涼宮ハルヒの戦国時代 二章其の一
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あまりにも自分の中で当たり前だったので書きもしなかった大前提。
播州は摂津の西隣です。
途中、播州皿屋敷ネタを出していますが(番町じゃないよ)、実際には播州皿屋敷は江戸時代に成立した話だと思います。が、話の年代は古いのであえて使っただけです。

 二.


 ここで少し世情の話をしておこう。
 戦国時代、と後に呼ばれることになるこの時代、大小様々な勢力が興ったり消えたりしている。室町幕府以来の古い家柄はどんどん衰退し、変わってとくに名門でもない家柄の人間が台頭して来ている時代である。
 その大小の勢力図は月々日々に書き換えられているのであるが、徐々に大きな力に集まるようになっており、現在この摂津を取り巻く二大勢力として織田・毛利が上げられる。
 織田はそれまでに本拠の尾張から岐阜へ出て近江から京に入り、将軍を追い出して室町幕府に実質上の終止符を打った。俺と古泉が八部の西で小規模戦を行ったその前年、長篠・設楽原にて武田軍が織田・徳川連合軍に敗れて、武田家はその後衰退することになる。翌年、織田信長は安土に豪華な城を築城したらしい。そして俺たちが横尾氏を伐ち取った頃には伊勢国への進出も始めていた。その一方で大坂(今の大阪)石山本願寺(一向宗の総本山で、この時代の一向一揆にどの武将も手を焼いていた)の攻略には難航していた。本願寺への物資補給は毛利水軍が海上から行っている。この海上補給を阻止するべく行った戦は毛利側の勝利で、大阪湾の制海権は完全に毛利が握っている。
 毛利家は本姓は大江氏であり、つまり古い家柄であろう。安芸から興った勢力で、合戦よりは蝶略をもって中国地方十ヶ国を平定してしまった。そのときの実力者だった毛利元就は既に他界し、養子に出た二人の息子が元就の孫を補佐するという体制をしいている。織田と直接対峙はしていないが、前述の通り石山本願寺に物資を送るなど、反織田の動きは見せている。
 そんな情勢を反映してのことだろう。先の章で述べた小さな合戦からおおよそ一年後、織田信長は中国への侵攻を開始した。
 しかしこの年、信長の戦績はあまり芳しくない。紀州方面もいまいち、北方では信長配下が上杉謙信に破れている。大坂は上述の通りだ。このことは、後に中国攻略の責任者である秀吉に余計な苦労を背負わすことになったようだ。

 そのころの涼宮家はというと、一家のみで織田や毛利の大勢力と対峙するだけの力なんかもちろんなく、こんな土壇場にならなくてもどちら側につくかをとっくに決定していなければならなかった。しかし涼宮弥三郎の妙な自尊心が「誰かの下につく」ということを嫌い、どちら側にもいい顔はせず反抗もせず、という態度をとり続けてきたのである。
 毛利はどうも積極的に国から打って出るということをしないようで、こちらが喧嘩を売らない限りはとくにしかけてはこない。また、同じようにどっちつかずの態度を取ってきていた播州諸氏が緩衝材にもなっていた。
 織田は上述のようにあちこちで苦戦を強いられている時期だけに、動きのない毛利側に兵をさく余裕があまりなかったとも言える。あるいは毛利と織田の間に何か休戦協定でもあったのかもしれない。

 しかし織田が中国侵攻を開始するとなると、摂津の西部を治めている涼宮氏の領地を通ることになる。ここで織田に反抗すれば織田は城を攻略しながら西へ進むだろうし、織田につけば毛利と明確に敵対することになる。また、今現在の播州事情はどちらかと言うと織田よりであり、ここで毛利につくことに決めれば播州勢と、中国侵攻の先鋒である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に挟まれるということになってしまう。
 この数ヶ月後には播州情勢はがらりと変わってしまうのだが、今の俺たちがそんなことを知るよしもなかった。


 この時代に一年近くまともに合戦をしていない大名がいるのかと不思議に思うのだが、まさに涼宮氏がその状態である。俺も横尾氏との合戦以降、戦場に出ることはなかった。実戦の勘が鈍りそうで怖いのだが、出る必要のない戦に出るのも阿呆らしいのでそれでいいのだろう。
 もちろん領地を荒らす盗賊のような小規模勢力はあちこち出没するのでそのたびに小競り合いはあるのだが、合戦と呼べるような物は一つもなかった。
 戦国、しかも畿内という重要な土地にあったにもかかわらず、ぽっかりと穴の空いたような場所、それが摂津西部だったと言ってもいいだろう。

 そんな緊張感のない空気が漂う所領が騒然としたのも無理はない。
 羽柴秀吉が播州入りする、という情報が駆け巡ったのだから。

「それで慌てて評定とは、今までいかに暢気だったのかってことだよな」
 一年ぶりに小清水へと向かう道中、俺のぼやきを聞いて古泉も苦笑する。前回と違って古泉は馬上であり、ついでに言うなら俺と古泉だけではなく古泉の親父殿や重臣もいる。
「どちらにもつかない、というのも一つの戦略ですよ。しかしいつまでもそのままでは行きません。時代は流れていく物ですから」
 しかし“お屋形様”はどうも時代を留めておきたいと考えているようだな、と俺は思った。
 今回の小清水行きはつまり織田方か毛利方かどちらにつくかを決定する評定(会議のようなもの。“ひょうじょう”と読む)を行うためである。昨年の合戦で妙に気に入られた古泉は異例なのだが父子で参加するということになったため、親父殿と一緒にこうして向かっているわけだ。俺? 前回と同じ、単なる荷物持ち兼付き添いだ。
「しかし今更どっちにつくと騒いでもなあ。城に籠もって羽柴方とやり合うって言ったところで無理だろう。毛利方は中国から出てこねえぞ」
「昨年の横尾氏ですが、どこから武器を調達していたかを忘れたわけではないでしょう」
「そりゃ知ってる。本願寺だろ」
 そう、前年の合戦でやたらと準備していた横尾氏の武具は、どうやら本願寺から流れてきていたらしい。ということは土地の一向宗とあわせての蜂起を考えていたということだ。そして本願寺は毛利氏と結びつきが強い。
「織田方と思わせては、また同じように一向宗を利用して蜂起しようとする勢力が出ないとも限りません。お屋形様はそれを懸念しているようですね」
 本願寺の件もあり、また信長の一向一揆にたいする熾烈なやり方も気に入らないのであろう、一向宗徒の信長への怒りはすさまじい物がある。これをうまく煽って親織田派の土地で一揆を煽動している輩もいるのであろう。横尾氏もそんな一人だった。
「しかし今毛利につけば、織田と播州を敵に回すことになるわけだろ」
 播州事情はいまいち分からない。が、今回の秀吉の播州入りは乞われてのことと聞いているので、播州は織田派だと考えていいのだろう。勢力的に考えても勝てるとは思えない。
「まあ、それはとにかく今日の評定で決定するでしょう。これ以上引き延ばすこともできませんから」

 小清水に着いて仰々しく城内に入った古泉親子を見送って、俺は城門の外で待機することになった。今回は配下を集めての評定ということで、俺と同じように付き従って来て城内に入れない人間がそこら中をうろうろしている。
 見知った顔でもいるかと辺りをぶらついていた俺の耳に、突然女の悲鳴が飛び込んできた。

「ひゃあああああ! や、やめてくださあい!」

 女性の悲鳴を聞いて放置するほど俺は廃っちゃいないつもりだ。慌てて声のする方に駆け出していった。
 俺と同じようにその方向に駆け出した数人とともに角を曲がって目にした光景を見て、俺は一瞬我が目を疑った。

 おーい。何やってんだ、お前は。

 一年ぶりだな、なんて感慨はない。それどころではない。
 そこにいたのは間違いなく春日姫であり、その傍らには悲鳴を上げた女などそこにはいないとでもいうように長門も佇んでいる。悲鳴の出所はこの二人のどちらでもなく、見たことのない女性、いや、女の子と言った方がいいのか。
「ひぇえええ! わ、ちょ、やめてえええ!」
 しかし幼いとはいえすげえ可愛い顔立ちをしているな。春日姫も美人なんだがまた違った方向で……って、暢気に女の子の描写をしている場合じゃねえ。
「みくるちゃ~ん! もうなんでこんなに可愛いのよ! もっと悪戯させなさい! こら、逃げるな!」
 わたわたと何とか逃げようとする女の子、みくるちゃんと言うらしいが、その子の後ろから羽交い締めにするように胸をまさぐる阿呆女。なんだこの図は。
 しかし今日は城で評定が行われるとあって、この辺りは大勢の男がたむろしているわけで、そんな中で行われるこの何ともあられもない光景はその男どもの目を喜ばせる役に立ってしまっているようだ。その状況を解っているのだろう、女の子は耳も首筋も真っ赤になって抵抗しているが、春日姫の方がどう考えても上手だ。
 こりゃ止めないと彼女が可哀相だな、しかし長門はただ立ってるだけで何か言うことはないのかと思いつつ足を進めようとした俺の肩を誰かが掴んだ。ってなんだ、ここにも阿呆がいたか。
「よ、久しぶりだなキョン」
 声をかけてきたのは谷口だった。谷口程度の身分ではもちろん評定に参加するわけもないのだが、やはり気になるのか城の辺りまで様子を見に来たらしい。
「ああ」
 返事してまたこのよく解らない光景に目をやる。
「なんだあれは」
「ま、小清水ではおなじみの風景ってことだな」
 嬉しそうにニヤニヤと笑みを浮かべて春日姫の悪戯行為を眺めている谷口。やめとけ、変態に見えるぞ。もっともこの界隈にいる男どもはどいつもこいつも谷口と同じような顔をしている阿呆面ばかりだ。
「誰も止めないのか」
「止められるわけないだろ。あれが誰か知らねえのかよ」
「知ってる。春日姫だろ」
 確かに下手に止めに入れる相手じゃないだろうが、しかしこのままでは彼女が気の毒過ぎる。しかも谷口曰く小清水ではおなじみの風景って、毎度こんなことばかりしてるのかよ、あいつは。谷口より阿呆かもしれん。
「おいキョン、どこ行くんだよ、まさかお前……」
 俺は溜息を一つ吐くと、まだ騒いでいる春日姫の方へと歩いていった。谷口がなんか言ってるが知らん。
 俺がすぐそばに行ったときには春日姫は小袖の襟元から手を滑り込ませ、直にその小柄な身体に似合わず豊かな胸を触ろうとしていたところだった。羨ましいなこの野郎。

「おい、そろそろやめとけ」
 そのころには女の子はぐったりとして抵抗もせずなすがままになっていたが、止めに入った俺を潤んだ瞳と驚きの表情をもって見上げた。いいね、その表情。なんかこう心に来る物があるな。いろんな意味で。
「何よあんた」
 春日姫も驚いたようで、その女の子に抱きついたまま俺を見た。もしかしてもう忘れられたか。
「久しぶりじゃない。ここで何してんのよ」
 忘れられたってことはなかったか。しかし何してる、と聞きたいのは俺の方だ。
「城で評定が行われるってのは知ってるんだろ。俺は単なる従者として来ただけだ」
「古泉くんの?」
「そうだが」
「ふうん」
 その話はもう興味が失せたらしい。しかし今日の評定はある意味涼宮家の行く末を左右する物になるかもしれないってのにまったく関心がないんだな。
「あの馬鹿親父がこの局面でいい案出せるわけないわよ。どうせ馬鹿な方向に梶を切るに決まってるわ」
 この上なく不機嫌そうな顔になったかと思うと、ぱっと笑顔に変わった。忙しく表情が変わるやつだな。
「そうそう、紹介するわ! 朝比奈みくるちゃんよ! 可愛いでしょう!」
 先ほどまで春日姫が弄んでいた女の子は朝比奈みくるさんと言うらしい。多分春日姫の侍女なんだろう。そういや長門もここにいるということは侍女なのか? 涼宮家の忍じゃないのか? でも春日姫はあのとき「あたしの」と公言していたな。どういう位置づけなんだろう。
「あ、朝比奈みくるですっ。よろしくお願いします」
 少し慌てたように挨拶をしてくれる様も、春日姫に言われるまでもなくめちゃくちゃ可愛い。
「いえ、こちらこそ……」
 なんて挨拶をして一応名乗った方がいいのかと考えていたとき、後ろから余計な奴が邪魔しやがった。お前はちょっと空気読めよ。
「お、おいキョン! お、おおお前いったい……」
 振り返るとあごをかくんと下げ、少し青い顔をした谷口がいた。おい、阿呆面に磨きがかかってるぞ。何をそんなに驚いているのかと首を傾げたが、それよりこいつが余計なことを言ったことに気がついた。お前、俺をその名で呼ぶなと言ってるだろうが!
「あんた、キョンって名前だったっけ?」
 違う。断じて違う。だいたい先の合戦で名乗っただろうが、覚えてねえのかよ。俺の名前はだな……
「ま、いいわ。変に長ったらしい名前名乗られても困るし、キョンの方が覚えやすいじゃない」
 おい。足軽出身の俺がお前の親父のような長ったらしい名前を持っているわけがないだろうが。
「よろしくお願いしますね、キョンくん」
 いえいえ、こちらこそよろしくお願いされちゃいますってなんであなたまでその名前で呼ぶんですか。
「……キョン君」
 な、ながと!? お前もか!?
「……冗談」
 冗談ってのは笑いながら言うもんだからな、そんな無表情で言わないでくれ、心臓に悪い。いつから冗談を言うような性格を獲得したんだ。
「じゃあキョン、行くわよ!」
 だからその呼び名はやめてくれ。行くってどこに行くんだよ。
 春日姫はその瞳にいつかの星空のような輝きを込めてはっきりと言った。

「不思議を探しに行くのよ!」

 はい? なんつった?
 ……待て。俺はここで待機中、評定が終わったら古泉を迎えなければならん。多少うろついても、いざ出てきたときに俺がいないという状況はまずい。
「大丈夫よ、どうせ評定は夜になっても終わらないわ」
 何故そう言い切れる。
「そんなに早く終わるなら、そもそも今更評定を開く必要がないからよ」
 そう言う春日姫の表情はまた少し暗い。
 もしかしたら、この姫は時世を読んで自分なりの判断があるのかもしれない。だが、その口ぶりからして自分の意見が父親に容れられることがあまりないようだ。その不満が、こういう話題になったとたんに不機嫌になる理由か。
 などと考えている間に、春日姫は俺の袖を掴んで引っ張ると通りをずんずん進んでいく。後に慌てた朝比奈みくるさんと、まったく動じていない長門がついてきて、それを相変わらず阿呆みたいに口をあんぐり開けた谷口が見送っていた。ついでに通りにいた面々にも注目されているのが妙に恥ずかしい。せめて自分で歩くから袖を離してくれ。
「で、なんだ不思議って。探すってどういうことだよ」
「不思議は不思議よ。妖怪でも化けた狐でもなんでもいいわ、御伽噺だけじゃなくてちゃんと目の前に現れるのをこの目で見るのよ! いいから探す!」
 まったく意味がわからん。俺に言わせりゃ不思議なんざ目の前にあるぜ。
 お前が一番不思議だよ、春日姫。


 俺が春日姫に引きずられている途中、古泉の親父殿の近従として来ていた新川さん以下数名に事情を説明して城から離れることを言付けた。何だかからかうような顔で聞いていたのはどういうわけですか、と聞く気力もない。まあ相手が春日姫なら古泉も文句は言わないだろう。どのみち俺はいてもいなくても良かったんだからな。こんなことなら花熊の警護として残っている国木田と代わるんだったと後悔しても文字通り遅い。

「で、どこに行くんだ」
 不思議を探しにと言っても具体的にどこに行くのかは聞いていない。なんか噂でもあって調べに行くのかと思ったら、まったく考えていないようだ。
「どこにあるか分からないから不思議なんでしょ!」
 だから不思議なのはお前の頭の中身だよ。どこにあるのかも分からないものを探せって、海の中から特定の小石を拾ってこいと言っているようなもんだ。そもそも不思議なんて抽象的な物を探したって見つかりっこないじゃないか。
「そういや永正の時代に播州で殺された女が夜な夜な井戸で皿を数えているという噂があるぜ」
 本当かどうかなんて分からないが、こういう話は時々流れるもんであり、だいたいは噂であって本当に見た奴なんか出てこない。正直俺も信じちゃいないんだが。
「播州じゃ遠すぎるわよ。播州のどこ?」
「姫路って話だ」
「なおさら遠いわよ」
 せっかく俺のもたらした情報を「遠い」の一言で切り捨てると、春日姫は不機嫌そうに前を見たままずんずん歩いていく。姫路じゃなく明石の辺りなら行くと言い出しかねないな。そうするとまた八部に出しゃばってくるわけで俺の苦労が何故か増える気がする。うん、姫路で良かった。
 かなり早足なので朝比奈さんは小走り気味に必死でついてきていて、長門はまったく急いでいる様子もないのに遅れずについてきている。いつもこんな風なのか、こいつら。こんな速さで歩いていながら何かを探すも何もないんじゃないかと思うのだが。
「あの……」
「なんでしょう」
 朝比奈さんが小さな声で話しかけてきた。小柄で幼い顔立ちなのだが、この人の可憐さの前では思わず俺も丁寧に対応せざるを得ない。姫らしくないどっかの姫様にも見習って欲しい物だ。
「姫さまは、多分城にいたくないだけだと思うんです。今回の評定をずっと『馬鹿馬鹿しい』とおっしゃってましたから……」
 なるほど。これだけ人が集まると城の女は忙しいはずだが、その義務から逃げ出してきたってわけか。
「台所はどちらの方が預かっているんですか?」
「それはもちろん姫さまのお母様です」
 普通はそうだろうな。そして今回のように人が集まるときはそれなりに馳走するだろうから、台所は大忙しのはずだ。それを指示するのも武家に生まれた女の仕事である。本来なら春日姫も手伝うはずなのだが、馬鹿馬鹿しいと一蹴した事柄に荷担するのが嫌なのだろう。
 しかしこの時代に我が儘でしかないぞ、それは。

 ただ闇雲に歩いているだけの「不思議探し」と称した散歩は続き、やがていつか来た川原へと到着した。ここまで来ると人気が少ないのも相変わらずで、そういやここで春日姫と出会ってから丁度一年くらいだな、と俺はなんとなく考えていた。
 春日姫は以前と同じように適当な木の根本に座り込んで川を眺めている。なんだ、ここはこいつのお気に入りの場所なのか。
「ここに頻繁に来るようになったのはこの一年のことです。以前はそんなに来なかったんですけど……」
 なんだろう、ここで不思議な目にでもあったのだろうか。じゃあ一年前のあのときここに来たのは単なる偶然だったのか?

 そんなことをぼけっと考えながら川を眺めていたときだった。
 完全に油断していた。辺りに人の気配はなかったはずだ。いったいそいつがどこから現れたのか、後から考えてもさっぱりわからん。
 自分に向かって一陣の風が吹いてきた、としか感じられなかった。

 金属のぶつかる音がして、次の瞬間俺の目の前に長門が立ちはだかる。どこから出したのか、って袂か文字通り懐にでも入れていたのだろう、懐刀を握り“そいつ”と対峙していた。一方の“そいつ”は小太刀を握って長門から数歩下がった位置に笑顔で立っている。
 女だ。しかもかなり美人の。かなり薄汚れているのはどこか遠くから流れてきたのか。
 いや待て、どういうこった? いきなり見知らぬ女が目にも留まらぬ速さで俺に斬りつけてきて、そこに長門が割って入って小刀で受けたというのか?
 って状況説明したところでわけがわからん。
「久しぶりね、長門さん」
 小太刀を弄ぶように振りながら長門に挨拶する女。なるほど、長門の知り合いか。長門以外にこんな動きができる奴がいるとは世の中広いね。しかしもし腕が同等なら、小太刀を持つ女に対して小刀しかない長門では不利だ。助太刀したいところだが、おそらく何の役にも立たないだろう。
 俺は腰に差していた太刀を抜いた。女は当然それに気付く。
「あら、長門さんを助けるつもり? 悪いけど何の役にも立たないわよ」
 そんなことは分かっている。多分俺は自分が斬られたことにも気がつかないまま命を落とすだろうよ。そのために抜いたんじゃねえ。
 俺は抜いた太刀の柄を長門の空いている手に触れさせた。こちらを向いていなくても長門はそれだけで分かる、と思う。
 次の瞬間、俺の手から太刀が消えついでに俺の目の前から長門が消えた。
 俺に分かったのは再度の金属がぶつかる音だけだ。
「あーあ、折れちゃった。ま、いっか」
 数瞬後に俺が目にしたのは、折れた小太刀の柄を握る女と、それに俺の太刀を突きつけている長門であった。ふと気付くと春日姫が俺の横に立っている。いつの間にそこにいたんだ。
「朝倉涼子。ここで何をしている」
 太刀を突きつけたまま冷静に訊く長門に、朝倉涼子という女は再び微笑みかけた。
「やあね、単なる挨拶よ。こんなところで長門さんを見かけたからつい嬉しくて襲っちゃったの」
 いや、だから待て。嬉しくて襲うってどういうこった。何なんだこの女は。この川原は変な女御用達何じゃないだろうな。ただし、朝比奈さんを除く。
 そういや朝比奈さんは、と振り返ると俺の後ろにぺたんと座り込んで、その大きな目を見開いていた。あーこれは腰を抜かしているな、多分。
「迷惑。それに襲うなら彼ではなくわたしにするべき」
 確かに見知らぬ女に襲われる理由はない。何で俺に向かってきたんだ?
「だって、長門さんに直接攻撃しても一撃で撃退されちゃうじゃないの」
 そういって俺に微笑みかけるのだが、嬉しくねえぞ。一歩間違えたらこんなところで意味もなく無駄死にじゃねえかよ。

「ちょっとちょっと! 何なのよいったい! 有希、誰そいつ。敵なら斬っちゃいなさい!」
 春日姫の命令に、長門は太刀を持ち直した。
「待って! ごめんなさい、危害を加えるつもりはないの! ないってば長門さん、お願いだから刀をひいてよ!」
 長門は春日姫を見て、それから俺を見た。危害を加えるつもりはないって本当かね。
「そいつがどういう人間か分かってるのが長門しかいないなら、斬るも斬らないも長門が判断すればいいんじゃないのか」
 そういってやると長門はわずかに頷き、刀を下ろした。どうやらこういうぎりぎりのふざけ方をする女らしいが、本当に殺したりはしないらしい……よな? 信じていいよな? 長門。
「もう、有希ってば! 遠慮することないわよ!」
「お前はそんなに血が見たいのか」
 いきなり攻撃してきた朝倉という女を敵認定したらしい春日姫は不満そうだが、長門の旧知と言うなら長門に任せた方がいいじゃないか。
「それはそうかもしれないけどさ。それよりあんたもいきなり斬りかかられたんだから少しは抵抗を見せなさいよ! 武士の端くれでしょ! 有希に守ってもらってるだけなんて情けなくないの!」
 何故か俺に矛先が向いた。面目ないことは認めるが、あんな非常識な動きについて行けるような才はない。あいにく凡人なもんでね。
「あら、あのとき長門さんに刀を渡すなんて、あの状況では好判断だと思うわ。ボーッとした顔してるのに意外と頭が働くのね」
 そりゃ褒めてるのか馬鹿にしているのかどっちだ、と訊こうとしたのだがそれを口にはしなかった。

 ぐ~きゅるるるるるるる。

 誰かの腹が盛大に鳴り、朝倉涼子が赤面したのを見てしまったからだ。
「あの……長門さん……。昨日から何も食べてないの……」
 人に飯を食わしてもらおうとするなら、その人間に刃を向けてはいけません。ちゃんと覚えとけよ。


 春日姫は渋ったが、長門に無言で見つめられるのには弱いらしい。なんとなく分からないでもない。あれだけの腕前を見せる手練れのくせに、何故か無言で見つめられると腹を空かせた幼子の目の前で菓子でも食っているような、言うことを聞いてやらないとこっちが悪いことをしている気分になる。
「わかったわよ! 何か食べに行きましょう!」
 と言うわけで、昨日から何も食べていないという朝倉のためにどこかに食いに行くことに決定。とは言えこんな時代、どこかに食い物屋が店を構えているわけではない。かといって戦陣食を持ち歩いているわけでもなく、遠出するときはたいていその辺の農家に銭を払って飯を食わせてもらうことが多い。
 今日は小清水からそんなに離れていないので城に戻ればいいのだが、事情が事情だけに春日姫は戻らないだろう。となると在所の民家に食わせてもらうことになるのか。と思ったが、春日姫はあてがあるらしく迷った風もなく歩き始めた。

 どこへ行くのかという問いを無視して川沿いをしばらく上っていくと、やがて寺が見えた。この辺りは古い神社があるせいで寺が少ないのだが、まったくないわけではないのか。遠慮なく入っていくところを見ると馴染みの寺なのかもしれない。
「森さーん! こんにちはー! 何か食べさせてー!」
 小さな寺で表には人もいなかったが、大声をかけると中から人が出てきた。
「これは姫様、いらっしゃいませ」
 丁寧にお辞儀をして迎えてくれたのは女性僧、つまり尼さんである。随分若く見えるがいくつなんだろう。俺たちと同じ歳くらいにも見えるし、だいぶん年上という雰囲気もある。尼姿がそうさせているだけかもしれない。
 って待てよ。尼寺ってことは男子禁制じゃないのか?
「ご心配なく。男子禁制は本堂と奥の地のみとなっておりますから」
 この入り口近辺の敷地と僧坊のような小ぶりの建物は大丈夫らしい。男子禁制だから入ったらどうかなるというわけではないのだが、やはり禁制地に足を踏み入れるのは気が引けるからな。
 尼さん……森さん、というらしいがはにっこり微笑むと、春日姫に向かって言った。
「食事の支度をしますので、それまで湯に入られますか?」
「お願いするわ! もうこの朝倉って子、随分汚れてるもの」
 湯? 寺だから湯屋(寺の施設で、僧が仏事の前に身を清めるための一種の風呂)があってもおかしくないが、しかし僧でもない人間が入ってもいい物なんだろうか。俺が首を傾げていると、森さんに代わって春日姫が説明してくれた。
「この寺の裏に温泉が沸いてるのよ! もちろん湯屋にも使ってるけど、あたしたちも時々入らせてもらってるのよ」
 そりゃいいね。しかしこの辺りに温泉が沸くとは知らなかったな。
「どっちにしても温泉の辺りは男子禁制だからあんたは入れないけどね」
 春日姫はニヤリと笑ってそんなことを言った。んなことは予想済みだ。勝手に女同士で入ってろ。羨ましくないと言えば嘘になるが口には出さないことにする。

 女四人が姦しく騒ぎながら風呂場へと行ってしまい、森さんも食事の支度へと立ってしまったので、一人ぼーっと僧坊の縁に腰掛けているしかすることがなくなった。しかし森さんと呼んでいたが出家名があるんじゃないのか。もともとそう呼んでいたから習慣となってしまっているだけなのかもしれない。
 暇になってしまうとどうしても現在城で行われているはずの評定のことばかり考えてしまう。俺がここで考えても仕方がないのだが、今後俺の人生も左右されかねないので気にするなと言う方が無理だ。
 情勢から考えると織田につくべきだと思う。毛利に味方しても、例えば小清水が織田に責められたとき毛利が動くかというとそう動かないのではないか。今までの動きを見ると、毛利は中国を固めることに専心していて天下に色気を出すようには見えない。古泉も親父殿もそう考えている。
 しかし涼宮家としてはどうだろう。自分も名門の出であることを誇りにし、ときにそれにこだわっていることを考えると、出自のよく分からない織田よりは毛利を取りたいという気持ちが強いのではないか。それにこの播州に近い土地柄、尾張から出てきた織田より毛利の方が強大に見えるということ、更に織田は各地で苦戦を強いられていていずれ京を追われるのではないかという考えもあるに違いない。涼宮家古参の家臣たちもおそらく毛利よりだろう。
 さて、親父殿が上手く説得してくれるといいが、新参の古泉家はいくら一番家老とは言っても難しいかもしれないな。春日姫は「評定は夜までかかる」と言っていたが、確かにそうなりそうな気がしてきた。

「何をお考えですか」
 本気で呆けていたのでいきなりかけられた声に飛び上がりそうになった。この辺りの女は俺を驚かすのが得意なのか。
「あ、いえ、今頃城はどんな具合かと思いまして」
 食事の支度をしているはずの森さんがいつの間にか傍らに立っていた。いくら呆けていたとはいえ、足音にも気がつかないというのは武士としていかがな物かと自分に問いたくなる。
 森さんは俺の返事にただ微笑んだだけで何も言わずに、話題を変えた。
「まさか姫様が殿方をお連れするとは思いませんでした」
「尼寺なのにすみません」
「いえ、そういうことではございません。そもそも姫様は男性がお嫌いでしたから」
 男嫌いって……やっぱりそういう意味なのか? なんて考えてしまった俺の心の内を読んだのだろう、くすくす笑いながら否定した。
「勘違いなさらないでくださいね。そういう意味ではなく……そうですね、姫様はまだ子供なんでしょう」
 よくわからん。が、初対面のときから考えてもとくに男が嫌いだとは思えなかったけどな。
「男に負けたくないとお思いです。それでも女に生まれた以上政治に口を出せる機会は少ない。むしろ政治的に利用されることになることがお嫌なんだと思います」
 政治的に利用、というのは政略結婚のことだろう。涼宮家に嫡子がいない以上婿養子を取るか、それとも自分はどこかに嫁いで涼宮家は養子を入れるかということになるのだろうが、今のところ養子を取っていないということは婿養子を考えているのかもしれない。
 ……あれ。なんかむかっ腹が立ってきたのは何故だろう。武士の娘なら婚姻ってのが政治上の道具でしかないのはむしろ当たり前だし春日姫だってわかってるだろう。それが嫌だって気持ちもわかるけどな。
 何だかよく分からない苛々を振り切るために俺は話題を変えた。
「この寺は涼宮家に縁があるのですか」
「はい、その通りです。私自身も姫様にお仕えしておりました」
 森さんが答えるには春日姫の曾ばあさんに当たる人が出家したのが縁起らしい。そしてこの人は春日姫が幼少の頃からそばに仕えていたそうだ。それにしてもまだ若く見えるのに何故出家したんだろうか。
 さすがに出家理由まで聞くのは憚られたために聞きそびれ、その間に湯に入っていた女性陣が戻ってきた。
 湯上がりの上気した肌が桜色に染まっていて、別に肌を見せるような格好をしているわけでもないのに何故か目のやり場に困ってしまう。だいたいなんでこんな女ばかりのところに俺一人男が混じってるんだ、と根本的な疑問に立ち返っていると春日姫が文句を言った。
「何じろじろ見てるのよ」
 目のやり場に困ると言いながらいつの間にか春日姫を見ていたことに気がついた俺は慌てて視線をそらした。ただ単にさっきの森さんとの会話からちょっと気になっただけで他意はない。

 それにしても、城はきっと大変だろうと言うのにこんなことをしてていいのかね、まったく。