夕立の後
短編 | 編集

 夏休みに入ってすぐにハルヒの号令と古泉の仕込みによって敢行された意味のない合宿は問題がなかった訳じゃないがとりあえず無事に終わり、帰ってきたその翌日から、ハルヒは俺の家に通うようになった。目的は簡単、
「あんた去年みたいに最後まで宿題残していたらダメよ! ちゃんと7月中に終わらせて、8月は目一杯遊ぶわよ!」
 長門と朝比奈さんと古泉は言うまでもなくハルヒがそう言うなら宿題を終わらせるだろうし、終わらせることに朝比奈さんは多少苦労するかもしれないが、他の2人はそうでももないだろう。しかし、とハルヒは言う。
「あんたは見てないと絶対宿題なんか後回しにして去年の二の舞になるに決まってるわ! 仕方がないから団長自ら見てあげるの! ありがたく思いなさい!」
 と言うわけで、今日もハルヒ指導の元、宿題の山を切り崩して1日を過ごしていた。ハルヒは自分の分をさっさと終えてシャミセンや妹と遊んでいる。おまけに母親がニヤニヤしながら飲み物だのお菓子だのを持ってくるのも業腹だ。その含んだ笑いは何だよ、いまいましい。

 さて、今日の予定をこなし終わるころにはすでに夏の日も傾きはじめ、時計が1日の2/3が過ぎたことを示していた。慣れない勉強漬けに疲れてぼんやりした頭を少しは回復させようと外を見る。さっきまで眩しいくらいの青に彩られといた空がいつの間にか濃い灰色に塗り替えられてるな、と思ったとたんに一気に雨が降って来た。ああ、今日も暑かったからな。
「夕立か」
 突然の雨につぶやくと、同じように外に目をやっていたハルヒはその形の良い眉を寄せた。
「もうそろそろ帰ろうかと思ってたのに」
 そりゃ残念だったな。どうしても帰りたいって言うんなら傘くらい貸すぞ。
「バカ言ってんじゃないわよ! こんな雨じゃ傘なんか意味ないわ。洗車機の中みたいじゃないの」
「お前は子供の頃、洗車機で車洗うときに中に残ったりしたんだろ」
「それはあんたでしょ」
「否定はせん」
「やっぱりね」
 と言うか、たいていの子供はやってるんじゃないのか? 妹も最近まで喜んで車に残っていたぞ。
「エンジン切っちゃうから窓を開けられなくてつまらなかったわ」
 おい、窓を開けたら中がずぶぬれで大変なことになるじゃねえか。そんなこと考えるのはお前くらいだ。
 ハルヒは俺の言葉を受けてニヤリと笑った。
 嫌な予感がする。出来ればはずれて欲しいがな。

「外に出るわよ!」

 はずれりゃいいってのに、こういうときばかり当たってしまう自分が嫌だ。
「ふざけんな。1分と経たずに全身濡れ鼠になるだろ」
「だからじゃない! こんな凄い雨だと逆にワクワクしてこない? 何か起こりそうじゃない!」
 そんなわけあるか、大雨のたびにハルヒが期待するような何かが起こっていたら台風の季節は超常現象の大安売りだ。
「とにかく行くったら行くわよ!」
「おい待て、外に出るってどこに行くつもりだ」
「ついでだから帰るわよ!」
「アホか! だいたいさっきは雨で帰りたくなさそうなこと言ってたじゃねえか」
「そりゃ1人で行くのは嫌よ」
 って待て。何でお前がこの雨の中を帰るのに俺が行かなきゃならん。
「勉強つきあってあげてるんだから送りなさいよ」
 断る。夕立なんだから1~2時間で止むだろ。それまでおとなしく待てよ。
 などという俺の言葉は馬耳東風、ハルヒは俺の手首をしっかりと掴むとそのまま玄関まで引きずって行く。冗談じゃねえ。
「ってお前何で荷物持ってねえんだよ!」
「こんな雨の中持って帰ったらダメになるじゃないの! どうせ明日も来るんだから置いて行くわよ」
 こういうときに反論なんてしても何の役にも立たないことは明白であり、結局俺はハルヒに引きずられるまま土砂降りの中を外へと出た。


 大粒の雨が容赦なく叩き付ける中を歩くなんてことは去年の合宿以来だが、もうこりごりだなんて思っていたのにまたやる羽目になるとはな。
 もちろん俺もハルヒも数秒で濡れ鼠と化し、シャツが身体にはり付く。
 近くで雷鳴も轟き、俺は眉をひそめた。
「おいハルヒ」
 雨音で声がかき消されるような気がしてつい大声になる。
「なによ?」
「やっぱり引き返そう。雷も鳴ってるだろ。危ないんじゃないのか」
「あんた雷が怖いの?」
「家の中なら怖くないけどな」
 雷はそれなりに危険だという認識くらいはある。だからこんな天候の中、たいした理由もなく出歩くもんじゃないだろ。
「洗車機の中は実感できたんじゃないのか? とりあえず雨が止むまでうちにいろよ」
 ハルヒは少し不満そうな顔をしたが、やはりこの雨の中を歩いて帰るのは無理があると思ったんだろう。
「いいわ、あんたがそう言うなら」
 意外にあっさりと引き返すことを承諾した。
 この間、おそらく5分も経っていないというのに、俺もハルヒも絞れるんじゃないかと思うほどびしょ濡れであった。
「キョンくん、ハルにゃん、何してるの?」
 不思議そうな顔で出迎えた妹にバスタオルを持ってこさせてから、ハルヒをシャワーに放り込んだ。
「風邪ひくまえにシャワー浴びろよ。着替えは適当に用意するから」
 そう言って適当にTシャツと短パンを用意してやる。俺もシャワーを浴びたいと思ったがとりあえず着替えるだけで我慢しておいた。
 まったく、無茶につきあわせるんじゃねえよ。

 そのまま部屋でぼーっとしていると、ハルヒが入ってきた。
「乾燥機借りたわよ」
「お袋に言えよ」
 まあ文句は言わないだろうが。
「もう言ったわよ」
 そりゃお袋は階下にいたから当然だよな。
 それにしてもハルヒの態度が何かおかしい。俺を正面から見ないし、何となく胸の辺りを気にしているような……って待てよ。あの雨で俺自身も下着まで絞れるほど濡れたわけで、当然ハルヒもそうだってことは……。
 つまり、なんだ、今ハルヒは、って、そういうことか!?
 いや待て落ち着け、だからなんだっていうんだ、状況が状況なだけに仕方ないだろうが。だいたいハルヒ相手に何か出来るわけもないしって、だからする気もないってそうだろ? いや、視線を胸にやるなよ俺!
「……あんた今やらしいこと考えたでしょ」
「違う! 断じて考えてない!」
 ただちょっと目のやり場に困ってるだけだ、ああ畜生!
「とりあえずこれ被っとけ」
 タオルケットを頭から被せてホッと息を吐く。落ち着け、だから焦るほどのことじゃないだろ。だいたい男の前でも平気で着替えていたハルヒだ、俺ほど気にしているわけもない。
 ハルヒはタオルケットを羽織ったまま頭だけ出す。少し頬が赤いのはなんなんだ、いったい。
「……ありがと」
 て、その表情で言うのは反則だ。なんだか知らんが俺の中で何かが暴走しそうじゃないかって、だから何かってなんだ?
 このままハルヒを見ていたらどうにかなりそうだったので、何とか視線をそらして本棚の辺りを見る。そうだ、どうせなら本でも読もう。余計なことを考えずに済む。
 ……なんて考えをあっさり棄却しやがるのもこの団長だったんだよな。
 俺が本を選び始めると、背後で気温を3度ほど下げるような声で文句を言い始めた。エアコンの温度あげようかね。
「何よ、あたしを放っておいて本なんか読む気?」
 うるせえ、今の俺は非常に読書がしたい気分なんだよ、お前はそこでおとなしくしてろ。
「それじゃあたしが退屈じゃないの」
 じゃあお前も本を読めばいいだろ、と言ってしまったのだが後の祭り。
 それじゃあ、と俺の後ろにやってきたハルヒは……。
「ふうん、結構本読んでるのね。どれが面白い?」
 なんか言ってるが答える余裕なんか俺にはすでにない。ハルヒは俺の背中にのしかかってやがるし、つまり俺の背中にはシャツ越しに何とも言えない感触が押しつけられている訳で、ああもう理性なんかどっかに吹っ飛びそうだ。
「ちょっとキョン? 何固まってるの……って、あんた顔真っ赤じゃないの、どうしたの? キョン!?」
 ハルヒの声を聞きながら、頭に血が上りすぎた俺はそのままぶっ倒れてしまったのだった。

 ……情けねえ。


 やがて眼が覚めた時にはすっかり雨は止んでいたが外は闇に包まれていた。俺はどれくらい寝ていたんだ?
「やーっと起きたわね。もう、急に倒れて心配させるんじゃないわよ!」
 そう言うハルヒはすでに元の服に着替えていた。とっくに乾いてたらしい。
「ああ、すまん。しかし帰らなかったのか?」
 ハルヒは俺から視線を外しながらも答えた。
「だって、あたしが雨の中連れ出したから風邪でもひいたのかと思ったんだもの。団長なんだから責任持って気がつくまでいなきゃと思っただけよ」
「そりゃ悪かったな。いや、風邪じゃねえよ、大丈夫だ」
「風邪じゃないのに倒れたなんて余計に心配じゃないの!」
 ハルヒの表情は本気で心配していて、俺は返答につまった。
「本当に気にするようなことじゃねえよ、大丈夫だって」
 まさかハルヒが背中に当ててるから頭に血が上ったなんて絶対に言えない。
「本当のこと言いなさい!」
「お前が気にするようなことじゃない!」
 いい加減しつこい、と言いかけて言葉を切った。ハルヒが突然泣きそうな顔をしたからだ。
「……だってまたあんたが目覚めないんじゃないかって思ったら……」
 本当に泣いたわけじゃないが、普段は見せない不安げな表情をされたら俺も何か言わなきゃならないって気にもなる。だが、なんて言えばいいんだ? 本当のことを言ったら、って、やっぱりその選択肢は無理!
「いや、本当になんでもないからそんな顔するなよ」
「でも……」
「俺は大丈夫だ、信じてくれ」
「……」
「いや、その、……」
 だからそんな悲しそうな顔をするなって言ってるだろ!
「……まあ、あれだ、何というか背中の感触にテンパってだな……」
 って結局本当のことを言ってるじゃねーかよ!
「背中の感触?」
 一瞬いぶかしげに聞き返したハルヒは、どうやらその意味がわかったらしく顔を真っ赤に染めた。
「このエロキョン! 人に心配させといて何よそれは!」
「しょーがねーだろ! だいたい好きな女にあんなことされて……」
 ってちがーう! 何言ってんだ俺! いや、今のは言葉のあやだ、勢いだけで発言しただけだ、落ち着け。
「……好きな女?」
「いや、だからそれは違う、その、なんだ……」
「はっきり言いなさい!」
「だからハルヒが好きなんだよ!」
 売り言葉に買い言葉もここに極まれりだ、畜生。はっきり言えって言われて本当に言うバカがどこにいる。ああここにいるのか、誰か銃を持ってきてくれ、バカは死ななきゃ治らんらしいからな。
 ハルヒは信じられないといった顔つきで目を見開いていたが、やがて「帰る」とだけ言い残して部屋を出て行った。
 俺は後を追うことも出来ずにただその背中を見送った。しかしハルヒ、何か言うことはないのかよ。

 何となく暗い気持ちを抱えたまま布団に横になってため息を吐く。やれやれ、俺は何だってまたあんな自爆を演じちまったんだ。覆水盆になんとやら、今更前言撤回ともいくまい。
 そして、ハルヒは何故何も言わずに帰ったんだ? 受け入れられるなんて思ってないさ、だけど怒りもしないのがかえって怖い。完全なる拒絶みたいじゃないか。
 ふと机を見ると、ハルヒの勉強道具がそのまま置いてあることに気がついた。どうせ最初は置いて帰る気だったからか、とりあえず明日は来てくれるってことでいいんだよな。俺はどんな顔してハルヒを迎えればいいのだろうか。

「キョンくん、もう起きたんでしょ? ご飯食べないの?」
「こら、ノックくらいしなさいって言ってるだろ」
 突然ドアを開けて顔を出した妹に小言を言いながらベッドから降りた。
「ハルにゃんも一緒に食べよーって言ったのに帰っちゃった」
「まあ、もう遅いからな」
 明日もまた来るらしいからお前が寂しがることもないさ。
「でも、明日からみんなでお出かけだよ? あ、キョンくんは宿題が終わるまでダメだって」
 なんですと? 初耳だぞ、いつ決まったんだ?
「さっき親戚のおばちゃんから電話があったんだってー。そのままいつもの夏休みみたいにずっといるみたいだよ。キョンくんご飯どうするのかなー」
 飯くらいはどうとでもなるからいいが、突然親戚の用事ってどういうことだ? だいたい宿題が終わるまでって、まだ7月なんだから後回しにすることも出来るはずだ。毎年恒例の田舎訪問を繰り上げるにしたって、こんな突然決まるのもおかしい。
 何か作為的な物を感じる。そして、無意識に作為的なことをやってのける人間を1名知っているわけで……。

 やっぱりお前か? ハルヒ。
 ……本当に、俺は明日どんな顔でお前に会えばいいのか教えてくれ。


  おしまい。