青嵐
短編 | 編集

~ 長門有希 ~

 情報統合思念体より許可。本日に限り涼宮ハルヒの観測は喜緑江美里が行うことに決定。
 緊張、と有機生命体が呼称する状態がまさに今までのわたし。決定事項がわたしと喜緑江美里に通達された時点で、その糸は切れた。
 自分に与えられた居住区域集合体の一室、その窓を開放すると、強い風が吹き込んだ。
 わたしが見上げた青い空の下、どこかに彼らはともにいるはず。その思考はまたエラーを引き起こす。
 以前、蓄積したそのエラーでわたしが改変した時空は既にない。
 もし、あのとき彼が鍵を集められなかったら。
 もし、あの世界のわたしだったら。
 違った結果になったのだろうか。
 否。
 あの世界であっても、結果は変わらなかったに違いない。

 わたしの中のエラーは蓄積し続ける。
 それでも。
「わたしは、へいき」
 次に会うとき、涼宮ハルヒはきっと今まで観察した中でも最高の笑顔をしていることだろう。その笑顔は、わたしのエラーをも吹き飛ばすに違いない。

 今、吹き込んでくるこの風のように。


~ 朝比奈みくる ~

 いつか、そう、わたしが自分の正体を話したあの公園を今日は1人で歩いている。
 見上げると青いお空に白い雲、それに結構前に散ってあのときと同じように眩しい青葉を茂らせている桜の木々が目に映った。
 今日は、おふたりには会わないことが既定事項。だからわたしの行ってはいけない場所が最初から決められているんだけど、でも、既定事項を破りたくなってしまう。もちろんいけないことなんだし、おふたりのところへ行こうとしても行けないことがわかっているけど。
 今頃あの2人は会っているのかな。
 涼宮さんはどんな顔をしているのかな。

「このベンチだったかな……」
 今ではもう懐かしい、あのときの会話。わたしの要領を得ない説明をキョンくんは解らないながらも聞いてくれた。
 いい人だな、って思ったの。もちろんそれだけ。
 わたしはこの時間平面では誰も好きになってはいけない。
 もし好きになっても絶対表に出すわけにはいかないの。

 溜息を吐いて、風が落ち着かなく葉を揺らし続ける並木をもう一度見上げた。いくら記憶や表現に禁則事項をもうけても、人の心までは縛れない。
 わたしの小さな思いなんか、この風に乗って雲と一緒に流れて行って欲しい。

 きっと、月曜日には雲1つない快晴になるよね。


~ 古泉一樹 ~

 常緑樹の葉を悪戯に散らして強い風が抜けていった。
 今日はバイトも入りそうにない、かといって落ち着かない気持ちを抱えて部屋に籠もっていることもできず、仕方なくぶらぶらしている。

 彼から相談を受けたのは数日前。
 相談してくれと言ったのは確かに僕だけど、本当に相談をしてくれるとは思わなかったから、さすがに一瞬仮面が外れるほど驚いた。僕に心の内を語る彼は照れもせず恥ずかしがりもせず、ただ苦しげだった。
 彼には悪いけど、少し滑稽じみている。
 なぜなら彼が苦しみを抱える必要なんて全くないことをおそらく北高の生徒なら誰でも知っているだろうと思われるから。
 そう、彼だけが知らなかった。

 そして、僕の気持ちは誰も知らない。

 最初から叶わない夢なら見なければいい、そう解っていても惹かれる気持ちに贖えなかった。
 破天荒な思いつきをするたびに彼に向けられる笑顔を好ましく思っていたことも、そしてその笑顔が僕にはほとんど向けられていないことを寂しく思っていたことも、幸い彼は気がついていない。
 このまま気がついてもらうつもりもない。

 常緑樹は新しい葉を出しながら古い葉を散らす。今散っている葉と一緒にこの気持ちも散らしてしまおう。
 そうして次に会ったとき、本気の笑顔で祝福しよう。


~ 涼宮ハルヒ ~

 どういう偶然なのかしら。今日の不思議探索は、有希もみくるちゃんも古泉くんも参加できない、と直前になって知らせてきた。
 同じようなことがあったのは丁度1年前。今でも忘れられないあの夢を見た後、やっぱり今日と同じような理由をつけて探索を欠席した。
 中止しても良かったんだけど参加人数が少ない今日だからこそ、不思議の方も油断しているかもしれないと思って決行することにしたわ。
 キョンはここ数日おかしかった。顔色は悪いし元気もない。あたしの顔もほとんど見ない。目が合うと何故か苦しそうな表情を一瞬浮かべるような気がする。本当にどうしたって言うのよ。
 丁度いい機会だわ、何があったのか絶対に聞き出してやるんだから!

 1年前、やっぱり2人だけで探索を行った日のことはよく覚えている。
「重要な話があるんだが、聞いてくれ」
 あたしが奢ることになった喫茶店でそう言ったキョンにちょっとドキッとした。2日前に見た夢、そして前日のキョンの言葉をあたしは忘れていなかったから。
 それなのにキョンと来たら!
 有希が宇宙人でみくるちゃんが未来人で古泉くんが超能力者ですって! そんな簡単にSOS団に集まるわけがないわよ!
 あのときはほんっとに頭に来たわ。おかげで夢も前日のポニーテールのことも頭から吹っ飛んじゃって、あたしが奢るはずだった喫茶店代も結局キョンに支払わせた。

 そんな回想をしながら改札を抜け、いつもの待ち合わせ場所に目をやったあたしは驚いた。本当に1年前の焼き直しみたい。
 キョンがあたしより先に来ている。まだ時間より30分も早いのに。
 これはいったいどういう偶然なのかしら?

「ようハルヒ」
 声をかけるキョンを、あたしは黙って見つめた。いつになく真剣な表情。

「重要な話があるんだが、聞いてくれ」

 あたしとキョンの間を、一陣の風が吹き抜けていった。


~ キョン ~

 感情を押し込むことができる無意識という物はどの程度の容量があるのだろうか。そもそも容量がある物なのかという疑問もあるが、実際のところあるのではないかと思っている。自分が感じないようにと無意識に押しつけていた感情は、ある日突然意識に向かって逆流してきたのだから。
 そう、それはダムの決壊だ。無意識が支えきれなくなった思いは一気に俺の意識へと奔流を走らせ、俺を支配した。

 俺は、涼宮ハルヒが、好きだ。

 いつからだ、何てことは今考えてもよく分からない事実であり今更考えても仕方のない現実である。それは最初にあの忘れようもない素っ頓狂な自己紹介を聞いた瞬間からかもしれないし、あのこっぱずかしい閉鎖空間での出来事からかもしれないし、もっと後かもしれない。
 谷口に何度も言われても否定していたし、古泉が何やら仄めかしているのにも気がつかないふりをして、気がつきそうな自分を無意識に追いやっていたというのに。
 今ではあいつの笑顔をなんとなく真っ直ぐ見れないくせに視界にあいつを捉えていないと落ち着かないなんて、もう笑うしかない。

 恋愛なんて精神病の一種、一時の気の迷いだとハルヒは言った。気の迷いかどうかはともかく、精神病というのは何とも的を射た言い方だと今の俺には言える。
 朝起きて飯を食って学校に行き、授業を受けて謎の部活をやって家に帰り、また飯を食って風呂に入って気が向いたら宿題なんかをやって寝る。その間、ずっとハルヒのことを考えているなんて今までの俺からしたら信じられない。
 俺につきまとう幸福と苦悩。これはきっと、無意識の復讐なんだろう。今までずっと押しつけてきたのだから。

 幸福と苦悩は眠れぬ夜を作り出し、俺を憔悴させた。

 SOS団のみんなはすぐに俺の異変に気がついたが、俺は最初は何も言えなかった。言えるわけがなかった。
「あんた最近顔色悪いわよ。どっか悪いんじゃないの?」
 ハルヒが心配してくれる。ハルヒに心配させてしまう。
 嬉しい。苦しい。
 自分の思いを告げれば俺は楽になれるのだろうか。それとももっと苦しくなるのだろうか。その答えが分からないのに気持ちを伝えるなんて行為に踏み切ることもできずにいた俺を救ったのは意外にも古泉であった。

「いったいどうされたと言うんですか。ここ最近のあなたは本気でおかしいですよ」
 眠りたいのに眠れないというのは思ったよりもずっと苦しい物だった。普段の俺なら何でもない、変な気を回すな気持ち悪い、などと言っていただろう。いや、このときだって古泉に今の自分の状態を打ち明ける気は全然なかった。古泉の次の言葉を聞くまでは。
「何か悩んでいらっしゃるなら、僕でよければ話してください。『機関』に報告などしませんから」
 嘘だろ? 『機関』に報告しない? いや、古泉は俺の悩みがハルヒに関することだと思っていないに違いない。ハルヒに関すると解れば報告しないなんてことができないに違いない。
「あなたの悩みは、涼宮さんに関することではないのですか」
 俺の思考を読んだかのように続ける古泉に俺は目を見張った。ハルヒのことだと気がついていたのか。気がついていたのに『機関』に報告しないと言ってくれたのか。
 本当に報告しないのかどうかなんてことはわからない。だが、俺の気持ちを汲んでそう言ってくれた古泉を俺は信用したくなった。
 どのみちハルヒに関することを相談できる相手なんてSOS団しかいない。
 そして、俺はもうこれ以上この気持ちを1人で抱えきれなくなっている。

「古泉……俺……」
 口に出すことはやはりためらわれる。これを聞いたらこいつは笑わないか? しかし古泉はいつもの笑顔を潜め、真剣な表情で俺を見ていた。ああ、こいつはちゃんと話を聞く気があるんだな。
「俺……あいつが好きだ」
 口にした瞬間、何かから解放されたかのように身体の力が抜けるのを感じた。こいつに話したって解決するわけじゃないが、それでも俺は誰かに話したかったのか。
 しばらく古泉の返答は沈黙のみであった。そりゃそうだ、いきなりこんな話聞かされたって何を言ったらいいかなんてわからないだろうな。
「……驚きましたね」
 本当に驚いた顔をして古泉が呟いた。今の表情はお前の素なんじゃないのか?
「そりゃ驚いただろうな」
「いえ、おそらくあなたが考えていることとは違います。僕が驚いたのは、あなたが僕にそれをおっしゃってくださったという点についてですよ」
 光栄です、と古泉は言った。
「それにしても何故あなたはそんなに苦しそうなのか、僕には理解できません」
 理解できない? 何故。
「いえ、理解できないというのは正確ではありませんね。その必要がないことに気づいていないことが信じられません」
 意味がわからん。何で苦しいかって? そりゃ拒絶されるのが怖いからだ。普通の奴が相手だって怖いっていうのに、あいつの場合は拒絶されたら最後、きっと一生そばに寄ることすらかなわなくなるだろう。それが怖い。だから、苦しい。
 この話を『機関』に報告することはありませんが、と古泉は前置きして言った。
「それでも『機関』に所属する一種の超能力者の立場で言わせて頂きますと、涼宮さんがあなたを拒絶することはないと断言します。それが恋愛なのか友情なのか、そこまでは僕にも言及できませんが」
 ハルヒの精神分析第一人者だと言っていたな。少し気持ちが軽くなる俺は単純なのかね。
「そして『機関』は抜きにしてあなたの友人として言わせて頂きますが、あなたはご自分の気持ちを涼宮さんに伝えるべきです」
 あっさり言ってくれるよな。それができれば苦労はしない。
「ですが、あなたの苦しみは今の中途半端な状況がもたらしているとも言えるでしょう。白黒はっきりさせた方がいいかと思いますね。先ほども申し上げた通り、白でも黒でも涼宮さんがあなたを拒絶することはありえませんから」
 確信を持っているかのように断言する古泉を、俺は黙って見つめるしかできなかった。確かに今の状態は中途半端だが、だからといってはっきりさせてしまって大丈夫なのか。もしもハルヒが俺に友情しか感じていなかった場合、俺は今より更に苦しむことになるんじゃないのか。
「あなたの様子がおかしいことは涼宮さんも気がついています。あなたが隠し切れていない以上、涼宮さんはずっと心配し続けることになりますがよろしいのですか」
 そりゃちょっとした脅し文句だな。だが言われてみれば確かにそうだ。ハルヒは俺を心配してくれている。そう思うだけで何故か胸が締め付けられるような思いがする。
 そうだ、これ以上ハルヒに心配をかけるわけにはいかない。
 ハルヒが、俺がおかしいと感じているというのなら俺はその理由を説明しなければ。

 その後、次の探索は俺とハルヒの2人でと言った古泉は、いつの間にか笑顔の仮面を取り戻していた。口調こそ丁寧なままだったが、相談に乗っている間はその仮面を外してくれていたのかもしれない。


 土曜日、2人だけの不思議探索。今日は遅刻するわけにはいかない。
 罰金とかそういう問題じゃない、そうだろ?
 駅から出てきたハルヒはやはり不機嫌そうで、1年前を思い出した。そうだ、あのときも2人だけで探索したんだっけな。
 横断歩道を渡り、俺の目の前まで来たハルヒの目を見つめながら声をかける。ハルヒは黙って俺を見つめ返した。

「重要な話があるんだが、聞いてくれ」

 宇宙人と未来人と超能力者についての話じゃない。俺についての話だから。

 真っ直ぐの視線を投げつけるハルヒと俺の間を初夏の青い風が駆け抜けていった。


  おしまい。




~ おまけ ~

「最近ずっと悩んでいたんだ」
 ハルヒは無表情に俺の話を聞いている。
「だけど言うに言えなかった」
「何でよ」
「俺の悩みはお前に関することだから」
 ハルヒは眉を寄せて俺を睨む。
「何よ、あたしに関することって。何であんたが悩むのよ」
 何でと言われてもな。
「まあ聞け。つまり、俺の悩みはだな」
 少し間をおく。心臓が誰かに鷲づかみにされている。お前か、ハルヒ。痛いぞ。

「ハルヒが好きだってことだ」

 言った。とうとう言った。後は裁かれるのを待つだけだ。
 ハルヒの答えは。拒絶か受諾か、それとも保留なのか。
 拒絶はない、と古泉は言った。だが本当にそうなのかという確信は俺にはない。

 ハルヒはその黒く輝く目を見開いて俺を見つめていた。その表情は無から驚愕へと変化し、最後に────怒りへ変貌した。
 ああ、怒るってことはやっぱり駄目なのか。
「遅いわよバカキョン!」
 そうか、遅いのか……って何が? 何か怒りのベクトルがおかしくないか?
「うるさい、バカ! あたしがどれだけ待ったと……」
 待ったって、ハルヒが? まさか、ハルヒが俺から告白するのを待ってたっていうのか?
「そうよ、1年も待たされたわ!」
 1年って、1年前にもあった2人だけの不思議探索。
 あのときの真相激白を怒りで蹴っ飛ばしたのは、俺の言ったことが荒唐無稽だったからだと思っていたがまさか。
「それもあるけど」
 やっぱりそうですか。
「それもあったけど、あんたあれだけ気を持たせておいたくせに」
 そんなに気を持たせるようなことしたっけか。
「だ、だから、その、髪型が似合ってるとか……」
 俺がそれを言ったとき、まったく俺を見ようとしなかったわりにはに今でも覚えてくれているとはね。
「悪かったな」
 謝る俺を更に一睨みしたくせに、俺の肩に額を乗せて「バカキョン」なんて呟くな。抱きしめるしかできなくなるじゃないか。

 今腕の中にある何よりも愛しい存在に、俺はもう一度呟いた。
 好きだ、ハルヒ。

 俺が手に入れたのは、眩暈がするほどの幸福感と、初夏の青空みたいなハルヒの笑顔だった。


  ほんとにおしまい。