涼宮ハルヒの戦国時代 三章其の一
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 三.


 古泉家は手勢をすべてひきつれてこの攻城戦に参加しているので、当然花熊はがら空き状態である。もちろんそのままにしておけるわけもなく、涼宮家当主の命で譜代の家臣が留守役として入っていた。それ自体はむしろ当たり前なので別に気にもとめていなかったのだが、それによって事態は急変する。

 先にも述べたように籠城側と攻城側の人数が拮抗しているので、攻城側は迂闊に手を出すことが出来ず遠巻きに見ているだけである。秀吉という人間は犠牲を出すことを好まないらしく、無理して寄せ手を出すこともあまりしない。毛利氏の勢力圏に近い西側を中心に周りの支城を落として孤立させてあるので、後は兵糧が尽きて開城せざるを得なくなるのを待つばかりである。だがもし想定していない場所からの兵糧補給があれば、この作戦は成立しないことになる。

 こういう状態で槍を交える合戦も少ないまま、その日俺は一人で陣を少し離れたところから三木城を見下ろしていた。すでに籠城してから随分経つが、未だに朝夕は飯炊きの煙が上がっているところを見ると、兵糧は尽きていないようだ。七千五百人の腹を満たすだけの米が未だに尽きないということは、まだ補給路がどこかに残っているのだろう、そう考えていたときだった。
「……久しぶり」
 無機質な声に驚いて振り返る。ここで見るとは思っていなかった人間に、思わず声をあげてしまった。
「な、長門!?」
 そこにいたのは間違いない、涼宮家の忍なのか春日姫の侍女なのか、またその人間離れした運動能力も含めていまいち正体のはっきりしない長門有希であった。涼宮家の人間は誰一人としてこの合戦には参陣していない。長門がここにいる理由もない。まさか春日姫が参陣するというわけじゃないだろうな。
 とにかく、何故ここに来たのか理由を問いただすと、長門は黙って書状を俺に差し出した。二通、油紙に包んで封をしてある。
「誰からだ?」
「姫」
「俺宛か?」
「古泉殿宛。内容は同じ」
 だったら最初から親父殿のところへ行けばいいのに何故俺に渡すんだ。
「わたしは陣中へは入らない。姿を見られるつもりもない。あなたが届けて」
 姿を見られるつもりがない? ここに春日姫からの使いが来たことがばれてはまずい、ということか。俺や古泉が陣の外に出るのを待っていたのか。だがいったい何故。
「時を急ぐ。早く届けて」
 俺の疑問に答えずに急かす言葉を静かに投げかけるだけだった。これ以上問いただしても無駄だろう、そう思った俺はその言葉に従い急いで古泉の元へ走った。

「古泉」
 長期戦のために何カ所かに建てられた小さな建物の一つに古泉父子は常駐している。俺は急ぎ足でそこに行くと、人を払ってくれと頼んだ。長門がここに来る気はないとすると、書状の内容は内密のものと考えた方がいい。
 人が払われるとすぐに先ほどの書状を古泉に渡す。
「長門が使いに来た。口上はなかったから読めということだろう。何故か二通あるが内容は同じだと言っていた」
「わかりました。そこで待っていてください」
 古泉は急ぎ足で父親の元へと去っていった。長門がわざわざ使いに来たという事実は古泉も気になるのだろう。
 しかし二通同じ手紙だって? 何でわざわざ二通用意したんだ?
 そんな疑問を考える余裕もなく、古泉はすぐに戻ってきた。
「あなたも来てください。緊急事態です」
 あまり嬉しい内容じゃなかったということは古泉の表情を見てすぐにわかった。

 親父殿がいる部屋には今、親父殿の腹心と言える臣下の新川さんを始めとする数人、それに古泉と国木田に俺しかいない。一種の幕僚会議である。
「大変なことになった」
 と言って春日姫からの手紙を回し読みさせる。俺はここでは一番下っ端といっていいので回ってくるのは最後なのだが、読み終えたとたんに顔色が悪くなっていく様を見ているうちに、なんとなく内容が読めてきた。
 つまり、涼宮家は毛利に寝返ったのだろう。
 ところが、その話が羽柴陣中のここに届かない。もし古泉家に花熊城を守らせる気があるのなら、すぐに引き上げてこいと内々に使いが走るはずである。それがないと言うことは、答えは一つだ。
 古泉家は涼宮家に見捨てられた。

 俺にも回ってきた手紙を読む。文字も男勝りかと思えば意外にそうでもないんだな、というどうでもいい第一印象を振り払って読んだ内容は想像以上のものであった。こりゃこの場の全員が色を失うのもわかる。
 手紙の内容は、涼宮氏が毛利に寝返っただけではなく、毛利水軍の供給する兵糧を花熊で陸揚げし、そこから三木へと送っているという内容であった。兵糧の補給路も具体的に記してある。
「まずの疑問は」
 親父殿が口を開いた。
「何故、春日姫はこのようなことを書き送ってきたのかということだ。これが織田方に漏れれば確実に小清水に兵を出すだろう」
 そりゃそうだ。一応麾下に入ると言ったからには、裏切りを許さないだろう。
「織田が本気で兵を出せば小清水のみで防げるものではない」
 これも当たり前の話だ。涼宮の手勢で織田と対峙出来るものならもっと昔にしているだろう。勝てる見込みはない。そして、さっさと降伏したとしても涼宮氏の切腹は免れない。この場合の「涼宮氏」とは血縁も含める。具体的には兄弟やその妻子も含まれると言うことだ。
 もし織田と戦うことになれば、春日姫自身も伐たれるか自害か、どちらかしか道は残されないことになる。毛利の来援? 来るならとっくにこの三木に来ているはずだ。手近な播州にさえ出てこない毛利が摂津にまで来るとはとても思えない。
 考えここにいたって俺は初めて背筋に寒いものが走るのを感じた。それにもかかわらず、あいつは何故こんなものを寄越したんだ?
 内容があらかじめわかっていたら握りつぶしたかもしれない、思わずそんな考えが頭をよぎって知らず首を振った。もしかしたらあいつはそれを予測して、長門に口上を述べさせなかったのかもしれない。

「意見があるなら言ってみろ」
 その言葉を耳にして、誰かが何かを言うのかとあたりを見回すと……何で全員俺を見ているんだ? 俺は下っ端で、この中では発言は最後になるはずだ。わけが分からずに呆然としている俺に、古泉が囁いた。顔が近い、などと言っている場合ではない。
「姫君とまともに会話したのはこの中で、いえ、おそらく涼宮家中を探しても男性ではあなただけなんですよ。姫君のお考えが多少なりともわかるとすれば、あなたをおいて他にいないでしょう」
 つまりこのことに関しては発言の順番など気にしていられないってことか。だが俺だってわからない。数回しか会ったことのない俺に何故そんなことがわかる?
 まず考えられるのは命乞い、ということだ。涼宮氏の裏切りを自分が報せることによって、仮に切腹が決まっても免除される可能性がある。だが、あの春日姫がそんな理由でこの書状をしたためるとは考えにくいんだが。
『あたしが男だったら、こんな世の中変えてやるのに』
 そう言った春日姫の真剣な表情が悲壮感を伴って思い出される。男だったらとか妖怪武士団とかあり得ないことを真面目に考えるのは、春日姫なりにこの世を憂いているからだろう。そして、あいつは心の奥底では自分の望みを自分で叶えることが出来ないとわかっていたのではないか。急にそんな考えが浮かんだ。
 叶わぬ願い、面白くならない世の中。世の中が面白くないことなんか俺だって感じている。だが俺は自分で変えてやろうなんて気概も能力もないから、最初からある程度諦めることが出来た。だが、気概も能力もある春日姫は、ただ女だと言うだけで変えてやろうとすることが出来ない。
 加えて涼宮家の毛利への荷担だ。織田を良しとしているわけではないだろう。織田は人を殺めすぎる。それでも涼宮家の毛利荷担を俺たちに知らせたということは、現状を考慮すると露見する日も近い、そうなればどのみち終わりだと考えたのか。だったら早く報せて終わらせようと思ったのか。しかしそれでは。
「死ぬ気なのか……」
 思わず漏らした言葉に俺自身がハッとした。驚いたのは俺だけではなく一座のもの全員だったらしい。
「姫がそう言ったのか」
 問われてあらためて考える。何度も言うが、俺は春日姫の考えがわかるわけではない。だが……。
「いいえ、しかしそれ以外に思い当たる節がございません」
 そう答えるしかなかった。

 この手紙に書いてあることが罠の可能性は? と問われた。確かに補給路とされている場所で待ち伏せして、潰しに来た羽柴方を殲滅すればその戦いでは勝利を得られるだろうが、どのみち局地戦にしかならない。羽柴本陣が動くわけでもないし、意味がない。第一俺に言わせれば罠ってこと自体が話にならない。仮に涼宮家当主があいつにこんなものを書かせようとしても、あれだけ父親に反発している姫が書くわけがないし、それ以前にあいつはこんな罠をしかけたりなんかしない。絶対に。
 って、何故数度しか会ったことのない春日姫のことをここまで確信持って言えるのか、俺自身も首を傾げざるを得ないのだが。それでも意見を変える気にはならない。

 一番大事な話、つまりこれからどうすればいいのか、ということにようやく話が行った。ここからは俺はほとんど発言することはない。
 涼宮家に見捨てられた形にはなったが、おそらく羽柴から離れて毛利につくと言えばゆるされるだろう。この陣を密かに引き上げて花熊に戻り籠城の準備をするか。それとも秀吉にすべてを打ち明けるか。この場合は涼宮を捨て、成り行きで羽柴の下に組み入れられるだろう。そしておそらく涼宮討伐隊の先鋒になるに違いない。
 どちらに付くか、という話し合いはほとんど瞬時に終わったと言っていい。親父殿を除くその場の全員が羽柴方を選択した。そもそも古泉氏は涼宮家中での織田方筆頭だったわけで、毛利方に付くという選択肢を選ぶはずもなかったのだが、それにしても仕えていた家を捨てるという選択は親父殿には苦しかったようだ。
 次の問題は、これを秀吉にどう伝えるかどうか、ということである。伝えないわけにはいかない。もし別方面から伝われば、逆にあらぬ疑いをかけられてしまう。もちろん知らぬ存ぜぬと通せばいきなり切り捨てられることはないが、しかし信用は失うだろう。
 春日姫は同じ手紙を二通書いた。当然開封されたのは一通であり、残りは封がされたままである。何故こんなことをした?
「これをそのまま秀吉に渡しなさい」
 そういうことなんだろう。古泉家に二心がないことを印象づけるためには、涼宮氏から来た書状をこちらで判断せず、丸々秀吉に裁量を仰いでしまうのが手っ取り早い。間諜を放っていたことにすれば内容はある程度把握していても問題はないが、核心部分は知らなかったことにすればいい。
 その上で、涼宮氏への仕置きを羽柴秀吉に請け負ってもらうようにお願いする。直接織田が出てくると手も足も出せなくなってしまう上に、おそらく見せしめとしてかなりの人数が殺されるのではないかとの不安もある。知己の多い小清水でそれは出来れば避けたい。秀吉はあまり人が死ぬのを好まないから、上手く働きかければ被害を最小限に抑えられるのではないかと思ったわけだ。
 秀吉が請け負う、とは言っても実際に動くのはもちろん俺たち自身である。出来れば古泉家だけでカタを付けたい。それには秀吉に、古泉家が味方であると印象づけなければならない。

 手紙が二通用意されたことは俺たちにいい結果をもたらしたと言えるだろう。春日姫の先見の明には目を見張るものがある。あいつは絶対に古泉氏がこの件で秀吉の信を得ることを計算していたに違いない。
 この手紙はそのまま安土の織田家にまで送られたが、その際に仕置きは羽柴に任せて欲しいとの旨を伝えてくれたようだ。もともと織田はあちらこちらで戦をやっているのだから兵を割かなくて済むに越したことはなく、むしろ秀吉がカタを付けることを喜んだ。

 だが、これで俺たちが涼宮氏を伐たなければならなくなってしまった。


 厄介な問題がある。花熊はもともと古泉の本拠地であり、三木攻めに参加している者の多くが花熊近辺に家族を置いている。そして古泉の母を始めとする古泉家の妻子は当然花熊城にいるわけで、今留守番に入っている涼宮譜代家臣と争うとなると、具合のよい人質にしかならない。当然最初からそのつもりで譜代を留守番役にしたのであろう。
 俺の家族も花熊の郊外にいるわけで、戦になれば人質として城内に連れて行かれるかもしれない。しかし俺たちは根城を文字通り奪われたわけで、城を取り返さないと本拠もなければ軍資金も今手元にある分だけ、ということになる。
 城を取り返すために戦いたいが、そうなると家族が殺される。
 完全に板挟みになっている状態でそれでも羽柴方を選択したのは、全員それなりに覚悟があったということだ。だからといって、もし無事に人質を助け出せるならそれに越したことはない。
 何か策はないものか。
 その策は意外なところから降ってきた。

 俺たちは春日姫から書状を受け取ってからも三日は三木に留まった。その間に早足の者を小清水に走らせ、当主にある状況を説明する。涼宮側は当然間諜をこちらに放っているだろうから、話の整合性は取れるだろう。
 つまり一芝居打った、ということだ。
 その日のうちに陣中に噂が流れた。涼宮隊(実際には古泉隊だが、名目上涼宮の兵ということになっている)の将がたいした失策もしていないのも関わらず、秀吉に激しく叱責されたらしい。将はかなり不服ながらも黙って退いた、というものだ。
 一応“叱責された”親父殿はそれらしい表情を作って陣に戻り、秀吉に対する不満を書き連ねた書状を小清水に届けたというわけだ。やれ驕慢だの下賤だのと書かれた書状をもし秀吉が見たなら、理由がわかっていても不快感をあらわにしたかもしれない。
 そして小清水からの返答を待たずに、さっさと陣を払って花熊に引き上げてしまったのだ。花熊には先に書いたように留守番役がいるが、本来の手続きを踏まずに「帰ってきたから」と言って追い出してしまった。
 これに驚いたのは涼宮弥三郎本人である。花熊は三木への兵糧補給の拠点となっており、留守番役はつまりその奉行をやっていたわけだ。いくら古泉家が羽柴を見限ったといっても、俺たちが陣を張っている裏から敵方に兵糧を送っていた何てことがばれれば当主としての面目が丸潰れだ。まさか俺たちが羽柴方から退転するとは思っても見なかったのだろう。
 泡を食った小清水から、勝手に陣を払ったことと花熊の留守番を追い出したことについての申し開きをせよとの命令が下った。もちろん予想内だ。
「さて、ここからが正念場だ」
 親父殿はニヤリと笑った。
「筑前殿(秀吉のこと)から賜った策を無駄にするわけにはいかない」
 そう、以上のことを発案したのは他ならぬ秀吉その人だったのだ。
 陣を払うことで動揺が拡がらないかと言う親父殿に、
「後のことは気に病むな」
 と鷹揚に言ってのけたらしいのだが、それでは今度は花熊に戻った古泉家が伐たれないかと心配になるじゃないか。
 無血で城を取り戻せという策は何とも秀吉らしいとも言えるが。

 親父殿が花熊に向かう間、古泉自身は俺と国木田を従えて別の場所へと向かっていた。といっても方向は同じなのだが。
 俺たちの住む八部郡と小清水のある武庫郡の間に、菟原郡という土地がある。城はなく陣屋があるのみだが、その陣屋を任されている人物に会いに行くのである。
 涼宮家家老衆の一人であり、父親が早くに亡くなったのでかなり若いまま家老になった。年齢は俺や古泉とそう変わらず、そのためか古泉は以前から親しくしている人物でもある。家を継ぐために嫁を取ったが、どうも出自が不明の者を臣下の養女にして娶ったという噂がある。
 若いまま家を継いだ人間の常としておじや身内が執政して本人はお飾りなことが多いが、この人は元の能力が高いのだろう、基本的に自分で軍事も政治も執っている。何というか、若いのに一筋縄ではいかない人物だ。それだけに頼りがいもありそうなのだが。
 菟原の陣屋に着くと、古泉だけではなく俺と国木田も通された。とは言え話し合いの席には同席せず、次室で控えることになる。話し声は丸聞こえだがな。

「単刀直入に聞くが、花熊の件が羽柴にばれたか」
 ってそりゃ単刀直入すぎますよ、菟原の家老殿。尊大そうな口のきき方はいつものことらしい。
「その通りです。よくお分かりですね、さすがです」
 古泉はおそらく眉一つ動かさず、いつもの微笑みをたたえたままだろう。こいつはこいつで相当な狸だ。
「今回の撤退が下手な芝居だなんてことが俺に分からないわけがないだろう」
「そう思ったからこそこうして参じたわけです。あなたが単刀直入におっしゃるなら、こちらもそうしましょう」
 そう言って一呼吸置いて続ける。
「あなたはどうなさるのですか」
 こりゃまた随分真っ直ぐな質問を投げかけたもんだ。言葉の上での駆け引きなんか無用ってことか。
「織田についてどんな旨味があるか、それが問題だな」
 利害を優先させないと自分が滅びるかもしれない、そんな時代だからこそ一番重要となる問題である。これについては答えは用意してある。
「我々としましては、あなたを輿に担ぎたいと思っているのですが」
 つまりこの家老を大将として下克上をする、と言っているわけだ。成功すれば涼宮家に代わり西摂津の首領になれるわけだからそれなりに旨味はあると思う。問題がないわけじゃないが。
「面倒くせえ」
 その問題部分に気付いているのか、この申し出は一蹴された。
「今の状況で西摂津なんざ取ったところで、どっちについても最前線だ。織田につけば対毛利にこき使われるだけだし、毛利に着けばその逆だろ」
 まったくその通りであり、内乱で疲弊しているところにどちらかから攻められて滅びるってことも考えられる。
「親父の代で動いてくれてりゃな。二十年前ならまず涼宮家を倒して支配地域を摂津全域に拡げ、その勢いに乗じて畿内を平定して上京すりゃ良かったんだよ」
 いまさら言っても遅いがな、と家老殿は続けた。
「確かにおっしゃる通りですが、現状はそんなことを議論している場合ではありません。あなたがおっしゃった通り、涼宮の毛利への内通はすでに羽柴方、つまり織田方に漏れております。あなたも態度をはっきりさせないと、この陣屋が織田勢に十重二十重に囲まれることにもなりかねません」
 ちょっと大袈裟な脅しにも聞こえるが、実際織田は小城を落とすのに不必要に大軍を投入するのであながち脅しとも言い切れない。
「そんなに囲む必要もないだろ。籠城できる城じゃないんだ、ここは」
 少し呆れたような声で答え、それから少し声色を変えた。
「お前の親父さんは小清水に出向いてるんだろ。斬られるんじゃねえのか」
「もとより覚悟は出来ております。斬られずに済めば僥倖と言えましょう」
 古泉の言葉に家老はふん、と相槌とも取れる息を漏らした。
「覚悟のほどはわかった。何、外様については心配するな。もともとがほとんど古泉派だったと言っていいからな。譜代は問題だが、こちらからも少し工作をしかけてみるのも面白いか」
 そういう行為は面倒くさくないんですね、家老殿。

 俺たちが控えている部屋に戻ってきた古泉はさすがに肩の荷が下りたのだろう、ホッとしたような笑顔を浮かべていた。

 見送りに出てきた家老殿の奥方は、その夫とは似ても似つかずに随分楚々とした雰囲気だったのが印象的だった。


「あの方が上に立ってくれればと思ったのですがね」
 帰りの道すがら、古泉は残念そうにごちるが、しかし本音でありそうではない。これは古泉や親父殿の性格による物で、自分が頂点に立つより人の下にいる方がその能力を発揮しやすいと思っているが、だからといって菟原の家老が上に立つにはそれで問題があるからだ。
「でも、あの御家老は信用していいのかな。いまいち信用しきれないような気がするんだけど」
 国木田にそう言わせるのはあの尊大な態度かもしれない。あるいはあまりにも真っ直ぐ用件に入るやり方がかえって何かあると思わせないでもない。
「開口一番花熊の件を言い出したことですか。実にあの方らしいと僕は思うのですがね」
 古泉はクスクスと笑う。
「こちらの用向きがわかっているのに余計な腹の探り合いは無駄だと思っていらっしゃる。話が早くて済むのは結構なことです」
 しかしあの家老を大将に担ぐには若すぎるんじゃないか。古泉家に味方しそうな勢力は当然それなりの年齢に達する人物が筆頭であり、あまり若いうえにあの態度では「菟原の若造が」と軽んじられるのではと思う。
「受けてくだされば、後は周囲を納得させるだけです。そう言うことは父や僕の得意分野ですから」
 事も無げに言うと、意味ありげな笑いをその顔に浮かべた。通常、兵を集めたときに一番巨大な勢力を持つ者が大将となる。今涼宮家臣のうち本家を除いて一番人数を集められるのは古泉家であり、その点からも彼が断りを入れるのは当たり前と言えば当たり前である。
「断った以上、彼を担ぐことはできなくなりましたが、野心がないわけではないでしょう。もし彼が野心を達成させようと裏切るとしたら羽柴が播州を平定した後ですよ。その時点で摂津は最前戦ではなくなりますから負担は減ります。それまでは大丈夫でしょう」
 菟原の家老もどちらかというと新参であり、代々涼宮家に仕えてきたと言うわけではない。涼宮家中の勢力としては並の程度ではあり古泉ほどの身代はないのだが、花熊と小清水の位置関係からも味方に付くか否かで情勢が大きく変わる。城代などに譜代を置けないという事実が、今の涼宮家の現状を良く表していると言っていい。
 しかしこういう新興の勢力は家臣の中でも特に功利主義に走りやすい。後の時代に儒教的な倫理意識が蔓延るのかもしれないが、今のところそんなことを考えるのはほんの一部の儒教家くらいのものである。もしこの時代に儒教主義が通念としてあったならば、涼宮家は家臣を陣に派遣しながら裏で敵に味方するなどするはずがなく、古泉は涼宮家に対して謀叛など企てないだろうし、そもそも織田が世の中に台頭すらしていない。
 菟原の家老も当然涼宮と古泉を秤量にかけて古泉の方が利があると見積もったのみであり、古泉家に義理立てしなければならない道理などどこにもない。もし古泉に付くよりも自らが上に立つ方が美味しいところを持って行けると思えばあっさり身を翻すに違いない。
 この時代では当たり前のことであり、いわゆる同盟も古泉父子の能力が評価されなければあっさりと瓦解するのである。

 菟原での話し合いがあっさり決着がついたことで、一仕事追えた俺たちはいったん花熊に戻った。取りあえずの問題は、親父殿が無事に戻ってくるか否かである。

 小清水はすでに毛利につくということで方針が出来上がっているはずで、兵糧運びの手伝いまでやっているのに今更説得することができるはずもない。もしこれで突然手伝いを断れば今度は毛利が兵を送ってくるかもしれないからだ。
 だから親父殿が小清水に出向くことに家中の者は反対した。花熊が手に戻った以上、不必要に義理立てする必要はもうない。陣を放棄したのは名目上のみとはいえ命令違反であり、腹を切れと言われればそれまでである。それを押して親父殿が小清水に出向いたのは、一つは自分が死んでかえって古泉が涼宮氏を伐つことに同情が集まると思ったらしい。もう一つは小清水の内部に味方になってくれそうな人物を探すということである。もちろん危険が伴うのだが、内応してくれる人間がいれば今後ことがたやすく運ぶというわけだ。
 親父殿も大きな賭けに出たが、この賭けには実は多少の勝算があった。毛利から来た花熊の兵糧である。
 先に述べたとおり、現在の三木への兵糧補給は毛利方から海路で花熊に運ばれ、摂津の領内を通って、なるべく三木に近いところから播州へと出る路が取られている。播州内に密かに砦を作りそこに兵糧を集積して、羽柴方の隙をついて三木城内に搬入しているらしいのだが、そこに運ばれるまでの間、当然花熊城内に搬入されている。俺たちが突然帰ってきて留守番兼兵糧奉行を追い出してしまったせいで、城内の“見覚えのない”兵糧はそのままになってしまった。その点を問いただすことくらいは、花熊城代としてする権利があるってことだ。
 この話を出した時点で当主がどうするか。もちろん親父殿を斬るという選択肢は消えることはない。ただしそれは反織田の立場を明らかにするということであり、それによって花熊からの補給路が羽柴方に気付かれる恐れが出てくる。西側からの補給が不可能な以上、東側が毛利方となれば当然そちらから補給されていると読むだろう。とすれば簡単には斬れない。
 留守番役の独断だと逃げる可能性もある。しかし譜代家臣に責任をなすりつければ、いよいよ家臣の心は涼宮家から離れ、俺たちとしてはやりやすくなるだけだ。
 すべてを認めて話すのが上策だ。そもそも三木の陣中から羽柴に対する恨み言のような書状を小清水に送って、勝手に陣を払ったということはすでに羽柴、織田から心が離れていると普通なら考えるだろう。家臣が参陣しているにもかかわらず敵方に通じたと言える行動をしたこと、それを認めるのはおそらく自尊心の高い当主としては苦しいだろうが、事なかれ主義の面が大きく出ればそうしてくれるかもしれない。そうなれば、今度は古泉家が涼宮家から心が離れるのも仕方ないだろう、と世間は考えるに違いない。
 そう考えると親父殿が斬られる可能性は低いとも思えるのだが、しかし戻ってくるまでは心配であった。

 結果として賭けに勝った。親父殿は無事に戻り、勝手な行動のお咎めとして謹慎を命じられたに過ぎないが、お目付役も付かない謹慎など何の罰にもならない。
 後は、次に毛利の補給部隊が来るまでに決着をつけなければならないのだが。


 毛利の兵糧については、散々渋った当主が親父殿に本当のことを話したらしい。本人は話したくなかったようだが側近が話すことを勧めたというわけだ。いまいち腹をくくれない人物であるが、これも名門意識のなせるわざか。
 その兵糧はもちろんそのまま頂戴した。これから一仕事やるというのだから丁度いい。
 一度小清水に出向いた親父殿が言うには、小清水は普請直されているとのことだった。織田に背く準備として城を固め、いざというときには籠城出来るようにしていたのだろう。しかし十日もすればまた毛利の補給部隊が来るし、おそらくそれ以前にこちらが兵を起こせば毛利へ密使が飛ぶであろうから時間をかけるわけにはいかない。密使が行って援軍が来るかは微妙な線だが。
 とにかく堅く守って籠城されると攻略に時間が掛かり、それだけこちらの危険度が増すわけだ。となるとまた奇襲をしかけるしかない。
 親父殿が近臣のみを集めて評定を行っている間、次室で話を聞きながら国木田と先の予想を話していた。評定というのはとにかく些細なことに拘泥しがちで進まないことが多々ある。今回のように皆が緊張しているとなおさらそうなり、次室で控えている俺たちはつまり暇なのであった。
「また夜襲か?」
 以前横尾氏を襲った方法を使うかと思ったが、さすがに難しい。花熊と小清水の間は二十里程度、ちょうど一日で行軍出来る距離ではある。しかし夜襲となると昼から駆けなければならず見つかる可能性が高い。以前のように小勢で攻めるわけではないのだから、こっそり付近に潜伏させることも不可能だ。
「陣を張る前の夜襲は無理だよ」
 俺が気付く程度のことを国木田が気付かないわけはない。
「とにかく相手の戦意を喪失させないとね。幸い火器が多いんだからひたすら撃てばいいんじゃない?」
 昨年横尾氏から奪った火器がまさかこんな形で役に立つことになるとは皮肉な物だ。あのとき砦と館あわせて随分多くの武器火薬を持ち帰ったが、そう言えばあのとき始めて長門と会ったんだよな。まさか主家の姫まで参戦してくるとは思わなかった。ふと、春日姫の顔が脳裏を掠め、俺は慌ててその幻影を振り払った。あの書状の件を考えれば敵ではないのかもしれないが、どういうつもりかわからない以上敵方だと考えておかなければ危ない。
「とすると四方を囲まず、か」
 籠城戦が長くかかる理由として、情勢がわからないという理由もある。籠城側は自分たちが有利なのか不利なのかわからず、とにかく攻められたら守るために火縄を付ける、という繰り返しだ。これが野戦なら情勢を肌で感じることができ、ヤバイと感じると逃げ出し始める。それはあっという間に戦場全体に拡がり、いわゆる総崩れとなるわけだ。まさかこれからしばらく後に、関ヶ原で激突した双方あわせて二十万弱の軍勢がたった一日で決戦するとは思わなかったが、これはおそらくこの国で最大級の総崩れと言えるだろう。
 いかん、思わず未来のことにまで言及してしまったが俺は別に未来人ではない。
 とにかく籠城戦はそういう肌で感じる戦局がわからないままダラダラと続く傾向があるわけだ。その傾向を払拭すれば、ケリが付くのも早い。
 国木田の案はわかりやすく言うとこうである。とにかく城めがけて撃ちまくる。丁度いい、織田の好きなやり方だしな。数百の鉄砲が一度に火を噴くというのはなかなか壮観で、相手の戦意を喪失させるにはいい方法だろう。それと同時に、完全に城を囲まずに逃げ道を作っておく。前にも述べたとおりこの時代の武士というものは多分に利害関係で結びついており、自分に取って不利な状況とわかればわりとあっさり主を見限る者が多いのである。実際同じように一方を空けて苛烈に攻められ、最初二千はいた城兵が一晩後には百人になっていたなんて極端な例もあるくらいだ。
「逃げ道に伏せておけば大物が出てきたとき首が獲れるよ。キョンはそうしたら?」
 いや、俺はいい、お前がやれ。
「僕は今回、こっちの守りに名乗り出ようかなと思ってるんだけど」
「正気か? 毛利が落としに来るとしたらまずここだぜ」
「うん、だからこそだよ。二千人程度までなら二百人で防げるかなと思うんだけどどうかな」
 どうかなって言われても、常識的に考えたら無理だろう。これも以前に述べたが、通常攻城側は籠城側に対して三倍の人数が必要だと言われている。逆に言えば三倍用意すれば状況にもよるが、城を落とすことも可能になってくるわけだ。その代わり本当に二百で二千をよく防げば、功績としては多大な物になる。さりげなくそんなことを狙っているのは何とも国木田らしいが、本当にやる気なんだろうか。俺はお前が討ち死にしたなんて報は聞きたくないんだが。
「僕も死にたくないからね。でも、自分の能力を試すいい機会かなとも思うんだ」
 相変わらず事も無げな態度に、俺は反対意見を言う気も失せてしまった。

「それよりキョンは春日姫のことが気になってるんじゃないの?」
 なんの話だ。
「春日姫が届けた書状でこんなことになったけど、あの書状には自分の命乞いなんて一言も書いてなかった。小清水に行った親父さんにもまったく接触してこなかったって言うし、本当にどういうつもりなんだろう」
 ああ、そう言う話かって別にどういう話に取ったとか気にしなくていいぞ。
 確かに国木田の言うとおりだ。春日姫の真意が未だにわからないことには少し落ち着かない。本当に死ぬ気なのだろうか。あいつが死にたがっているなんてまったく考えられないが、案外誇りを持っていそうだから、命乞いをしてまで助かりたいと思っていないような気がする。
 出来れば一度直接会って話したかったな、そんな思いが胸中をよぎった。