溜息の理由
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 ガシャン、と機械的な音がして、種類の違う白銅製の硬貨2枚を飲み込んだ自動販売機は代わりにペットボトルを1本吐きだした。どうも暦の上ではとっくに秋どころか冬も近いことになっているはずなのに、未だに夏の気温を置き忘れたまま季節だけ過ぎていってしまったんじゃないかと心配になるくらいの気温に地球の症状は俺が大人になるまでにどうにかなりそうだと憂鬱になりつつ、俺は身体を屈めてそのペットボトルを拾おうとして、出来なかった。
 背後から誰かが近づいて来たかと思うと、横から俺が掴もうとしたペットボトルをひょいと取り上げてしまったからだ。
「おいコラ。それは俺が買ったんだ」
 そんなことをするヤツに心当たりは1人しかないので、俺は遠慮なく文句を言った。振り返った時にはすでに遅い、俺から150円分の飲料を奪った犯人はすでに開栓して中身を半分ほど飲んでやがる。おい、全部飲む気じゃないだろうな。
「ぷはー! 美味しかった。こうも暑いと喉も渇くってもんよね。夏服に戻しちゃだめかしら?」
 まったく悪びれた様子もなく俺にペットボトルを押しつけたハルヒは、やはり悪気なんかこれっぽっちも見つからない笑顔を俺に向けた。
「おい、だからこれは俺が買ったんだ。3/4も飲むなよ」
 一応もう一度文句を言ってから残りを一気飲みして、空きボトルをゴミ箱に向かって放り投げた。ストライク。
 それにしても、いつものことだがハルヒは自分が悪いことをしているなんてこれっぽっちも思っちゃいない。いったい俺のものはハルヒのもの、なんていうジャイアニズムが基本なのか、それとも俺だけにそうなのか。どっちにしても腹立たしいことに違いないし、俺は怒るべきなんだろう。
 しかし、これまたいつものことながら、ハルヒの無邪気な笑顔を見ていると怒る気も失せてしまう。まったく、我ながらいいように使われているなと感じてさえいるのに。
「…………はぁ……」
 怒る代わりに肺にため込んだ空気を大げさな声とともに吐き出すに留めておいた。
「何よ、溜息なんかついちゃって」
「あのな」
 お前のせいだろうが、という言葉を飲み込んで、俺を見つめるハルヒの顔を見返した。
「なんでだか解るか?」
「解んないから聞いてるんじゃない」
「いや、溜息の理由じゃなくてだ」
「何の話?」
 やっぱりこいつは全然解っていない。飲み物を奪われたことより、本当はそっちの方がむかつくんだが。
「なんで俺が、自分で買ったもんをお前に奪われても怒らないのか、考えたことあるか?」
「へ?」
 ハルヒはわけが解らない、と言う顔をしてぽかんとしているのみだ。こいつは本気で俺の言ったことを考えたことすらないんだよな。本気で腹立たしい。
「お前が人の気持ちに思い至らないなんて今に始まったことじゃないけどな、たまには考えてみろよ」
 むかつく気持ちそのままに吐き出した言葉は瞬時に後悔したが、やはり遅かった。
「はあ? 何言ってんのよ、あたしがいつ……っ!」
 怒り心頭なのか、ハルヒは上手く言葉を継げなくなって真っ赤になって黙り込む。
 そのまま踵を返すと、今来た方向に戻っていってしまった。その後ろ姿は全力で「ついてくんな」と言っており、俺も後悔したとはいえどうしていいか解らず、そのまま放っておくしか出来なかった。

「……人の気持ちに思い至らない、か。俺のことじゃねえか」


 ハルヒに向かっていたはずの腹立たしさがいつの間にか自分に向けられていることを自覚しながら、他に行く宛もないので結局部室へと向かってゆっくりと歩き出す。畜生、何もあんなこと言う必要はなかったよな。反対方向へと歩いて行ったハルヒはすぐに部室には来ないだろうが、後で会ったら謝るべきだろう、などと思っていた俺の後頭部に突然何かがぶつかり目の前に火花が散る。痛えだろ!
「おい、なにしやがる!」
 振り返って文句を言った俺の目に、何かを投げ終えたフォームから立ち直るハルヒが写った。おい、お前は怒っていたかもしれんがここまでやることないだろ!
「それ」
 俺の文句なんか相変わらず右から左へと抜けていくハルヒは、本当に何も聞こえてなかったように平然と俺の足下を指さした。
 その指が指し示す方へと視線をやると、はて、ペットボトルのお茶が一本転がっている。俺の後頭部を強襲したのはこれか。
「なんだよ、これ」
 頭をさすりながらも拾い上げる。さて、これはどういうことだろう。俺に向かって投げつけたってことは、くれるってことでいいのだろうか。
「だ、だから、その……」
 ハルヒは俺から視線をそらして言葉を継いだ。
「わ、悪かったわよっ。それ返すから、それでいいでしょ!」
 なんと、あのハルヒが謝った。しかも飲んだものを返してくれるとは。今日は秋にしちゃ暑いのに雪でも降るのかね。
 しかし、何というか、結局こいつは根本の部分が解ってないんだよな。だから俺が解って欲しいのは、奢るとか取られるのが嫌なんじゃなくてだな……。
「…………はぁ」
 本日2度目の溜息をつくと、ハルヒは俺をじろりと睨んだ。
「なによ、その態度! せっかく人が……って、あんた溜息つきながら何ニヤニヤ笑ってんのよ、おかしいわよ、間抜け面して!」
 おっと、いつの間にか俺は笑っていたらしい。笑い事じゃないと思ってるくせに、結局ハルヒがこうやって折れるなんて珍しい物を見ちまったんだからな、無理もないか。
「いや、ありがとな」
 返してもらってお礼を言うのも変だが、まあハルヒにしちゃ大進歩だ。言って減るもんでもない。
 俺の礼も怒った顔で受け止めると、そのまま部室の方へと歩き出した。俺も隣を歩くことにする。怒ったままの横顔はしかし本気じゃないことくらい、さすがに解ってるからな。
 しかしなんで俺ばっかりこいつを理解してやらなきゃならんのだ。フェアじゃない。

「なあ、ハルヒ」
「なによ」
 目だけをこちらに向けて睨むその白く整った顔に、俺は言ってやる。
「そのうち、俺のことだって解ってくれよな」
「あたしは団員のことはちゃんと理解してるわよ!」
「いーや、全然解ってねーよ」
「なんですって!?」
 一気に怒りゲージがMAXまで上がったハルヒをみて、3度目の溜息をついた。

 そろそろ俺は団員その一でも雑用でもなく、お前の特別になりたいんだよ、なんて言えるわけもないけどな。
 怒るハルヒを何とかなだめながら、俺はいったい後何回溜息をつくんだろうな、なんて考えていた。


  おしまい。