鬼ごっこ 前編
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前編 後編

 学校ってのは学生にとって勉強をしに行く場所でありそれが「学生の本分」なんて言われるのであるが、当の学校はというと勉強だけが大事なんじゃないぞと言う建前を持っているらしい。それが証拠に時間割表を眺めていると勉強以外に割り当てられている時間が存在する。LHRとかいうその時間は、例えば文化祭等のイベント前に出し物を決めたりすることに使われるのだが、特にイベントのない時期は「クラスの親交を深める」という非常に今更な名目でよくわからないレクリエーションが行われたりするのである。
 今がまさにそのレクリエーションの時間であり、することが思いつかなかったのかそれとも熱心に考えた結果がこうなったのかはわからんが、その内容はこんな歳になって「鬼ごっこ」になった。何故鬼ごっこなんだ。グラウンド使用許可取ったんだから野球かなんかにすりゃいいのにな。岡部はハンドボールしたそうだったぞ。
 鬼ごっこと言っても通常思い描くルールとは異なり、最初の鬼は学級委員以下数名。鬼はそれとわかるようにハチマキを着け、鬼に捕まえられた人間も鬼となる。交代制ではない。
 つまり、時間が経つに連れてどんどん鬼が増えていく、というルールだ。全員が鬼になるのが早ければ2回戦、1人でも残っていればLHR終了時間の10分前でタイムアップ、ということらしい。
 しかし30分以上は鬼ごっこを続けなきゃならんわけで、結構ハードだよなこれ。特に最後まで残った人間はクラス全員を相手にしなきゃならないわけで、建物以外の敷地ほとんどが範囲とは言え逃げ回るのはそうとうな苦労が必要だろうな、なんて他人事のように考えていた。俺が最後まで残るとは思わん、むしろさっさと捕まって適当にやっていた方が楽なんじゃないだろうか。
「最初に捕まった奴は罰ゲームだからな。最後まで残った奴は学食のタダ券3日分を進呈!」
 と、学級委員が言ったとたん、俺の後ろの座席あたりから放射された謎のエネルギーで周りの気温が2度ほど上昇した。
「キョン! 絶対勝つわよ! あんたも最後まで残りなさい!」
 いきなり俺の襟首を掴んで身体を乗りだし、耳元で叫ぶハルヒ。この近距離でそんな大声を出すな、比喩でなく耳が痛い上にクラスの注目を浴びてるじゃねえか。
 ニヤニヤしたり呆れたりしているクラスメイトの注目の的になりながら、俺は溜息をついた。適当にやってたら別の罰ゲームを喰らいそうだな。こいつが考える罰ゲームに比べれば学級委員が考えた罰ゲームなんて子供が考えたようなもんだろ、とこのとき俺は思っていた。
 ある意味間違ってはいなかったんだがな。

 わざわざグラウンドの真ん中にいったん集合、ラインカーで適当な円を描く。鬼はそこから出発で、鬼に捉えられた人間もいったんここに戻ってからハチマキを受取り再出発というルールらしい。確かに誰かと行動していて1人だけ捕まった場合とか考えると公平なルールと言える。
 鬼は学級委員に運動部に所属している2人、それに岡部もらしい。ハンドボールがいいと文句を言っていたわりには乗り気だな。
「じゃ、始めるぞ! 俺たちが100数えている間に逃げてくれ」
 いーち、にー、と数え始めた鬼の声を背にさて、どこに逃げようかねと考えた俺の手首は誰かに捉えられ、そのまま引きずるように走らされた。誰かって、こんなことする奴は1人しかいない。
「さあ行くわよキョン! 目指すはタダ券3日分! クラスの連中に負けるわけには行かないんだからね!」
 お前は普段から学食だからタダ券に目の色を変えるのもわからないでもないが、日頃弁当の俺はあまりありがたみがないし、第一最後まで残る自信もない。
「自信がなくてもやるの! SOS団の団員として、最前を尽くさずに息絶えるなんて言語道断よ!」
 鬼ごっこで死んでたまるか、と思ったが、こりゃあっさり捕まると団長様に息の根を止められそうだ。走りながら話しているとそれだけで息が上がってくるのだが、平気な顔をしてハルヒはしゃべる。こいつなら本当に最後まで残りそうだな。
 ハルヒ1人で行った方が捕まる確率は低いんじゃないか、と思ったが、俺の左手首はがっちり掴まれて離れそうもない。仕方ない、余裕があるうちはこいつに付き合うか。

「待てー!」
 あまり気合いの入らない声で、鬼のハチマキを着けた連中がこちらの方に駆けてくる。もう100数え終わったのか。
「開始早々捕まるなんてキリストと釈迦が許してもあたしが許さないわ! 逃げるわよ!」
 3大宗教ならマホメットも加えてくれ。
 相変わらず俺の手首は捉えられたまま、猛然とダッシュするハルヒにまた引きずられて走り出す。どう考えても俺を離した方が早いはずなんだが、それにしても鬼をやっている運動部の連中よりも早く走れるって、お前は何者なんだよハルヒ。

 さて、時間は順調に過ぎていき、当然の如く鬼も順調に増えていく。気がつけば俺とハルヒ、それに数人のクラスメイトが残るのみとなっていた。残り時間は後10分。ずっとハルヒに連れ回されていたおかげで俺の運動能力を超えたペースで走らされ、疲労困憊だ。もうそろそろ楽にさせてくれ。
 おそらく20人は越えている鬼に追われながら、未だに捕まらずに走れるコースを選べるハルヒは本気ですごいと思うが、俺はもうハルヒのペースには付いていけない。
「こらあ! キリキリ走りなさい!」
 って無理! 俺は平凡な人間で、30分間ハイペースで走り続けるなんて芸当は出来ないんだよ! 
 畜生足痛え。そういや筋肉が疲労するのと乳酸は直接的には関係ないらしいなんて生物教師が言ってやがったな、なんて余計なことが頭をよぎり、集中力を欠いた俺は、
「────痛え!」
 情けないことに見事にすっころんでしまった。転びそうになった瞬間、咄嗟にハルヒの手を振り払ったおかげで巻き込まずに済んだ。雑用係の心遣いに感謝しろよ、団長。
「キョン! 大丈夫!?」
 すぐに足を止めて振り返るハルヒと地面に転がっている俺に鬼どもが迫る。
「アホか、早く逃げろ!」
 なんて何を真剣に叫んでいるんだか、と思うが結構こういう遊びはマジになってしまうもんなんだぜ? 試しにやってみるとわかるさ、特にタダ券なんて物が懸かってる場合はな。
 ハルヒは一瞬迷った表情を見せ、次に……あれ? 気のせいか?
 たが、すぐに踵を返して走り出した。俺も慌てて立ち上がる。膝から血が出ているが後で洗えば問題ないだろう、と思った瞬間に鬼に捕まった。ジ・エンド。
「残念だったな、キョン!」
 忌々しいことに俺を捕まえたのは谷口であった。なんでよりによってこいつなんだよ、出来れば是非女子に捕まえてもらいたかったもんだ。
「負傷者捕まえて喜ぶなよ」
「おお悪い、大丈夫か?」
 まあ悪い奴ではないよな、俺の怪我を見て少し心配そうな顔をしてくれるあたりは。
「まあ単なる擦り傷だ、たいしたことないさ。さて、俺も鬼になるか」
 ルール通りグラウンドの真ん中まで、ハチマキを取りに戻ることにしよう。
 ずっと掴まれていた手首が少し痛い。ようやく解放されたってのに、なんとなく物足りなく思うのはなんでかね。

 俺がハチマキを取りに戻ると、ほかに2人ほど捕まったらしく新たに鬼になる人間が来ていた。さて、ハチマキの残りは……って、後1人かよ! その1人が誰かなんてことは考えるまでもない。
 これでハルヒはクラス全員から追われる身となってしまったわけだ。
 とは言え、鬼も走りっぱなしで疲労している。良く見るとそこかしこでダレている奴らがいて俺もハルヒを追っかけ回すよりその辺でのんびりしてようかと考えていたってのに、なんでそれを許してくれないのかねこの団長様は。
 校舎側にいたハルヒがグラウンドに出てきた。それを数人の鬼が追っている。ハルヒもさすがに疲れてきたと見えていつもの俊足ではなくなっているが、追う側の方がもっと疲れてるぞありゃ。
 走ってくるハルヒは俺に気がついたらしい。ニヤリと笑うと一直線に俺に向かって来やがるんだが何を考えているんだ?
『捕まえられるものなら捕まえてみなさい』
 そう言いたいのかよ。冗談はよしてくれ、俺はもうへろへろに疲れて汗もかいてるし、購買でお茶でも買ってのんびりしたいところなんだよ。なんて考えている間に目の前に来たハルヒは急停止すると90度方向を変えた。サッカー部に勧誘されそうなほどの見事なフェイントに感心してる場合じゃない。
 畜生そう来たか! 待ちやがれ!
 ……後から考えると、何だかんだ言いながら俺も結構熱くなっていたんだよな。

 ペースが落ちたとはいえ悔しいが俺より俊足なことには変わらないわけで、ちっとも距離がつまらないどころか引き離されてしまう。コースが設定されているワケではないグラウンドをひたすらおっかけっこしているうちに妙なことに気がついた。
 おい、なんで俺以外誰も追いかけていないんだよ! 俺1人で捕まえられるわけもないだろうが!
 なんとなく遠巻きにみられている中で追いかけっこなんて恥ずかしすぎる。それに足が完全に棒と化している。
「悪い、もう限界だ」
 足がもつれそうになって俺は追うのを止めた。ハルヒも気付いて足を止める。
「何よ、情けないわね」
 うるせえ、だから俺は平凡なただの人間だと何度言えば分かる。これが長門ならきっと最初から最後まで同じペースで走り通したかもしれないがな。朝比奈さんは一番最初に捕まりそうだが。
 てか、ハルヒが止まってるんだから誰か捕まえに来いよ、と思った俺の肩を学級委員が叩いた。

「さっきからタイムアップだと言ってるんだけど、聞こえなかったか?」
 マジで? 俺たちだけ気付いていなかったってことか? 顔から火が出るってこういうことか、何事も経験……なんて思えるか!
 だからちょっとムキになっていただけだ、笑うなこの野郎。


 その後、表彰式と称してハルヒに学食タダ券3日分が贈呈された。こういうとき部室なら100W電球どころじゃない明るさの笑顔をふりまくのだが、やはり50Wくらいにしか感じられないのが惜しいね。お前も結構楽しんだくせにな。
「何よ、その目。なんか言いたいことある?」
「まあ、おめでとうくらいは言っておこうかね」
「当然の結果でしょ!」
 そう言って俺に向ける笑顔は照度が倍になっているようで、慌てて目をそらした。間近であんまり明るい物を見るのはよくない。
「じゃ、罰ゲーム発表しまーす!」
 ノリノリの学級委員が、最初にハチマキを取りに来たらしい男子生徒を捕まえて嬉しそうに発表するには……。
「ここでクラスの誰かに告白してもらいます!」
 なんだよ、その小学生みたいな罰ゲームは! しかもクラスの誰かにって、好きな奴がクラス内にいるとは限らないんじゃないのか? ハルヒはくだらない、とでも言いたげな表情になっていた。さっきまでの笑顔はどこへ行ったんだ、ころころ表情の変わるやつだな。
「まあこの場限りでもいいから! ただし男はダメだ、ギャグにしかならないから」
 件の男子生徒は明らかに挙動不審になっている。そういや足の速さから考えて女子の方が先に捕まりそうなもんだが、もしかして狙われたのか?
「え、でも、俺は……」
 焦ってる男子生徒を引っ張り出して先ほど白線で書いた円の中心に立たせる。明らかに焦っている様子から、もしかしたらクラスに好きな奴でもいるのかね、なんて暢気に考えていた俺の耳に信じられない名詞が飛び込んで来た。

「す、す……涼宮ハルヒさん!」
「────へ?」
 予想外だったのはハルヒも同じだったらしく、目を丸くして男子生徒を見つめていた。だいたいハルヒはクラスメイトのほとんどと接点がない。俺以外だと谷口に国木田、それに阪中くらいがかろうじて話す相手だ。そのハルヒを指名だって?
「涼宮さん、ご指名なのね! 早く行くのね!」
 何やらキャーキャー騒いでいる女子の一団からその阪中が出てきてハルヒの腕を引っ張り、クラスメイトが囲んでいる輪の中心に連れて行く。まだ呆然としたまま戻ってこないハルヒはなすがままである。
 男子生徒はハルヒを前にすると顔を真っ赤に染めた。おい、可愛い女子なら微笑ましいが野郎がそんな顔をしてもイタイだけだぞ。

「あ、あの、す、涼宮さん……」
 焦りながらも何とかかみまくりながら予定されたセリフを言おうとでもしているかのように、そいつは言葉を絞り出す。俺からはハルヒの表情は見えない。まだ驚いているのか、それともウンザリしているのか、まさか期待しているとも思えないが。
『一時期は取っ替え引っ替えってやつだったな』
『何でか知らねえけどコクられて断るってことをしないんだよ、あいつは』
 入学間もない頃の谷口の言葉が唐突に思い出された。谷口の言葉を疑う理由はなく、てことはもしかしたらこいつはこの告白を受けるのかもしれない。長くて一週間と言っていたよな、じゃあその期間は俺はこいつから解放されてのんびり過ごせるってわけか。いいじゃねえか、SOS団に関わってからこっち休暇がなかったようなもんだしな。
 そう考えながらもモヤモヤした物が胸中をうごめいていて落ち着かない。

「……お、俺、その、涼宮さんのことが……」
 八百屋に並べたらトマトと間違って買って行かれそうな顔をしているそいつの言葉をハルヒは黙って聞いている。見えないハルヒの表情を想像すると、何故か先ほど見せた顔が思い出された。転んだ俺を置いて行ったとき、逆に自分が置いて行かれるような寂しげな表情をしたのは、俺の気のせいか?
 無意識に、俺はさっきまで掴まれていた手首を自分で握っていることに気がついた。離れたときに感じたのは解放感か? いや……。

「涼宮さんのことが、s……」
「ちょっと待ってくれ!」
 気がついたら叫んでいた。クラス中の視線が俺を向く中、ハルヒだけは振り返らない。