談だろ?
 あのハルヒが別物になっちまうなんて考えられるか。
『神聖にして不可侵な象徴たる存在、それがSOS団の団長』
 そう言っていただろ? ハルヒ。

「大丈夫ですか?」
 気がつくと手を握りしめていた。暑くもないのに全身汗をかいている。
「そちらに座ってください。今にも倒れそうですよ」
 古泉が指した椅子に素直に腰掛けた。頭がくらくらする。異常にのどが渇いていることに気がつくと、古泉がコーヒーを差し出した。
「とりあえず飲んで落ち着いてください」
 これが落ち着いていられるか?
「すみません」
 古泉はあっさり引き下がった。俺も素直にコーヒーを飲むことにした。

「そう言えば朝比奈さんは?」
 タクシーに同乗していたはずの彼女が見あたらない。
「涼宮さんのご両親に事情を話して貰っています。女性からの方がいいと判断しましたので」
 確かに、こんな訳のわからない状態で男が一緒だと、何か疑われかねない。
「まさか本当のことを言うわけにはいかんだろうが」
「大丈夫です。彼女は頭を打って意識不明ということにしています」
 俺たち全員がその場にいたこと、学校の階段から転がり落ちたことにする、と説明を受けた。あのときの俺と同じか。しかし何でわざわざ全員いたことにしたんだ?
「貴方と2人きりだと、何か疑われるかもしれません」
 本当に抜かりがないな。だが詳細にこだわるとボロがでるぞ。

 コーヒーの効果はあったようだ。冷静にこんな会話が出来るほどにはな。

「すまん、古泉。ありがとう」
 ここは素直に礼を言った。古泉は驚いた顔をしたが、今日始めてニヤケ面に戻った。
「貴方に素直にお礼を言われるとは」
 しかし、直ぐに真顔に戻った。
「長門さん、聞きそびれていたのですが、情報生命素子を消去出来るタイミングはあるのですか」
「今は無理。探索が終了し、更新を開始する直前のみ」
「チャンスは1回ってことですか……」
「更新が開始されると涼宮ハルヒの一部となり、消去とともに涼宮ハルヒの情報も消去される」
 それは大問題だろ。
「わたしは涼宮ハルヒにつきそう。探索は1週間程度かかるとみられるが、正確に判断はできない」
 そうか。また長門に負担をかけちまうな。
「問題ない。SOS団の保全が私の使命」

 俺は少し驚いた。以前は俺とハルヒの保全が使命だと言った。今はSOS団の保全と言い切った。それだけ、長門にとってSOS団が大切になっているということか。
「長門、すまん、頼む」
 今はただありがたい。

「僕たちは学校に戻りましょう」
 古泉に促されるが、俺はハルヒについていてやりたい。
「長門さんもおられますし、もうすぐ涼宮さんのお母様も見えますから」
 俺は眠っているようなハルヒを見た。精神に負荷がかかっている状態のはずだが、苦しそうには見えない。
 そういう表情を表に出す余裕もないということか。

 ハルヒ、必ず助けるからな。
 心の中でそうつぶやくと、俺たちは病室を後にした。


「キョンくん、古泉くん!」
 病院の入り口で朝比奈さんに会った。知らない人を連れているが、ハルヒに似ている。
「こ、こちら涼宮さんのお母さんです」
 朝比奈さんが紹介してくれた。
「はじめまして、古泉です」
 古泉が頭を下げる。俺も倣って、はじめましてと言って頭を下げた。
「涼宮さんはどうですか」
 不安げな顔で朝比奈さんが聞いてきた。
「まだ意識不明です。長門さんがついています」
「そうですか……」
 暗い顔でうつむいてしまった。そんな顔は似合いませんよ、と言いたいがそんな場合ではない。
「すみません、俺のせいです」
 ハルヒの母親にむかって、俺は頭を下げた。
「え? でも、これは事故でしょう。頭を上げて」
 朝比奈さんから嘘の説明を受けているハルヒ母は、そう言ってくれた。

 しかし、俺は責任を感じずにはいられない。今回の事件、俺は最初からハルヒ的変態パワーを疑っていた。そうじゃなくても、何が起こるかわからない、とわかっていたはずだ。
 それにもかかわらず、俺はハルヒがあの隕石に触れるのを止めなかった。
 UFOとかそんな物じゃなかったということで気を抜いた。
 あのとき止めていれば。せめて長門を呼んでいれば。俺は今までの経験をまるで役に立てることができなかったじゃないか。
 それが悔やまれる。

「失礼します」
 俺は言って、その場を去った。
 これ以上いると、こみ上げてくるものがこらえきれなくなりそうだった。

「僕はこれで失礼させて頂きますよ。バイトが入りましたので」
 バイト、を強調して古泉が言った。
「閉鎖空間が? こんな状況でか?」
「こんな状況だからですよ」
 古泉が深刻な顔をしていった。今日は、いつものニヤケ面をほとんどしていない。さっきコーヒーの礼を言った一瞬だけだった。こいつに取ってもそれだけ緊急事態なんだろう。
「今回は普通では考えられない程の負荷が涼宮さんにかかっている訳ですから」
 なるほど、確かにそうだ。ただ、閉鎖空間を作れるほどの余裕が、むしろないと思っていた。
「それは僕にもわかりません。が、現に今閉鎖空間は発生している。正直に言いましょう。 既に涼宮さんが倒れてから3回、閉鎖空間が発生しています。 規模も今までにない規模です。何度神人を倒しても、また発生する。こんな事態は初めてです」
「お前らは大丈夫なのか」
「おそらく、涼宮さんに寄生する素子が除去されるまではこの状態でしょう。僕も学校には行けないと思います。休憩などの調整も含めて、機関で我々のスケジュールが埋まっていますから。」
 我々、と言ったのは、超能力者たちのことか。ご苦労なこったな。
「ええ、しかし後手に回るしかできません。僕が一番恐れているのは、情報生命素子が涼宮さんの持つ能力に気付くことです。おそらく情報統合思念体もそれを恐れているでしょう。もう気付いているかもしれない」
 そうするとどうなるんだ?
「わかりません。情報生命素子がそれをどう考えるかは長門さんにも解らないそうです。いずれにしても、影響は『更新』が行われた後でしょう」
 すべてが未知数か。確かに後手にしか回れないな。
「今は僕にできることをするまでですよ。それでは」
 古泉は片手をあげて去っていった。

 できることをするまで。そんなことは解っている。でもな。
 俺にできることって何だ?
 そこまで考えて、俺は部室においた鞄に財布を入れっぱなしなことを思い出した。くそ、学校まで歩かなきゃならんのか。そう思ったが、見覚えのありすぎる黒塗りのタクシーが俺を迎えてくれた。

──────────

 俺が自分の無力さに半ば打ちひしがれたような気分で学校に戻ると、2時間目が終わる頃だった。そのまま部室に鞄を取りに行く。ハルヒが持っていたはずの鍵を長門が渡してくれていたので、それで部室の鍵を開ける。
 俺の鞄と、ハルヒの鞄がそのままおいてあった。ああ、これを届けなくちゃな。そんなことしかできないのか。
「……っ」
 思わず涙がこみ上げてくる。朝はあんなに元気だったのに。
 隕石の落下を目撃して、UFOと決めつけてはしゃいでいた。何ともハルヒらしい。

「ハルヒ……っ」
 やばい、今は泣いている場合じゃないんだ。
 ──泣いてんじゃないわよ、バカ!!──
 ハルヒが見たらそう言われそうだ。いっそ怒鳴りつけられたいね。元気なハルヒに会いたい。
 ふと、以前の失われた3日間を思い出した。長門によって改変された世界。あのときも必死になってハルヒを捜したな。あのときと違って、ハルヒは病院にいる。
 それは解っているのだが、長門の言葉が胸に突き刺さったままだ。
『目が覚めたとき、彼女は涼宮ハルヒではなくなる』
 これじゃあの3日間よりタチが悪い。あのとき、見つけたハルヒは変態パワーこそ失っていたが、あくまでも涼宮ハルヒだったじゃないか。
「畜生……」
 授業を終えるチャイムがなり、俺は無力感を引きずったまま部室を後にした。

 ふらふらと教室に入ると、谷口と国木田が話しかけてきた。
「キョン、朝は大変だったみたいだね」
「涼宮が怪我するとはな。大丈夫なのか?」
 この2人なりに心配してくれているらしい。
「まだ意識は戻らんが、怪我はないらしい」
 そう言っておいた。本当のことも言えるわけないし、要らん心配もかけたくない。
「そうか、お前も元気出せよ」
 そう言って自分たちの席に戻っていった。俺はそんなに顔に出ていたのか。

 思わず苦笑した。