紙婚式
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夫婦設定注意

 すっかり遅くなってしまった帰路を急ぎながら、俺はこの一年、いや、それよりもう少し前のことを思い出していた。
 急ぎながらも途中で少し寄り道をしたのは訳がある。
 今日という日を忘れていたらあいつは怒るのは考えるまでもないし、俺にとっても大切な日であることは間違いない。

 涼宮ハルヒ、とかつて呼ばれていた女が俺の結婚相手になるとは、出会ったばかりのころなら、俺が大蔵省の政務次官にでもなることを真剣に検討する方がまだありえるというくらい考えもしなかった。
 それがどこをどう間違えたのか、俺はいつの間にかハルヒなしの生活というものが考えられなくなっており、結果として人生をともに歩んでくれるように頼み込む────世間一般で言うところのプロポーズなどをしてしまったわけだ。

 思い出すとこっぱずかしいとしか言えないプロポーズをハルヒが断る何てことは考えてなかった。俺がハルヒを必要としているように、ハルヒは俺を必要としている、そう断言するのは自惚れかもしれないが、間違いではない。昔なら考えもしなかったことだが、ハルヒが七年……出会ってから考えれば十年かけて俺にくれた自信だ。
 それでも、いざ言おうとするとめちゃくちゃ緊張はしたけどな。

 俺の申し出を、ハルヒは今まで見た中でも一番と言えるくらいの笑顔で受け入れてくれた。そのときの俺の気持ちをなんと言えばいいのか、未だにいい言葉が見つからない。どんな修辞も美辞麗句も当てはめる必要はないのかもな。
 結局、簡単な言葉で表せるのだから。
 つまり『幸せ』の一言に尽きる。

 こうして俺はハルヒと結婚をして一年が経った。今までと違い、二人でいる、ということは生活をすると同義になったわけだ。お互いそれまでは別の家に住み、異なる生活習慣の元で暮らしていたのだから、当然摩擦が発生する。
 正直な話、付き合っているときでは考えられないような喧嘩をした。それも何度か。
 そのたびにやはりあの灰色空間が発生するらしく、俺は高校時代から変わらず古泉に嫌味を言われる役目を引き受けなければならないわけだが、一年を振り返ってみると、ある程度は仕方ないだろ、とも言ってやりたくなる。
 結局、それは俺たちがそれまでの別々の生活を持った人間から、「夫婦」という共同作業をする上での必要悪であった。今では意見の食い違いもうまく話し合えるようになってきて、少なくとも最初の段階は乗り越えられたと思う。
 夫婦ってのは、こうやって一歩一歩近づいて行くもんなんだな。
 きっと、これからも色々問題は発生するだろう。今がよければ残りの人生すべていいなんて短絡な思考に陥れるほど人生をなめちゃいないつもりだ。
 それでも、ハルヒとなら乗り越えられる。
 これは出会ったときよりも、プロポーズしたときよりも、結婚したてのときよりも、今一番はっきりと感じている確信だ。

 そんなことを考えている間に我が家に到着、自分で玄関のドアを開ける。
「ただいま」
「おかえり!」
 必ず鍵を開ける音を聞きつけて玄関まで迎えに出てくれるハルヒは高校時代から変わらない笑顔を見せてくれたが、俺が手にしている柄にもないものを目にして、小鳥のように首をかしげて訊ねた。
「それはどうしたのよ」
 なんで俺がそんな物を持っているのか全く解っていないような顔をしている。おい、まさかお前忘れてるのか?
「在り来たりで悪いが、お前にだ。……一年間ありがとう、これからもよろしくな」
 そう言いながら駅前で調達してきた花束を渡すと、ハルヒは目を丸くして驚いていた。本当に忘れていたのか。
「覚えてたの?」
 って、驚くのはそっちかよ!
「ああ、本当は外食でも誘おうと思ってたんだが、ここんとこ早く帰れない日が続いてたからな。せめて何かと思ってたんだが、結局思いつかなかった」
 我ながら花束なんて安易だと思う。気持ちを素直に伝えるなんてことは昔から苦手だったし、それを物に込めるなんてことになると本当に何にしたらいいのかさっぱり解らなくなっちまう。
「忙しいから忘れてるかと思ってたわ。覚えてくれてただけでもいいってことにしておいてあげる」
 ハルヒはまた花束に負けないような笑顔になると、
「あたしもキョンを待ってたらお腹空いたわ。ご飯にしましょう」
 と台所へと戻っていった。

「なあ、一つ聞きたいんだが」
「なによ」
「なんで食器が紙なんだ?」
 ハルヒはやはり結婚記念日を祝いたかったんだろう、かなり気合いの入った料理が並んでいたのだが、その料理はなぜか紙皿に並べられている。晩酌も紙コップでするのか?
「うーん、あたしも考えたんだけどさ。結婚一年目は『紙婚式』って言うから、それにちなんでみたんだけど」
 紙婚式? 金婚式とかなら聞いたことあるが、一年目からそんな名前がついてんのか。イベントごとに何かをしようとするのはハルヒらしいな。
「そうよ。二年目は藁婚式、三年目は革婚式って言うらしいわ。これは毎年祝わないとダメってことじゃない?」
 まあ、名称はともかく、俺にとっても大切な日だってことには違いないさ。
「そうよ、プラチナ婚式までちゃんと祝ってやるんだから!」
「それって結婚何周年なんだ?」
「七十五周年よ!」
 ななじゅうごしゅうねん? おい、てことは俺は何歳まで生きなきゃならないんだ!?
「そうよ、せっかく記念日があるのに祝えないなんて悔しいでしょ。だからちゃんと名前が付いているうちはお祝いするのよ!」
 そんな理由で俺は強制的に長生きしなきゃならないことになりそうだ。
 まあ、理由はどうあれ出来れば少しでもこいつと長くいた方が、人生はおもしろそうだと思っちまう俺は結局毒されているのかもしれない。

 俺は帰宅途中に考えていることを思い出した。
 七十四年の間には、きっといろいろなことがあるだろう。意見が合わずに喧嘩することだって絶対にある。二人で途方に暮れるしかないような事態が発生するかもしれない。
 だが、七十四年後だって百年後だって、振り返って色々あったな、なんて二人で笑える自信が俺にはある。
 ハルヒだって、そうだろ?

「当たり前でしょ! ……それから、あたしも一年間ありがとう、キョン。これからもずっと、よろしくね」


  おしまい。