2度目の悪夢 その2
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    おまけ

 2日目、なんとなく疲れが残っているような感覚のまま俺たちはキャンプ場を後にした。今日は一度登ってしまえば尾根づたいに歩ける行程なので、考えようによっては昨日より楽だ。ただし距離は昨日の倍あるんだがな。
「そろそろ山も深くなってきたし、何か出てきてもいいころよねえ」
 ハルヒは山歩きに飽きたのかそんなことを言い出した。頼むから願ってくれるな。お前が言い出すと本当に何か出てきかねないだろ。

 俺がツチノコを発見しても兎を丸飲みした蛇だと主張しようと心に決めていたときだった。
「あれ見て! 何かしら!?」
 だから兎を呑んだ蛇だろ、ツチノコなんかいるわけない、お前の見間違いだ勘違いだ、古泉も長門も朝比奈さんもそう言うに決まってる、な、そうだろ?
「あんた何言ってんの、ツチノコなんかいないわよ。それよりあれ見えないの? 何かしら?」
「なんでしょうね」
 俺より先に古泉が応じたが、その古泉も首を傾げている。
「なんか綺麗ですねぇ」
 朝比奈さんは大きな目をくりくりさせてそれを見ていて、
「……」
 長門はやはり無言である。しかしその長門は俺と目が合うと微かにうなずいた。
 そこで俺はようやく長門の忠告を意識の表層に引っ張り出してきたのである。遅い。どう考えても遅かった。俺はもっと回りを意識して、ハルヒより先に発見しつつハルヒに見つからないようにするべきだったのだ。
 て、そんなこと無理!

 ハルヒが発見したもの、いや、ものとは言えないな。俺たちの歩いている山道から緩やかな傾斜が続き、雑木が立ち並んでいる向こうに、“何か”が揺らめいていた。それはものと言うよりは単なる光のようであり、光は揺らぐたびにその色合いを少しずつ変えていた。朝比奈さんの言うとおり綺麗と言えば綺麗だが、こんな山の中にまるでスクリーンセーバーのような光が発生していること自体がおかしい。
 おかしいと思っているのは俺だけではなく当然ハルヒもで、そのハルヒがこう言い出さないわけがない。
「調べに行くわよ!」
「ちょっと待て!」
「なんで止めるのよ!」
 アホか。こんな山の中に明らかに人工的な光を放ってるなんておかしいだろ。何か危険物だったらどうする。
「それにしたってもっと近くでみたいじゃない。ちょっと近くで見るくらいいいでしょ」
 よくねーよ。アレは常人に理解できる何かではないはずだ、とは言えない。
「やめておいた方がいい」
 それまで沈黙を守っていた長門が言った。アレが何か分かっているはずの長門が言うんだ、近づかない方がいいに決まっている。
「何よ、有希まで」
 ハルヒは普段大人しいはずの長門が反論したことに少しムッとしているらしい。
「そうですね、何か分からないものにむやみに近づくのは、危険の種類すら分からない以上控えた方がよろしいかと」
 驚いたことにハルヒには絶対服従イエスマンと思える古泉までが反対した。と大袈裟に言ってみたが、古泉はこの場合ハルヒの機嫌よりも安全を優先するのが当然だから一驚を喫するに値しない。が、ハルヒはそう思わなかったらしく、普段反対意見を言わない古泉までが逆らったことでますます不機嫌な顔をしている。
「え、えと、危ないですよぉ~」
 恐る恐る、朝比奈さんまでそう言った。て、朝比奈さんは事情を知らないはずなんだが、ってそうか、長門や古泉までが反対するのに何かないわけがないってことくらいは解るよな。
 めずらしくSOS団全員が団長に逆らったわけだ。こんなことはSOS団結成以来初めてであり、今後も多分ない……と思う。だいたいこの反対の理由はハルヒが危険に晒される恐れがあるということであって、ハルヒを思ってのことである。しかしそれをハルヒに言えない。なんたるジレンマ。
 そして、そのハルヒはつむじが曲がっているどころかマンデルブロー集合を描いているくらい天の邪鬼の意地っ張りときたもんだ。こいつに全員で反対するのは間違いだったかもしれない。いや、反対しようが賛成しようがこいつは思ったとおりの行動をする奴だから無駄か。
「うるさいわね! あたしが行くと言ったら行くの!」
 ハルヒは傲然と胸を張ってそう宣言すると、踵を返して斜面を半分滑るように降り始めた。
「おい、ちょっと待て!」
 慌てて追いかけようとして、ふと長門を見る。頼ってばかりなのは情けないが、やはり何とかしてくれるんじゃないかと期待してしまったのだが、その長門は何故か雷にでも打たれたように微動だにしない。
 何かおかしい──? と考えるまもなくハルヒはずんずん降りていき、俺は慌てて後を追った。
「だだだ大丈夫ですかあ?」
「気をつけてください」
 朝比奈さんと古泉の言葉を背に受けつつ何とかハルヒに追いついたときには、既に謎の発光体の目の前であった。

 現物を見たことのない人に、既存の概念では説明しきれないものを言葉だけで伝えるというのは困難であるが、さてこの目の前の光景をどう説明すればいいだろう。実際にオーロラを見たことがあるわけではないが、それに近いと言うべきか。揺らめく光は刻々と色を変え、思わず見入ってしまう。
「なにこれ」
 俺に聞くな。長門はなんといっていたっけ? 亜空間次元断層。それがなんなのかまったく理解出来ないが、異世界への扉か何かという可能性もある。とにかく近づかない方がいいな。
 ハルヒも何か怪しいものを感じているのか、間近に来ても触ろうとはしない。確かに勘のいい奴だからな。本能で危険を察知できるとしても俺は驚かん。
 等と考えていると、上から古泉の緊迫した声が聞こえてきた。
「長門さん! 長門さん、どうしたんですか!」
 長門? 俺とハルヒは同時に振り返った。
 登山道に残っている3人は先ほどと変わりないように見える。長門はこちらを見て立っており、何か異常があったようには見受けられないが……
「長門さん! 返事してください!」
「な、長門さぁん……」
 いくら長門が普段無口で反応が薄いとはいえ、ここまで名前を呼ばれて無反応ということはない。返事がないまでも、呼ばれた方に少し首を向けるくらいはするはずだ。
「有希!? どうしたのよ!」
 ハルヒも訝しく思ったのだろう、今降りてきた斜面を引き返そうとして、
「きゃっ!?」
 足を滑らして仰向けにひっくり返ってきた。ハルヒの後に続こうとしていた俺は予想外の出来事に対応できない。
 ああ、そうだ、俺が悪いんだ。このとき俺がハルヒをしっかり支えてやれば、あんな苦労はしなくて済んだのだから。

 倒れてきたハルヒを支えようとしてあえなく失敗、俺はハルヒと共に後ろ向きに頭からあの謎の光へ突っ込んじまったんだから。


「痛え……」
「ちょっとキョン、しっかり支えなさいよ!」
 無茶言うな。これが平地で、何の荷物も持っていなければ何とか支えることが出来たかもしれないが、斜面を登ろうとしていたうえに背中に数kg余計な荷物を抱えているわけで、後ろ向きに働く力は普段より大きかったってことだ。
「そんな言い訳……って、あれ?」
 ハルヒは先ほど古泉たちがいた登山道のあたりを見ている。そしてどうやら気づいたらしい。俺は最初から気がついていた。
 3人がいない。
 周りの景色はさっきまでと変わらない。斜面や木々の様子をいちいち覚えちゃいないが、大きく変わった感じは確かにない。
「古泉くん! 有希! みくるちゃん!」
 ハルヒが呼びかけるが、返事はない。
 返事どころか人の気配もないような気がする。そう言えば、鳥のさえずりさえ聞こえてこない。なんとなく不気味だ。
「……みんなどこ行ったのよ……」
 ハルヒらしからぬか細い声。そりゃこの状況で不安になるなという方が無理だ。
 俺は俺であたりを見回してみた。先ほど揺らいでいた光は見あたらない。あれは結局何だったのか分からないが、長門の言葉を考えると一種の扉だったんだろう。ここは異世界なのか、それともただ単に地球上の別の場所なのか、はたまた別の惑星なのか、あるいは実は同じ場所で遥か過去あるいは未来に来てしまったのか。俺にはまったく判断がつかない。どう考えても元と同じ場所にしか見えないがな。
 こういうときはむやみやたらと動かない方がいい。あの謎の光は一方通行のワープ装置だったようだが、もし助けが来るならこの近くに出てくるんじゃないかと思う。だとすると、俺たちが移動しちまったら後がややこしくなるだろ。
「みんな先に行っちゃったのかしら。団長を置いて行くなんて懲罰ものだわ!」
 あいつらがお前や俺をおいていくわけがない。文字通り消えちまったのだろう。いや、おそらく消えたのは俺たちだ。
「そう言えば、さっきの光は何? 消えちゃったわね」
「わからん」
 正直に答えてから、一応携帯を取りだしてみた。圏外。予想通りすぎる。
「圏外なの? 山の中だから仕方ないのかしらね。とにかく、みんなを追いかけましょう!」
 いや、みんなが探しに来るのを待った方がいいんじゃないのか?
「だって、あたしたちがここにいるのが分かってるのに先に行っちゃったのよ? 有希の様子がおかしかったみたいだし、何かあったのかもしれないじゃない」
 そうだった。俺がハルヒを追う直前にも感じた。
 古泉と朝比奈さんが呼びかけても微動だにしなかった長門。
 もしかして、助けになんか来れない状況なのか?
「ほら、さっさと行くわよ!」
 この状況をハルヒに知られてもいいのか、それともやはり隠さなければならないのか、考えるまもなくハルヒは俺の手首を掴んで斜面を登り始めた。
「おい、かえって危ないから離せ」
 それだけ言って後に付いていくしか出来ない。
 それより、あの一瞬で3人が声も届かないところまで行ってしまったことに疑問を持たないのかね。聞いて余計な藪をつついて蛇だかツチノコだかと戯れる趣味はないので、そこは黙っておいた。


 そして、事件は唐突に起こる。
 登山道はやはり俺たちがもともといた場所と同じようになっているらしく、地図さえあればまず迷うこともない。だが、人の気配がまったくない。もしかしたら一番最初に到達する山頂付近も、展望台やロープウェーの駅もなくなっているんじゃないかと不安がよぎる。
 しかし結局俺はそれを確認することも出来なかった。

 最初は猪か何かと思った。
 とにかく3人と連絡が取れるところまでは行こうと言い出したハルヒについて歩いていると、山の上側の雑木林で何かが動く気配がした。
 今までやけに生き物の気配がしなかったせいで、逆にやたら目立った“そいつ”と、俺は目があっちまった。
 くそ、よく考えたらこれも俺のせいなのかもしれない。いや、違うよな、多分。

 “そいつ”は俺に気がつくと、それまでの進路を変えて俺たちの方に向かってきた。来なくていい。畜生、何なんだいったい。


 そして────冒頭に戻るわけだ。