満月の夜、東中にて
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 谷口にゲームを借りる約束をしていた俺は、SOS団の活動が終わると谷口の家に行った。
 何だかんだで谷口の家に上がらせてもらった俺は、借りるはずのゲームで遊んだりして、気がつくと9時を回っていた。さすがに遅くなったのでいとまを告げ、家に帰る途中──ほんとに気まぐれなのだが──遠回りをして東中の校門前を通ってみることにした。

 東中の校門前で一旦自転車を停めて中を覗いて見る。だが、誰かがいる気配はない。
「今日は七夕じゃないしな」
 心のどこかでハルヒがいるのではと思っていたんだが、当たり前のように期待ははずれた。

 ハルヒと付き合いだしてから、どうもこうやってあいつを探してしまう。何をやっているんだ、全く。明日も学校で会えるさ。

 ふと空を見上げると、秋の満月が綺麗に夜空を飾っていた。

「キョン? 何してるの? こんなところで」
「ハルヒ!?」
 心臓が飛び跳ねたかと思うほどにびっくりした。
 俺の後ろからハルヒが声をかけてきた。まさか会えるとは思っていなかったのに!
「な、何してるんだよこんな時間に!」
 動揺から俺も質問を返してしまった。こりゃ怒られるな。
 思った通りハルヒは眉を上げ、腰に手を当てて俺を睨んだ。
「こら、聞いてるのはあたし!」
 ほら見ろ。
「俺は谷口の家に行ってたんだよ。その帰り」
 別にやましいことは何もしていないのでそのまま言った。
「ふうん。でも何でわざわざ自転車下りてんのよ」
 うっ 鋭いところをついてくるな。まさかハルヒがいないかと覗いてたなんて言えるわけがない。何でそう思ったか問いつめられるのがオチだ。
「月が綺麗だからな、ちょっとゆっくり眺めてみたい気分だったんだよ」
 これも半分は嘘ではない。気がついたのは自転車を下りた後だってことを除けば、だが。
「あんたがそんなロマンチストだとはね」
 ハルヒはくすくす笑った。その顔に月の光がかかって、やけに綺麗に見えた。

「で、さっきの俺の質問だ。お前こそこんな時間に何やってんだ?」
 さすがに年頃の女の子が1人で出歩いていい時間じゃない。最近物騒だしな。
「あんたと同じよ。月が綺麗だったから散歩してたの。こんな月の夜って、何か起こりそうな気がしない?」
 確かに月の光は何か不思議な力がありそうな気がする。だが、それよりもこんな時間に出歩いている方が問題だ。
「だからってこんな時間に1人で出歩くな。危ないだろ」
 なによ、とふくれっ面をするハルヒに俺は続けた。
「出歩きたいなら俺を呼べよ。付き合ってやるから」
 どうせ止めろと言ったって止める訳がない。それなら1人にさせないだけだ。
 ハルヒはそれを聞くと笑顔になって俺に命令した。
「じゃ、これから付き合いなさい!」

 俺の返事を聞かずに、ハルヒはいつぞやのように校門をよじ登り始めた。
「おい、何をする気だ?」
 まさかまた校庭に落書きする気じゃないだろうな!
 俺の不安をよそにハルヒは満面の笑顔で俺を見た。
「あんたも早く来なさい!」
 やれやれ、付き合うと言ったのは俺だもんな。今回はハルヒが門を開けてくれはしないので、俺も校門に足をかけた。

 あの時は結構暗かったのを覚えている。今日は月明かりで、お互いの顔がはっきり見えた。

 ハルヒは黙って俺の手を引くと、前にあの図を描いた中心辺りに引っ張って来た。
 そして何も言わずに俺をじっと見つめる。

「どうした?」
 何か落ち着かなくなってそう聞いてみた。
「……似てるかな、と思って」
「誰に」
 いや、聞かなくてもわかっていた。おそらく、ハルヒはあの七夕の日のジョン・スミスを思い出しているのだろう。
 まさかバレないだろうな? 少し冷や汗が出てくる。
「……あたしの、初恋の人」

 俺は驚いて目を見張った。てっきりジョン・スミスのことを考えていると思ったのに。
 いや、それよりハルヒの初恋ってのが気になるぞ。谷口に聞いた中学時代の恋愛話では、とても本気になった相手がいるとは思えないのだが。
 俺の無言をどう解釈したのか、ハルヒはにやりと笑った。
「気になる?」
「別に」
 そりゃ気になるさ。だけどそれを悟られるのは癪にさわる。
「嘘ばっかり。顔に出てるわよ」
 畜生、やっぱりこいつにはかなわない。

 ハルヒは俺に背を向けると月を見上げて語り始めた。
「中1のときね……七夕の日、あたし、この校庭にメッセージを書いたの」
「ああ、そうらしいな」
 ほとんど俺が書いたんだがもちろんそうは言わない。有名な話らしいし、実際谷口に聞いているのだから俺が知っているのは構わないだろう。
「今まで誰にも言わなかったんだけど……そのとき、変な奴が手伝ってくれたのよ」
 変な奴とは失礼だな。だが、朝比奈さんを背負って歩いている俺は変な奴と言われても仕方がないか。実際怪しいって言われたしな。
「ジョン・スミスって名乗ってたわ。偽名だろうけどね」
「何だその名前は」
 これはあの時の俺に対する突っ込みだ。とっさとはいえ、他に何か思いつかなかったのか。
「偽名からして変よね。それで、北高の制服を着ていたんだけど──」
 ハルヒは溜息をついた。
「その後、いくら調べても見つからなかったのよ」
「……そうか」
 やっぱり俺はこういう時、気の利いたことでも言ってやりたくても、何も言えなくなるらしい。

 待てよ。てことはだな、ハルヒの初恋は俺ってことになるのか?
 しかし、今の話の何が初恋なんだかさっぱりわからない。単なる変な奴との思い出話であって、どう聞いても恋愛話ではない。
 そう思っていると、ハルヒは再び話し始めた。

「ジョンはね、あたしが出会った初めての不思議なの」

 なるほど、宇宙人とかの不思議な奴を探していたわけだからな。付き合うとしたら宇宙人やそれに類する何か、と昔は言っていた。結局、宇宙人でも未来人でも超能力者でもない俺と付き合ってくれているわけなんだが。

 ジョン・スミスが身元不明なのは俺からすると当たり前なんだが、普通に考えれば変な話だ。ハルヒの行動力をすれば、実在していればやがて見つかるだろう。ハルヒにとって、いきなり現れて手伝い、そのまま消え失せていった『不思議な』存在。恋愛対象になる資格は十分か。

「それに、あいつはあたしの考えを否定しなかった」

 確かに、あの時否定はしなかった。いや、できなかった。なぜなら、俺は既に宇宙人も未来人も超能力者も知り合いにいたからな。
 俺としてはそんな深く考えなかったやりとりが、ハルヒの心の中を大きく占めていたというのか。

「あたしの考えを理解してくれそうなあいつを、あたしは必死で捜したの。でも、見つからなかった。だから、会いたくて仕方がなかった。後から思うと、初恋だったんだなって思ったの」

 俺はもう何も言えなかった。まさかハルヒの初恋話を聞かされるとは思ってもいなかったし、しかもその相手がジョン・スミスだとは思いもしない。
 思考がほとんど停止してしまった。

 ハルヒはまだ俺に背を向けたまま、満月を見上げている。

「あたしね、ジョンはあんたじゃなかったのかって気がするのよ」
 突然のハルヒの言葉に俺は驚くしかない。ハルヒはジョン・スミスが俺だと気がついたのか?
 俺が無言でいると、ハルヒは続けて言った。
「もちろんそんな訳はないんだけど……。仮に北高の制服を借りたとしても、あんたもあの時は中1で、もっとガキだったはずだし」
 そう言うと顔だけ振り返って俺を見て笑った。
「それでもね、何か似てるのよね、雰囲気とか」
 そりゃそうだ。似てるも何も、ジョン・スミスは俺自身だ。

 しかし、ハルヒの初恋が俺とは──いや、ハルヒにとっては俺ではないが。俺を好きだと言ってくれたハルヒは、ジョンと俺を重ねていたのか? 俺がジョン・スミスと似ていたから、俺と付き合おうと思ったのか?
 いや、こんな疑問は無駄だと解っている。俺はハルヒの気持ちを疑ったりしている訳ではない。
 でも、少し面白くないのも事実だ。俺が俺に嫉妬しているというのも相当変な話なのだが、ハルヒの中では別人なんだから仕方がない。

 俺って独占欲が強かったんだな。

 俺は後ろからハルヒを抱きしめて言った。
「ああ、俺だったのかもしれないな」
「えっ?」
 驚いて振り向こうとするハルヒをそのまま離さずに続ける。
 顔を見て言うのは少し照れくさい。
「もちろん、俺はその時のハルヒを手伝ったなんて記憶はないんだが」
 はい、嘘です。鮮明に覚えている。初めての時間旅行も含めて、忘れられない記憶の1つだからな。それをハルヒに言うわけにはいかない。
「何よそれ」
 ハルヒは文句を言う口調で言った。そりゃわけのわからないことを言った自覚はあるさ。
「きっと今の話を聞いた俺が、この後時間を遡って会いに行くんだろ」
 いや、既に行っているんだが。
「あんたねえ、そんなことできるわけないでしょ」
 ほんとこいつは普段の言動の割には常識的だよな。少しは期待してくれてもいいと思うんだが。
「まあ、俺の願望なんだが」
 軽く笑って続ける。

「そうすりゃハルヒの初恋も俺の物だろ」

 まったく、恥ずかしいことを言った。
 どっちにしても俺だろうという突っ込みはしないでくれ。俺はハルヒの初恋の相手が俺だと自覚して欲しいなんて思ってしまったんだ。
 もちろん、無理な相談だ。
 初恋の相手が俺だって解っただけでも幸せなことじゃないのか? そうとも思える。

 ハルヒはどう思ったのか、しばらく無言だったが、やがて大きな溜息を1つついた。
「……あんた、よくそんな臭いセリフが言えるわね」
 我ながらそう思う。
「悪かったな。どうやら俺は独占欲が強いらしい」
 正直に言った。
「バカね」
 ハルヒはそう言って軽く俺の腕をふりほどくと俺の方を向いた。
「今のあたしはあんた以外の男に興味はないの」
 柔らかく微笑んで言うハルヒの顔に月の光が降り注ぎ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 俺は何故かその顔を直視できなくて視線をそらす。
「お前もかなり恥ずかしいこと言っているぞ」
 照れ隠しにそんなことを言ってみた。
「……月が綺麗だからね」
「ああ、そうだな」
 きっとお互いに、この月明かりに酔ったのだろう。だがこんな雰囲気も悪くはない。


 俺はハルヒを抱き寄せると、唇を重ねた。


 誰もいない校庭で、ただ満月だけが俺たちを見ていた───


  おしまい。