涼宮ハルヒの戦国時代 一章其の一
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この話の中では宇宙人も未来人も超能力者も異世界人も出てきません。

 一.


「小清水城にいる“はるひ”って名の女に心当たりないか?」
 今夜の宿を取るにあたり、俺は小清水にいる知り合い──谷口のもとを訪ねていた。こいつはこいつで涼宮家の足軽なんだが、何度か古泉についてこっちに来るときに顔なじみになった奴だ。どのみち誰かの縁をたどって宿所を探さねばならないのだから、始めから谷口を頼ったというわけだ。
 この谷口は、何故か説明する必要がまったく感じられないのだがそれでもあえて言うと、女好きである。まあ、どの程度か、とかどんな逸話があったのか、なんてことは今更言うまでもないよな?
 その谷口のことだから、城下や城内の女のことは聞けば分かるんじゃないかと思ったのだが、俺の予想は当たっていたらしい。
 というより、俺自身が知らなさすぎたと言うべきか。
「キョン、お前は阿呆か」
 俺の質問に対する谷口の答えは何とも冷たいものであった。阿呆に阿呆と言われることほど腹立たしい物はない。何でお前に阿呆呼ばわりされにゃならんのだ。
 ついでに言うならその間抜けなあだ名もやめてくれ。幼名をもじって親戚が言ったのを妹が面白がって広めたのだが、国木田が谷口に伝えるに当たってとうとう八部を出てもこのあだ名で呼ばれ続けることになっちまった。
「小清水城にいるはるひという名の女って、そりゃ春日姫のことだろうが」
「春日姫?」
 涼宮家はあまり子宝に恵まれず、姫が一人いるのみであることはもちろん知っていた。だが、そんな名前だっけか。
「お前なぁ。いくら直属じゃねーからって、主家の姫君の名前くらい覚えとけよ」
 そりゃ悪かったな。これが跡取りの子息だってなら覚えていたんだろうが、この時代、女の名前はあまり世に出ない。涼宮の姫はあくまでも涼宮の姫であって、春日姫という名もそんなには聞かなかったのだから、知らない奴がいてもおかしくはないんじゃないか?
「しかしなあ、春日姫はある意味有名人だぜ。第一、ここ何度か自ら具足を付けて戦に参加している」
「あー、そりゃ話題になったな」
 女だてらに前戦に出て闘い、なかなかの活躍を見せたということだ。って、俺がこの話を聞いたときに名前なんか出てたっけか。覚えてねーだけか? めずらしいっちゃめずらしいが、戦に出て行く女は世の中何も春日姫一人ではない。
「それに、なんっつーか、すげえ変わり者だからな。美人なんだけどよ。妖怪変化だか何だか、そんな物ばかり探しているって話だ」
 変わり者ね。俺は夕刻の奇遇を思い浮かべて思わず納得した。ありゃ、確かに変わり者だ。
「で、なんだよ。お前、春日姫に気でもあるのか? やめとけ、確かに美人だが俺やお前みたいなしがない兵卒に扱える代物じゃねーぞ、あの女は」
 主家の姫君をあの女扱いかよ。
 まあ、谷口の言うことはわかるけどな。涼宮氏といえば、摂津源氏の流れを組む名門だ。鎌倉とは違うとはいえ、大元をたどれば清和源氏の本流とも言えるわけで、俺のような土着の百姓上がりとは身分も家柄も違いすぎる。
 だが、それ以前にそんな気はまったくない。
「いや、そう名乗った女がいたから何ものかと思っただけだ。別にそんな気はない」
「そう名乗った?」
「だから本人かどうかはわからん」
 だいたい、いくらこんな時代だからってあんなところに姫さんが一人でいるわけもないだろ。男子ほどではないにしても、涼宮家は嫡子がいない以上何があるかわからない。
 だから、名を借りただけという可能性もあるわけだ。何のためにそんなことをするのかはわからんが。
 俺はからかわれただけか?

「まー、その春日姫も、本当に弥三郎様の姫かわからんけどよ」
 どういうことだ?
「弥三郎様はあれで結構好色だぜ。側室何人も抱えてよ、羨ましいぜ。なのに、子供は姫君一人だけだ」
 なるほどな、よく言われる話だ。あれだけ側室を抱えているのに何故子が生まれないのか。逆に、何故他に子が生まれないのに、一人だけ生まれたのか。
 女はともかく男から見れば本当に自分の子か、何てことを証明する手だてはない。それで噂が立ってしまうわけだ。
 しょーもない。
 俺には関係ないし、どうでもいい。


 翌朝、俺は谷口にいとまを告げ古泉を迎えるために小清水城に向かった。その古泉はなんと女を伴って出てきやがり、俺は寝ている耳どころか鼻にまで水を入れられたような気分になったね。
「誰だ、その女は。嫁の世話でもしてもらったのか」
 十代で結婚する男も普通にいるが、やはりまだ早いんじゃないのか?
「まさか、そんなわけないでしょう」
 古泉は苦い笑みを浮かべて答えた。
「今度の話ですが、人数を借りるつもりはないと伝えたところ、是非彼女を連れて行けと言われましてね」
「戦にか?」
 昨日の谷口との会話を思い出す。春日姫とやらは、自ら戦に出て行くんだったよな。やはり昨日“はるひ”と名乗った女は偽物で、まさかこの女が春日姫だとか言うんじゃないだろうな?
 白藍色の小袖に身を包むその女は俺の不躾な視線にも動じることなく、ただ能面だってもうちょっと表情があるぞと言いたくなるような無表情であった。
「ええ、こう見えて彼女のは優秀な忍です。作戦の内容を伝えたところ、きっと役に立つから、と言われましてね」
 忍? 女の? 聞いたことねえぞ。
「まあ、そう言わず。彼女の優秀さは僕も聞き及んでいますし、多少は知ってもいます。仲良くやってください。名前は────」
 そう言って古泉は女を見る。その女はいったい俺たちの会話なんか理解しちゃいないんじゃないかと思えるくらいの無関心さを表していたが、どうやら理解していたらしく後を引き取って一言、
「長門有希」
 とだけ言って、また黙り込んだ。えーと、自己紹介終わりかよ。
 長門とやらは、後はどうでもいいと言わんばかりに空を見つめている。どう扱えばいいんだ、この女。
「長門さんは、あなたと行動してもらうことになりますから、よろしくお願いしますよ」
 まじかよ。絶対間がもたねえぞ。


 さて、話が少々前後するが、本題の戦である。
 古泉一樹が涼宮弥三郎に認められるための売名行為、と考えて頂いても差し支えない。
 つい最近のことだ。
 一応古泉氏の管轄である八部郡の西部に横尾氏と名乗る新興勢力が侵入してきて、一部地域を押領されてしまった。古泉もそうだが、こういう流れ者がやって来ては一部地域で勢力を増す、何てこともそんなにめずらしいことではない。当然涼宮氏から見れば面白くないことになっているわけだ。何せ、勢力を増しているだけではなく年貢まで押さえているのだから質が悪い。
 八部を預かっている古泉の親父としてもこの勢力は看過出来ない。
 そこで戦をという話になったわけだが、すでに話した通りこの戦は古泉が総大将として横尾氏の首をあげて来い、ということになっちまったわけだ。親父殿からすれば、の程度の小規模勢力も打てないようでは今後名をあげるなどできっこない、と言いたいのかもしれない。
 本来なら領地を侵された涼宮氏自身が兵を動かしてもおかしくはないのだが、それを自分たちだけで撃退して見せましょう、と大見得を切ったのが今回の小清水訪問であった。

 とは言え、先ほども述べたように合戦経験の少ない若造が戦を行うのである。新興とはいえ相手もれっきとした武装勢力、真正面からぶつかっては勝ち目があるかどうか微妙なところだ。
「夜襲、しかないな」
 俺の意見に古泉も賛同した。
「そうですね。多少ずるいかとも思いますが、やむを得ないでしょう」
 簡単に言うが、闇夜を大人数で気取られないように動くというのは案外難しい。俺も古泉も、ついでにもう一人指揮官として任命された国木田も、何度も現地に行って下調べをした。
 横尾氏の館は山の中腹にあり、山頂に砦が築いてある。砦は小規模な物で、普段おいている人数も十人程ではあるが、ここは確実に落とさなければならない。
「と言うよりは、そちらを先に落として頂けなければ困ります」
 そりゃそうだ。砦は落として火を放つ。敵方にとって、まだ砦があると思うか、先に退路を断たれたと思うかによって士気が変わる。幸いなことに背水の陣を構える度量を備えた人物ではない。
 主力は館の方へ割き少人数が砦攻略に当たる、大まかに言えばそう動くことに決定した。細かい作戦はここで述べる必要もないだろう。

「で、俺は山登りか」
 砦に向かう小部隊を指揮する役目を言いつかったのだが、まあどっちにしても戦は戦だ。俺は別に敵の首級をとって名をあげようとか思ってないのだから出来れば楽に攻略できる方がいいなんて考えているんだが、こっちを落とさなければ始まらないわけで責任の重さから考ええると損じゃねえか。
「早いうちにこっちの動きが読まれれば、砦の方に逃げていく可能性だってあるよ。そうしたらキョンが討ち取ればいい」
 だからそのあだ名はやめろ。そう言う国木田は主力の一隊を任されているわけで、主戦場に赴くことになっている割には相変わらず飄々としてるよな。
「まあ、こうなった以上、やるべきことはきっちりやるだけだよ」
 事も無げに言ってのけるが、案外事も無げにやってしまうのも国木田なのである。こいつが士官候補として目をつけられたのはもっともだ、と俺は思っている。どんなときも冷静沈着で優秀。俺が国木田を評価するとすれば、そういう言葉が出てくるって具合だ。
 じゃあ何で俺が目をつけられたのというとか、さっぱり分からないんだがな。

 俺たちは何度も細々としたところまで打ち合わせ、上手くことが運ばなかった場合も想定した。とにかく初めて自分たち若い衆だけでの合戦だ。正直に言おう、初陣のときより怖い。
 怖いっていうのに、小清水から連れてきた長門は俺たちの作戦を見てとんでもない提案をしやがる。
「砦攻略の人数は減らすべき。主力は万全を期すためにも最大限の人数を確保することが重要」
 そんなことは分かっている。だが、砦を落とすことから始まるこの作戦で、俺たちだって考えに考えて今の人数配分を決定したんだ。理想論だけで主力に回してしまえば戦そのものが失敗する恐れもある。
「大丈夫」
 長門は動揺もしていなければ、自分の意見を押しつけるつもりもない、まったく平穏な態度を崩していない。こいつは俺たちの帰路道中もそうだったが、感情の起伏ってものがないのかよ。
「何故そう言いきれる」
「わたしが行くから」
 何を言っているんだこいつは。わたしが行くから? 長門が行けば、必ず砦は落とせるとでも?
「そう」
 長門は人間から感情や特徴を取り去ったらこうなるのではないかと言う声であっさり肯定した。自信を持っているようにも見えないのが逆に絶大な自信を感じさせる。
「あ……いや、疑うわけじゃないんだが、やっぱりいきなりそう言われても……」
「おそらく長門さんのおっしゃることは間違いないでしょう」
 戸惑う俺に古泉が口を出した。そういや長門の名前は知っているような口ぶりだったな。この小柄で華奢で非力そうな女がそんなに凄いというのか。
「ええ、僕は直接見て知っていますから」
 古泉が見たというなら信じられんが本当なんだろう。こんなことで人をかつぐやつでもないし、そんなことをする理由もない。
「だがな」
 俺は困り果ててしまった。
「俺に付くことになっている連中は若い奴らばかりだ。正直に言うとだな、今回お前が初めて大将やるってだけで怖じ気づいている奴もいるんだ。この上人数減らして女を連れて行くとなったら動揺が拡がりかねん」
 俺がこういう意見を言うと必ず古泉は面白そうな笑顔を作る。俺が意見するのがそんなに楽しいのか。
「実は楽しいのですが、それは今は置いておきましょう。それより長門さんのことは、実際に試してみてはいかがですか。百聞は一見に如かず、と言いますから」
「は?」
「長門さんと試合してはいかがですか、と言っているのですが」
 おいおい、無茶を言いやがるな。戦直前に怪我でもしたらどうすんだ。
「それはないでしょう。怪我をする間もなく決着がつきますから」
 どういうこった。
「やってみれば解ります。砦攻略に向かう人間は見物させましょう。長門さんはよろしいですか」
「いい」
 おーい、俺の意見は聞かねえのかよ。どっちにしても俺は古泉の家臣なわけだからおおっぴらに反対はできないんだけどな。

 こうして長門対俺の試合が急遽決定された。だから戦直前なんだが。
 読んでいる人にはお分かりであろう。
 勝負は文字通り一瞬で着いた。



 城の中庭には人だかりができている。見物人は砦に向かう二十人程度と聞いていたのだが、誰かが言いふらしたのだろう、あっという間に噂が拡がったらしく百人くらいはいるんじゃないかと思う。おい、お前ら支度は整ってるんだろうな。
 古泉の言うことが正しければ、俺は確実に負けるのだろう。とするとこの人数の前で女に負ける姿をさらさなければならないわけで、俺は思わず溜息をついた。
 士気に関わらない……よな?
「何だか面白そうだよね」
 お前もか、国木田。
「あの長門さんっていう人、全然強そうに見えないけど凄く強いって聞いたよ。大丈夫?」
 大丈夫じゃねえよ。それより凄く強いって誰に聞いた。
「さあ? 何だかあっという間に噂が拡がったみたいだし、出所はもう分かんないんじゃないかな」
 そりゃお前には分からんだろうな。だが俺には分かった。あの野郎、確実に面白がってやがる。
 見物に来ている連中は今回の戦に参加する若い奴らばかりだ。と言うことは、その世代で噂をばらまいたと見ていい。しかしその連中の中で長門が強いらしい、なんて情報を持っている奴はおそらくほとんどいないだろう。俺だって知らなかったし、国木田の口ぶりからするとこいつも噂を聞くまで知らなかった。
 てことは、だ。長門のまだ見ぬ強さを聞いた、あるいは見たことのある人間。
 つまり、古泉だ。
「まったく、あいつはこうやって俺で遊んで鬱憤を晴らしてるんじゃないだろうな」
「まあまあ、それだけキョンに気を置いていないってことだよ」
 慰めになってねえぞ。

 ここで少し説明をしておく。武士の試合と言うと剣術を想像される人も多いかもしれないが、この時代の主要武器は槍である。武士がまず鍛錬するのは弓馬、つまり弓と乗馬技術であり、ついで槍、時間があれば刀も稽古するというあんばいだ。誰かがこの乱世を平定した後には持ち歩くのが邪魔になりそうな槍に変わって腰に差せる刀が主流になっていくのかもしれないが、今はまだそんな世の中になっていない。
 つまり、今回の試合も槍で行うということだ。まあどうせ槍でも刀でも結果に代わりはないけどな。
 ついでにもう一点説明しておこう。忍といわれてどんな仕事を想像するかは人それぞれかと思うが、一般的に言って忍はやはり情報を得たりときにばらまいたりすることが仕事と考えていい。場合によっては暗殺などもするらしいが、俺は詳しくは知らない。この仕事からお分かりだろうが、忍に取って必要な技術は戦うことではなく、情報を無事に持ち帰るということである。遁術なんて言葉を聞いたことがある人もいるかもしれないが、つまり無事に逃げ切ることが最大の技術と言ってもいい。だから面と向かって勝負した場合に有利なのは武士のはずである。
 そう、本来ならば。

 好奇の目にさらされながら、練習用の槍を片手に中庭に出た。俺が上流武士の家に生まれたならこういう機会もあるかもしれないが、何故足軽出身の馬の骨がこんな注目されなきゃならんのだ。
 と思ったが、どうやら注目されているのは俺ではないらしい。
「あれはなかなか器量好しだな」
「本当に強いのか?」
「戦に参加するって本当か?」
 ……お前ら。何か鼻の下伸びてないか? 戦前にこの緊張感のなさはなんだ。こんなんで大丈夫なのかよ。
「むしろそれが狙いですよ」
 顔が近いいきなり背後から話しかけるな。
「あなたもおっしゃいましたが、今回のように若手だけで行う戦というものは必要以上の緊張をもたらします。ある程度の緊張感は必要でしょうが、緊張しすぎては混乱を生じかねません」
 なるほどな。緊張のあまり恐怖に支配されると、指揮系統は壊滅する。古泉はそれを心配していたらしい。ってだからといって何故俺が。
「それはあなたにその心配がないからですよ」
 その心配ってどの心配だ。意味がわからん。
「つまり戦前に試合に負ける、という事実は自分自身の士気に関わり、結局実戦で恐怖に支配されかねません。あなたなら大丈夫と思ったのですが」
 そりゃ買いかぶりすぎだ。俺だって怖い。自分が臆病だなんてことは充分認識している。
「さすがですね。恐怖を感じても支配されない方法は、自分の強さと弱さを自覚することでしょうから」
 妙に持ち上げやがるな、と古泉を睨んだ時点でさっきの国木田との会話を思い出した。
「お前、この試合のことを言いふらしただろ」
「ええ、もちろん。先ほど申し上げた目的がありましたから」
 涼しげに言う古泉に俺は溜息を吐くしかない。今手にしているのが練習用の槍で良かったな。本物だったらそのニヤケ面に突き立ててやるところだった。

 長門は最初に出会ったときと同じ白藍色の小袖姿のまま、槍を持ってただじっと立っていた。小袖にしちゃ替わった色だな。山陰に積もった雪のような色……ってこいつの名前は有希と言ったか。
 あれ? 有希、という名を最近どこかで聞いた気がするがどこだっけ?
 そんな疑問が一瞬頭を掠めたが、立ちあいは僕が行います、という古泉の言葉で我に返った。仕方ない、さっさと終わらせるか。
 俺は中庭の中央に出た。長門も同じように出てきて、俺と間をとって向かい合う。
「よろしいですか」
 その言葉で槍を構える。長門も一応構えるのだが、何というか試合前だと言うのにまったく覇気という物が感じられない。槍を構えて立っているだけ、というのが正解だ。これから突きに来るとはとても思えない、俺から動いた方がいいのか、などと考えていたのも悪かったのかもしれない。
「始めっ」
 古泉の声が響いた。


「え……?」
 何だ? 何が起こった?
 「始め」の「め」が終わったかどうか、という瞬間。見ていた奴らも、まばたきでもしてた奴はまったく見る暇がなかっただろう。目が開いていたって見えていたかどうかなんて怪しい。俺も見えなかったんだからな。
 合図の瞬間、渇いた強い音がしたと思うと手に強いしびれが走った。何が起こったのか一瞬理解できずに呆然とする俺の首もとには槍が当てられ、つまりこれが本物の槍なら俺は喉を突かれて御陀仏だ。
 その間、本当にまばたきする程度の時間しか経っていない。
 地面をなにかが転がる音を耳にして、ようやく俺は自分が手にしていた槍が弾き落とされたという事実に気がついた。目の前には数間離れていたはずの長門が俺に槍を突きつけている。
 誰も何も言わない。結構な人数がいるとは思えないほどの静寂が中庭を支配している。俺もただ呆然と長門の無表情な顔を眺めていることしかできなかった。

 少しの間を開けて、古泉が何か言おうとした。
「勝負ありまし……」
 最後まで言えなかったのは、そのとき静寂を破って表の方が急に騒がしくなったからであり、古泉もそれまでの雰囲気を一変させ緊張した面持ちで表の方を見たからだ。

 激しい蹄の音がしたかと思うと、中庭に馬が一頭走り込んできた。見物衆が慌てて避けて空いた場所から一気に駆け込んで来たのが暴れ馬ではない証拠に、手綱を握っている人物は慌てたり焦ったりせずに馬を操っている。
 下馬もせずに乱入してきた人物を見て、俺はまた呆気にとられた。

 何でお前がここにいる?



 駆け込む馬の勢いに、その場にいた全員が後ずさる。いや、長門のみが微動だにせずに馬上の人物を見つめていた。
 おい、危ねえよ!
 最初の勢いのまま俺たちの目の前まで来たかと思うと、長門の鼻先で急停止。その間、長門は何事もないかのように動かない。怖くねえのかよ。見ている方が冷や汗ものだ。
 馬を操っていた人物は馬から飛び降りると長門に駆け寄った。
「ちょっと有希! 何で勝手にいなくなるのよ!」
 何というか、勝手に入り込んできたくせに長門しか目に入っていないように他の人間はいきなり無視。
「朝比奈みくるに言付けた」
 長門はそいつがそこにやって来たことも当たり前だと思っているのかまったく驚いていない調子で答える。だんだん分かってきた。長門は何があっても動揺したり感情の波を大きく動かしたりすることなんかないんだろう。
「聞いたわよ! だから来たんじゃない! でも親父の命令でもあたしに直接言わずにいなくなったりしちゃダメなんだからね! 有希はあたしのなんだから!」
 そう言って長門に抱きつく。
 もうだいたい予想がつくよな。
 無遠慮という文字を具現化したように馬で駆け込んできたそいつは、つい先日に小清水のはずれであった“はるひ”とか言う変な女だった。
 長門は長門で抱きつかれても無表情でじっとしている。……ん? 確かに無表情だが、ほんの少し、分かるか分からないほどに変化しているような気がしないでもないような……? いや、気のせいか。
 この長門が少し嬉しそうに見えたなんてやっぱり気のせいなんだろう。

 はるひはこの前と違い、俺は初めて見るのだが、女物の具足をつけていた。谷口が言うことが本当だったらこの女が春日姫ということになるんだが、こんなぶっ飛んだ女が姫ってのも変な気がする。いや、器量は好いんだが。
「帰るわよ! 有希」
 そう言って長門の手を掴むと反対の手で馬の手綱を取った。だが、長門は手を引っ張られても動こうとしない。
「ちょっと有希、どうしたのよ」
「帰らない」
「え?」
「わたしは合戦に参加することを既に受諾した。終了するまでは帰れない」
 やっぱり何の感情も感じられない声なのだが、なんとなく意志は固いような気がした。大人しそうに見えて意外に頑固なんだな、こいつ。
 そう言われてはるひ、いや春日姫は怒るかと思ったんだが……何故かニヤリと笑った。
「やっぱりね。そう言うと思っていたわ!」
 分かってたのかよ。って、谷口は言っていたな。「ここ何度か自ら具足を付けて戦に参加している」とか何とか。
 まさか。
「有希が参戦するならあたしも行くわよ!」
 中庭にいた連中がどよめく。春日姫は古泉に振り返ると強い視線を投げかけた。
「いいわね、異論は認めないわよ!」
「かしこまりました、姫君」
 って反対しねえのかよ古泉!
「長門さんを勝手にお連れしてしまって申し訳ありません。お屋形様がどうしてもとおっしゃるので断り切れませんでした」
「ふんっ」
 春日姫は不機嫌そうに鼻を鳴らして古泉を睨む。何だか長門にたいする態度と全然違うような気がするんだが。
「あの馬鹿親父の言うことなんか聞かなくていいのよ。全然わかってないんだから」
 いや、そういうわけにもいかんだろ。
「それで、戦に参加される件ですが……」
 古泉はもしかしたらこの我が儘そうな女に慣れているのかもしれない。春日姫の言うことをさらりと流して本題に入った。
「長門さんは彼の指揮下に入ることになっていますが、姫君はどうされますか」
 おい、俺を引っ張り出してくるな。一緒に行くとか言われたらどうするんだ。長門は大人しいし先ほどその腕前を見せてもらったが、こんなじゃじゃ馬連れて行くなんて冗談じゃねえぞ。
 などと言う俺の反論は心の中でしかできず、肩に手を置く古泉を忌々しく思いながらも春日姫の答えが俺の望み通りであることを祈った。
「あれ? あんた……」
 どうやらようやく俺に気がついたらしい。って言っても言葉を交わしたのはわずかな時間だし、俺は自分が平凡な容貌であることを自覚しているのだから忘れられていてもおかしくはなかったんだがな。
「古泉くんの配下だったの?」
「まあ、そうだが」
 あ、こいつは主家の姫だっけか。こんな言い方じゃまずいな。
「あ、いや、そうです」
 慌てて言い直す。だいたい古泉にだって敬語なんか使っちゃいないわけで、同年代に敬語を使う習慣が俺にはない。
「おや、お知り合いでしたか」
 何故か物凄く面白い物を見たという顔をする古泉に俺は嫌な予感を覚えずにはいられない。
「でしたらなおさら彼と行動して頂いた方がよろしいかと」
 よろしくねえ。
「そうね。有希が行くなら」
 だから、俺の意見も聞け。女を二人も連れて合戦に参加しろってか。冗談じゃねえ。
 結局こういう場合に俺の意見が通るわけもないんだけどな。

 その後その場は解散させ、古泉、国木田、長門、俺、それに春日姫を加えて最後の打ち合わせを行うことにした。何だか物凄くやりにくくなったのは言うまでもない。だいたい上座に着くのが大将である古泉ではなく春日姫だ。当たり前でもあるが立場的に遠慮しろと言いたい。
 春日姫は当然作戦なんか一つも知らないのだから、古泉が俺と長門がどう動くのかを細かく説明している。
「夜襲なのね。でも砦なんか落とさなくても正面からわーっとぶつかって行った方が早いんじゃないの」
「いえ、早さより確実性を重視しましたので。万が一砦の方に逃げられるとかえって時間も掛かります」
「だから逃げられる前に伐てばいいじゃないの」
「それが確実にできればよろしいのですが」
 どうもこの姫は正面から突撃することしか知らないんじゃないかと思う。それですべての戦が勝てれば誰も苦労はしない。だいたい、人数から言うと向こうが上だ。戦ってのは人数で決まる部分が大きい。だからこそ夜襲という手段を選んだわけだ。
 古泉は春日姫の意見をかわすのに四苦八苦し、国木田はそれを面白そうに眺め、長門はまったく我関せずとばかりに前を見つめるだけだ。まったく戦直前になってなんだこれは。だんだん苛々してきたぞ。
「おい、いい加減にしろ」
 思わず口をはさんでしまった。相手が主家の姫君だろうがなんだろうが知るか。そもそも最初に会ったときに身分を名乗らなかったんだからな。
「それなりに作戦は立てたし、それにあわせて訓練もしてきたんだ。今さらそんな無茶な作戦に変更できるわけもないだろう」
 どうやら姫は驚いたらしい。単なる俺の予想だが、こいつはこうやって正面から意見を言われたことがないんじゃないだろうか。
「な、何よ! あたしに向かってそんな口聞いていいと思ってんの!」
 本当は良くないんだろうな。だが今さら俺も止められない。
「気に入らなきゃ後で打ち首でも何でも好きにしろ。ただし戦が終わってからにしてくれ」
 そこまでの覚悟があって言ったわけではない。どっちかというと売り言葉に買い言葉だ。それまで準備してきたことがこの女のせいで台無しにされかねないのを見ちゃいられないだけだ。
「お前の選択肢は二つしかない。作戦通り俺の指揮下に入るか、小清水に帰るか。どっちにするんだ」
 春日姫はその視線だけで殺せそうな目つきで俺を睨んだ。俺も負けじと睨み返す。怒った顔でもその目は黒くキラキラと輝いていて、それが更に視線を強い物に感じさせる。
 しばらくにらめっこが続いたが、それを止めたのは古泉だった。
「まあまあお二人とも、そこまでになさってください」
 苦笑を浮かべてそう言った。
「そこまで見つめあわれると同席している僕たちが気まずいのですが」
 いや、見つめ合っているわけじゃないんだが、ってまたお前面白がってるだろ! という感情を込めた俺の視線を受け流し、春日姫に向き直っている。忌々しい。
「急な作戦の変更は部下が混乱しかねません。どうか作戦通りでお願いしたいのですが」
 姫は不機嫌そうに唇を突き出して黙っていたが、最後には折れた。
「……分かったわよ」
 しかしただ屈服するだけというのに耐えられないのか、また俺を睨むと一喝。
「ヘマをやったら承知しないわよ!」
 なんか余計な苦労をしょっちまった気分だぜ。
 ……やれやれ。