優しい時間
捧げ物 | 編集

早月奏様に1周年記念として押しつけたものです。

「あーもう、やっちゃったわね」
 すっかり暗くなってずいぶん時間が経っていた。仕方がないことなんか解ってるんだけど、無情にも最終電車が出てしまったことを示している時刻表を睨め付ける。
「もう電車がないなんて早すぎるわよ」
 文句を言ったところで電車を走らせてくれるわけじゃない。でも、ここは家からずいぶん遠い、しかも初めて来た町。帰る手段なんて電車しかなかったのに、それを奪われてしまったんだから文句くらい言っても罰は当たらないわよ。
 溜息を吐くのは好きじゃないけど、他にどうしようもないときっていうのは勝手に出るものね。今日何度目かの溜息を吐きながら、あたしは駅前のベンチに座り込んだ。
 周囲には宿泊施設などない。ファミレスどころかコンビニすら見あたらず、とっくに閉店したタバコ屋と古くさい食堂が店を並べているだけ。これは泊まる所を探すのも苦労しそうだわ。どうする?

 キョンを呼び出してもさすがにこんな所までは来ないわよね。
 それとも、あの“オンボロ”とのドライブを楽しむためにここまで来るかしら?

 大学に入ってすぐにバイトを始めたキョンは、いつの間にかあたしに黙ってお金を貯めていたらしく、やがて免許を取って車を買った。
 とは言っても所詮学生のバイト、新車でいい車なんか無理に決まってる。買ったのは中古も中古、どう見てもオンボロの車だった。
 どうせ買うならもっと乗り心地良さそうなのを買いなさいよ! と怒るあたしに、今の俺に買えるのはこれくらいだろ、とそれでも嬉しそうに笑っていたのが悔しいけど今でも印象に残っている。あんなオンボロ車、どうせすぐに廃車になるんじゃないかしら、と思っていた予想に反して1年間元気に動いている。SOS団で出かけるときにもそれなりに活躍してくれていて、同じ時期に買った古泉くんの新車は数えるほどしか乗っていないのに、キョンの“オンボロ”にはずっとお世話になりっぱなしだ。

 さてどうしようかな、と取り出した携帯が、まるで見計らったかのように鳴り出したのにドキリとした。別に近くに居てあたしを見張ってるわけじゃあるまいし、偶然にいちいち驚いていてもキリがないのに。
 何となく確認しなくても誰だか解る気がして、あたしはディスプレイを見ずに電話に出た。
『よう』
 予想通りの聞き慣れた声。このたった一言を聞いただけで、見知らぬ土地で夜を明かさなければならないかもしれないという不安に満たされていた心がふわっと軽くなった。
「なによ、キョン」
 そんな気持ちの変化を気取られないためにわざとぶっきらぼうに話す。こんなことしなくても、あの鈍いキョンが気づくわけもないんだけどね。
『“なによ”はないだろ。お前バイト代出たら飯奢れって言ってたじゃねえかよ』
 あ、そうか。今日はキョンの給料日だ。いつもこの日は「ご飯奢りなさい!」って言ってるから、今日も律儀に電話をかけてきたんだ。そのくせいつも「俺はお前に飯を食わせるためにバイトしてるんじゃない」なんて文句だけは言う。
「バイト代が出てすぐに電話をかけてくるのはいい心がけね。でもせっかくだけど、今日は行けそうにないわ」
『どうした? 奢るってのに断るなんて、腹でも壊したのか?』
 なんでそんな理由が出てくるのよ!
「違うわよ、バカ。今日は出かけてて結構遠いとこにいるし、終電も終わってるから帰れそうにないし」
『結構遠いって、お前何処に居るんだよ』
 あたしは少し躊躇ってから、今居る駅の名前を告げた。県内とは言えずいぶん遠いし、しかもローカル線。キョンは呆れたような口調になった。
『なんでまたそんなところに……いや、それより終電も終わったってことは、どっかに泊まるのか?』
「まだわかんない」
『はあ!? おい、こんな時間にお前まだ外に居るのか?』
「仕方ないでしょ! 泊まる予定なんかなかったし、周りに泊まれそうなところもないし」
『仕方ないじゃねえ! だいたいお前はいつも考えなしに行動しやがって、ちょっとはこっちの身にもなれって言うんだ』
「うるさい! 別に今はあんたに迷惑かけてないでしょ!」
『アホか、そういう問題じゃない!』
 電話の向こうでキョンが一つ溜息を吐いた。何よ偉そうに。
『ったく。迎えに行ってやるからどっかで待ってろ。コンビニとかないのか?』
「ないわよ。何にもない」
『マジかよ。……わかった、とにかく出来るだけ人のいそうな場所に居てくれ。出来るだけ早く行くから』
 それだけ早口に言うと、一方的に電話は切れた。
 たぶん、ここに着くまでに高速を使っても1時間半はかかる。それまでどうしてようかな、と考えているうちに、だんだん眠たくなってきて……。

「……おい、ハルヒ」
 呼ばれた声に飛び起きた。あれ? あたしいつの間に寝ちゃってたの?
「お前なあ」
 目の前にはキョンの呆れ顔。本当に迎えに来てくれたらしい。
「頼むから、こんなところで無防備に寝ないでくれ」
「だって退屈じゃないの」
 確かに夜中に外で寝てるっていうのはちょっと危ないかもしれない。でも、キョンに偉そうに言われるのはシャクだ。
「別に平気よ」
 そういうあたしにやれやれとまた溜息を吐いている。思いついて腕時計を見ると、すでに深夜1時近くになっていた。確かにちょっと心配させちゃったかもね。
 チラリとキョンの顔を盗み見ると、不覚にも目が合ってしまった。
「寒くないか」
「寒いわ」
「そりゃこんなところで寝てりゃな」
 苦笑しているくせに目が優しい。
「とりあえず車に乗れよ。それでも寒けりゃ暖房入れてやるから」
 すぐそばに停めてある車はやっぱりいつもの“オンボロ”だった。
「相変わらずボロいわね」
「悪かったな」
 それでもキーを回せばエンジンはすぐにかかる。
「外側も何か傷だらけだし、内装もヘタレてるし。でも、あんたにお似合いだわ」
 同じ頃に買った古泉くんの車は、外も中も綺麗だったけど。
「俺はボロしか似合わないってことかよ」
「そこまで言ってないじゃない」
 でも、みんなで出かけるとき、あたしはいつもこれに乗っていた。他の団員にこんな車乗せるわけにいかないわ、団長自ら犠牲になってるのよ、って言い訳して。
「……でも、あたしは好きだわ。なんだか安心する」
 悔しいけどこの車に乗っている方が落ち着くのよ。全然格好良くもない車だけど、なんだか優しい。
「そう言われたらこいつも喜んでるだろうよ」
 いつもお前は悪口ばかり言ってたからな、とキョンは横顔で笑った。そうだ、この車に乗ってるときはキョンも優しい気がする。優しい時間が流れている。

 やっぱり少し疲れていたのだろう、車の揺れを心地よく感じているうちにいつの間にか目を閉じていた。
「……ハルヒ? 寝たのか?」
 聞こえてくる声も心地よくて、答えるのは物憂くて、あたしは目を閉じたまま。だんだん意識が遠のいていく。

「……このままどこかに連れて行ってしまいたいな」

 そんな言葉が聞こえたのは夢だったのだろうか。


 次に目が覚めたときには、自宅の前に到着していた。
「着いたぞ、起きろ」
 まだ微睡みの中に居るあたしは、もう少しそうしていたかった。もう少し、この車にキョンと乗っていたかった。
「……このままどこかに連れて行ってもいいわよ」
 目を閉じたまま呟いた言葉に、キョンが驚いた気配が伝わってきた。
「どっかって、どこだよ」
 どこだろう。キョンはどこに連れて行ってくれるんだろう。
 あたしは目を開けてキョンの顔を見る。
 戸惑った表情が、なんだか面白かった。

 流れている時間は、やっぱり優しかった。


  おしまい。