「あつい」と言ったら負け(活用形含む)
短編 | 編集

「おでん食べないの?」
「お前が食え」
「あたしはもうお腹いっぱいだからあんたが食べなさい」
「俺が食わなくても長門が食ってくれるさ」
「…………おいしい」
 ここは例によってSOS団のたまり場になっている文芸部室である。時は7月、梅雨も明けてくそ暑いっていうのになんでおでんなんか食っているのかと言えば、わざわざ買ってきたからである。おでんは好きだがこう暑くては食う気にもならない。ついでに言っておくが、何故かおでんで連想される誰かさんは出てこないのでよろしく。
「有希はあ……、じゃなくて汗かかないわね」
 何でわざわざ言い直したかというと、もちろんこの上なくくだらない理由がある。それは数十分前に遡るのだが……。

「暑いわ、キョン」
「俺だって暑い。言ったってどうにもなる訳じゃないだろう」
 ボードゲームの連勝記録を塗り替えている最中にハルヒが文句を言い始めた。誰も応じないのはいつものことで、結局俺が相手になるのもいつものことだ。
 部室で涼を与えるものと言えばかろうじて扇風機くらいで、窓から容赦なく熱気が入り込むこの部室では焼け石に水程度の役割しか果たしていない。
「暑いあついあついー! キョン、あんた職員室からエアコン取って来なさいよ!」
「アホか」
 取って、じゃなくて盗ってだろう。試験も終わってテスト用紙に赤ペン入れるのも一段落ついたと思ったら今度は成績表にどんな数字を入れるかに頭を悩ませているだろう教師陣の恨みを一身に買う勇気はねえよ。ただでさえ下の方の数字が並ぶ成績表がついには「1」しか見えなくなったなんてことになったらどうしてくれるんだ。
「もう本当にあっついわね。なんか涼しくなる方法ないかしら」
 知るか。水泳部に仮入部でもしてきたらどうだ。お前が仮入部したのは春だからまだ泳いではいないだろう。
「泳ぐのはいいけど好きに泳げないのは嫌なのよ」
 わがままだな。とにかく暑い暑いと騒ぐのはやめてくれ、聞いているこっちがもっと暑くなっちまう。
「何よ、我慢している方が暑いじゃないの」
 お前はもう少し我慢を学んだ方がいいと思うぞ。
「なんですって! あたしが我慢出来ない人間みたいじゃないの!」
 出来てねえだろうが、実際。
「出来るわよ! 何なら今日はもう『暑い』って言わないくらいどってことないわ!」
「ほー そりゃ助かる」
 いい加減怒りで暑いより熱いんじゃないかというハルヒは俺に指を突きつけると宣言した。
「その代わりあんたたちも『あつい』って言っちゃダメだからね! 破ったら罰ゲームだから!」
 おいおい、何でそこで罰ゲームなんだよ、こっちに強要するな。しかしハルヒの文句を聞かなくていいならこっちも「暑い」って言わないくらいは我慢してもいいか。

 と言うわけで何故か「あつい」と言ったら負けというゲームの火蓋が切って落とされたのであった。一種の我慢大会だな、こりゃ。

「お茶入りましたぁ!」
 一番ゲームの敗者に近い位置にいそうな朝比奈さんはそれでもかいがいしくお茶を給仕してくれる。してくれるのだが……。
「ありがとうございます……あの、何故あ……じゃなくてホットなんでしょうか」
 湯気を立てているのを見るだけで汗をかきそうな湯飲みを見ながら思わず訪ねる。以前は確かに夏でも熱いお茶を淹れていたが、今は水出しの冷たいお茶を常に用意してくださっているというのに。
「涼宮さんがあつ……じゃなくてそうしなさいって……」
 危ないです朝比奈さん! 今のはぎりぎりセーフだよな!? 思わず確認のためハルヒの方を見たが、ハルヒもとりあえずは許容してくれたようだ。しかしにやりと笑うととんでもないことを言いやがった。
「みくるちゃんが負けたら代わりにキョンが罰ゲームね!」
 はい? 何で朝比奈さんが負けたら俺なんだよ。だいたいこのゲームでついうっかりポロッと言っちまう確率が一番高いのは申し訳ないがこの愛らしい未来人であって、やはりそうなると俺が罰ゲームを受けるってことになるのか?
「なんでそうなるんだよ!」
「キョンくん、あたしがんばります!」
 強い決意を持って握り拳を作り俺に宣言してくれるマイエンジェル。
「いえいえ、もし朝比奈さんが負けたとしても誰も責めませんよ。だいたいハルヒの奴がこんなバカバカしいゲームを考えるから……」
「ちょっとなんですって? あたしがせっかく考えたって言うのにバカバカしいですって!?」
 せっかくってなんだよ。どう考えても成り行きじゃねえか。
「バカバカしいだろ。少しでも紛れるどころかなおさら気温を意識しちまうじゃねーか!」
 まあ言うなと言ったのは俺なんだが、しかしこれはこれで結構鬱陶しいよな。さてハルヒの文句を聞き続けるのとどっちがマシなのかね。
「じゃああんたがこの暑さを紛らわせるゲームを考えてみなさいよ!」
 俺が何で……ってちょっと待て。この「暑さ」を紛らわせる……?
「はい、今言った」
 正面からハルヒを見据えて言ってやる。ルールを作ったのはハルヒだからな。
「え?」
 きょとんとした顔で俺を見返す。おい、自分で気づいてねえな、こいつ。
「だから今言っただろ。何を紛らわせるゲームだと言った?」
「……う?」
 どうやら思い当たったらしく「しまった」とその顔に書きつつ、変な声を漏らした。
「う、じゃねえ」
 ニヤニヤ笑うと怒りそうだからあえて真顔で見つめる。ハルヒは珍しく焦った声で言い訳を始めた。この負けず嫌いは怒るかと思ったんだがそうでもないんだな。
「いや、今のなし! ノーカウント! だから……」
 焦って言い訳をするハルヒというのも珍しくてしばらく見てみたい気もしたが、しかしそれでは罰ゲームをうやむやにされそうである。ここはやはり団長様にも罰ゲームを味わってもらわなきゃな。
「ほっほー。団長様自ら作ったルールを破ると言うのか」
「……いや、でもそれは……」
 うん、たまに立場が逆転するってのは気持ちいいね。別に下克上なんか考えてはいないが俺だっていつも言いなりになってるばかりじゃないんだぜ。
「そうですね、上に立つものとして、自ら模範を示すべきではないでしょうか」
 それまでいつもと変わらないスマイルを貼り付けていた古泉が初めて口を出した。こいつはハルヒの言うことに逆らわないと思ったので驚いて顔を見ると、俺に思わせぶりなアイコンタクトを取ってきやがる。やめろ気持ち悪い。何が言いたいかなんてわからんしわかりたくもないぞ。しかし言った内容だけは認めてやる。
「おお、さすが副団長。 というわけだハルヒ、諦めろ」
 ハルヒは唇を噛んで黙り込んでいた。こりゃ相当怒ってるな。俺が言い出したとはいえ、本当にいいのか? 古泉。あの灰色空間が発生しかねないだろ。
 俺の心配をよそに、それまでおでんを食べ続けていた長門が口を挟んだ。
「課せられたルールは遵守すべき。あなたは禁止されている語句を口に出したことを認めなければならない」
 黙っていたハルヒは古泉と長門を交互にみたあげく最後に俺をにらむと、ようやく自分の敗北を認めた。
「…………わかったわよ。あたしの負け! これでいいでしょ!」
「最初からそう言えばいいじゃねえか」
 それまで我慢していたんだが、やはりニヤニヤせずにはいられなかったらしい。だってハルヒが負けを認めたんだぜ? 珍しいどころじゃないし、いつもこき使われている雑用としては非常に気持ちがいいと言わざるを得ない。
「うっさい! ニヤニヤしてんじゃないわよマヌケ面」
 それくらいの罵声は慣れてるさ。
「マヌケ面で悪かったな。しかし罰ゲームってなんだ? お前自分だからって甘い罰ゲーム考えるなよ。なんなら俺が考えてやるが」
「あんたにそんな権限渡すわけないでしょ! だったら副団長の古泉くんに考えてもらうわ!」
 顔は俺に向けたまま古泉を指さす。指された古泉は少し驚いた顔をした。
「僕ですか?」
「そうよ! あたしが自分に対する罰ゲーム考えたって意味ないじゃない。こういうことはきっちりしないと!」
 さっきまで自分で作ったルールをなかったことにしようとした奴の言う台詞じゃねえ。どう考えたって俺より古泉の考える罰ゲームが甘いってわかってやってるだろ、お前。
 その古泉はしばらく顎に手を当てて思案するポーズを取っていたが、後から考えると本当に単なるポーズだったのかもしれない。とにかくこいつが考えついた罰ゲームはとんでもないものだった。

「では、団員その一の頬に接吻すると言うことでいかがですか」

 ちょっと待てええええ! なんだそれは!
「おい、それじゃ俺の罰ゲームじゃねえか! なんで俺が関わらなきゃならん」
「えっ! ちょっとそれは……」
 俺とハルヒがほぼ同時に抗議の声を上げるが、古泉はいつものスマイル3割り増しサービスといった表情のままさらに言葉を続けた。
「それでは僭越ながら僕相手ということでも…………」
 そのとき俺もハルヒも古泉の顔を見ていたからお互いの顔は見ていない。
「冗談ですよ、そんな顔なさらないでください、お二人とも」
 俺はともかく、ハルヒはいったいどんな顔をしたって言うんだろうね。
 ハルヒはうぐぐと詰まったが、すぐに開き直ったらしい。
「あーもう、わかったわよ! すればいいでしょ!」
 と真っ赤になりながら言うと、
「キョン!」
 呼ばれたらそっちを向くのは当然だよな。だから俺は悪くない。俺の責任じゃない。
「なん……!!!!!」
 ハルヒに顔を向けた俺が見たのは、真っ赤になりながら目をつぶっているハルヒの顔だった。近い、なんてもんじゃない。
 ハルヒは俺の頬に口を寄せたつもりだったんだろう、だが俺が思いがけずハルヒの方を向いてしまったわけで、触れた場所が唇同士になったのは単なる事故だ。
「……ちょっと、なんでいきなりこっち向くのよ!」
「お、お前がいきなり呼ぶからだろうが!」
 正直殴られると思ったんだが真っ赤になったままうつむいてしまったハルヒに俺は結局謝るしかなかったのだった。
「……すまん」
「い、いいわよ、ああもう、今日は解散! ますます暑くなっただけじゃないの!」
 真っ赤になったまま鞄を持って飛び出したハルヒを、俺も咄嗟に鞄をつかんで追いかけた。
「何でついてくるのよ!」
「いや、何となく……」
「ついて来んな!」
「一緒に帰ったらダメか」
 別に深い意味はない。何となく今、ハルヒが先に帰ってしまうのが惜しいというかもう少しこんなハルヒを見ていたいというか、って俺は何を言っているんだ?
「ど、どうしてもって言うなら仕方ないわね」
 前をにらんだまま早口にそう言うと、足も速めてずんずん歩いていきやがる。
 こりゃ隣を歩くのも一苦労だなと思いつつ、何故か俺は非常に気分が良かった。
 夏の午後、まだ日は高い。俺やハルヒが顔が赤くなるほど暑いのも当たり前のことなのさ、きっと。



 翌日、古泉に聞いてみた。
「ところで何でお前はハルヒの負けを認めさせようとしたんだ?」
「おわかりでないですか。涼宮さんは自分の作ったルールを守ることこと負けたくないという気持ちの間で揺れていたんですよ。そして、ルールを守らなければあなたに批判されるということもわかっていました」
「だから何で俺が出てくるんだ。しかもあんな罰ゲーム考えやがって……」
「僕は頬でいいと言ったのですがね。これも涼宮さんが願ったからということじゃないですか」
「無理矢理そこにまとめてんじゃねえよ!」

 まさかハルヒがあんな事故を願った訳はないよな。
 いや、別に俺は期待なんかしちゃいないぜ。そんなわけないだろ、してないからな!


  おしまい。



蔵人様が続きを書いてくださいました!
「あつい」と言ったら負け: リベンジ!!