3度目の正直
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    おまけ

 放課後、授業から解放されるのは学生ばかりではないことを証明するかのように弛んだ空気が流れる職員室から出て、俺は安堵の溜息を吐いた。我ながら気が小さいが、一応良くないことをしている自覚はあるのだからやむを得まい。
 手にしたのは屋上の鍵。許可がないと持ち出せないはずだが、鍵置きに教師が張り付いているわけでもなく、学生も頻繁にどこかの鍵を取ったり戻したりしているわけだから、特に見とがめられることはなかった。
 こう書くとハルヒに命令されたのかと思われるかもしれないが、そうではない。ハルヒはいつも通り、授業が終わるやいなや教室を飛び出し部室へと走っていってしまった。当然、遅れて俺も来ると思っていることだろう。俺も行くつもりがないわけではない。
 ただ、ゴールデンウイークが明けてからこっち、どうも閉塞的な気分が続いている。部室に行く前に、なんとなく気分転換がしたくなった。開放感が感じられそうなところで伸びでもすれば気持ちも切り替えられるかな、と選んだ場所が屋上なのは我ながら安直ではある。

 いつかハルヒに引っ張られてきた場所からドアの鍵を開け、屋上へと出た。
 五月の空はあっけらかんと晴れていて、まるで誰かのよう────
「……ってまたかよ」
 そこまで考えて苦笑した。また俺は無意識にあいつのことばかり考えている。どんなことでもいつの間にかあいつと重ねて見ている自分に戸惑いつつも納得もしている。

 ゴールデンウィークのあの事件以来、俺は自分の気持ちをはっきりと自覚しているわけだし、一度自覚してしまえば簡単に消し去るなんてできっこない。
 あの瞬間、俺はハルヒと気持ちが通じた、と思った。今はその自信はまったくない。あの後のハルヒはまったくいつも通りで、俺に対する態度も以前と何も変化はなかった。やっぱり俺の勘違いだったのか。あの時俺は化け物に食い殺されそうになっていたわけで、ハルヒの態度はそのショックや俺が助かったという安堵感から来たものかもしれない、今はそう思ってしまう。
 ハルヒは以前と同じ関係を望んでいるのか? だとしたら、俺のこの気持ちは表に出すわけにはいかない。
 だが、ハルヒは同じクラスで、しかも相変わらず座席は俺の真後ろ、放課後はSOS団で顔を合わせているわけで、俺も正直いつまで隠していられるか自信がなくなってきた。授業中でも放課後でも常にハルヒを意識しているし、それがなんとなくハルヒへの態度をぎこちなくさせてしまっている。
「まったく、何をやっているんだ、俺は」
 溜息混じりに呟くと、またむかつくくらいに晴れている空を見上げた。やっぱりこんな青空は、あいつの笑顔と重なる。
 そうやってあいつのことばかり考えているからか。
『ちょっとキョン! こんなところで何やってんのよ!』
 幻聴まで聞こえるとは重症だな。
「なーにが幻聴よ! あんたこんなところでサボってるなんて罰金ものよ!」
「ハルヒ?」
 どうやら幻聴じゃなかったようだ。ボーッと突っ立っている俺の前に、腰に手を当て胸を張って俺を睨み付けているハルヒが立っていた。
 幻覚じゃないよな?
「バカ言ってるんじゃないの! ボケるには早すぎるわよ!」
「いや、すまん」
 思わず謝ってからようやく現実に戻った。あれ、何でハルヒは俺がここにいるって知ってるんだ?
「あんたなかなか来ないから窓の外見てたら、屋上でボーッとしてる間抜け面が見えたから迎えに来てあげたのよ。感謝しなさい!」
 そりゃ団長自らご苦労なこった。
 そうか、確かにこの場所は部室棟から丸見えだな。逆に、いつもは見上げている文芸部室が見下ろす位置に見える。どうやら長門は定位置で読書しているようだが、朝比奈さんと古泉の姿はよく見えなかった。

「で、何でこんなところでサボってたのよ」
 訊かれないわけはないと思っていたが、やっぱり訊くのか。本当のことは……やっぱり言えない。あいにくそんな勇気は持ち合わせていない。
「いや、なんとなく外の空気を吸いたくなってだな。すぐ部室に行くつもりだったんだよ」
「なんとなくって、何かあったの?」
 俺の方に一歩踏み込んで顔を覗き込んでくる。顔が近い。
「ちょっと、何で顔を背けるのよ!」
 だから顔が近いんだよ、お前は!
「別に何でもねえよ! 天気がいいから屋上が気持ちいいと思っただけだ」
 ふうん、とハルヒは思案げな顔をしていたが、やがて何かを思いついたときの笑顔に変わった。
「じゃ、あんた今屋上の鍵持ってるのね」
「ああ、勝手に持ち出してきたからな」
「あんたにしちゃでかしたわ! その鍵はこれからSOS団の備品にするから! そうしたらいつでも屋上に出られるじゃない!」
 相変わらず無茶苦茶言いやがる。持ち出したの俺だってばれたら厄介だし、第一頻繁に出入りしてりゃすぐばれるに決まってる。
 そうやって反論するのは俺の役目のはずだ。屋上の鍵なんざいつでも取ってこれるんだからわざわざ専用にする必要もないだろ。また思いつきで物言ってるんじゃねえよ、お前は。
 そう言わなきゃならん、って思っても言葉が出てこない。ハルヒは自分の思いつきにご満悦で、嬉しそうに笑っている。俺は言葉が出ない代わりのようにその顔から目が離せない。
 目の前にあるハルヒの100Wの笑顔は完全に俺をノックアウトした。心臓はばくばくいってやがるし、顔が熱くなっている。
 こりゃばれてるよな。
「キョン? 顔赤いわよ。結構日差し強いから気の早い熱射病にでも────」
 くそ、今すぐ抱きしめてえ。
 が、ヘタレな俺がそんな行動に出られるわけもなく、代わりに俺は背中をフェンスに預けるとずるずると座り込んだ。
「ちょっと、キョン、大丈夫? やっぱり熱射病になったんじゃないの?」
 いや、熱射病ではないんだが、ある意味病気にはなってるな。って俺は何を言っているんだろう。
「何よ病気って。しんどいなら保健室行くわよ。歩ける?」
 俺に合わせてしゃがんだハルヒは、俺の額に手を当てた。
 それ、反則。
「お前は普段めちゃくちゃなくせに、本当にこういうときは……」

 我慢なんか出来るわけなかった。きっと俺と同じ立場に立ったら誰だってそうだ。賭けてもいい。
 結局俺はハルヒを抱きしめていた。
「キョン?」
 驚いているハルヒの声。ああ畜生、我ながら呆れるほどにハルヒが愛おしいと思っているんだ、やっぱり隠すなんて無理に決まっている。
「……ちょっと血迷ってるだけだ」
 それでも精一杯の誤魔化しをしてみる。無駄だとは分かってるけどな。
「後で罰金でも罰ゲームでも死刑でもいいから、今は血迷わせろ」
「……何言ってんのよ、バカキョン」
 ハルヒは抵抗もせず、俺に身体を預けてきた。
「何が血迷ってる、よ。後で罰金だからね」
 それだけ言うと俺の頭に手を回して引き寄せ、


 ……目を閉じる直前に見たのはハルヒの柔らかい微笑みだった。


「おめでとうございます、と言うべきでしょうか」
 部室に戻った俺たちを待っていたのは、いつもの5割り増しなニヤケ面を浮かべている古泉と、何故か赤面して焦っている朝比奈さん、それにいつもより心なしか視線が冷たい気がする長門であった。
「な、何の話だ?」
 こいつら相手に誤魔化せるとも思っていなかったのだが、それにしてもいきなりそれかよ!
「おや、あれだけ見せつけてくれながらそんなことをおっしゃいますか」
 見せつける? 別に俺はわざわざ人に見せたつもりは……。
「────あっ!」
 隣にいるハルヒがいきなり声をあげたかと思うと、みるみる顔を真っ赤に染めた。そのハルヒの視線を追って窓の外を見て、俺も理解した。

 そう、屋上のあの場所は部室から丸見えだったんだ。
 つまり、俺たちの一部始終は部室棟にいる人間に見られていてもおかしくはない、と。
「べべべ別にっ! 何でもないわよ、ちょっと血迷っただけでっ!」
 真っ赤になってそんなこと言っても説得力ないぞ。
 それより問題は、おそらくSOS団以外の連中も俺たちに気がついている奴がいるだろうってことだ。
 そしてハルヒはこの学校一の有名人で……。

 ああ、もうどうにでもなれ、畜生。
 それよりハルヒ、何が血迷った、だ。後で罰金だからな。


  おしまい。