虫歯の日
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 土曜日。何かすることがないわけじゃないのだが、夏休みの宿題同様手を付けるという行為がやたらと難しく感じて結局何もせずにベッドに寝転がり、俺は部屋の天井を眺めていた。さて、ハルヒはやっぱり怒っているのかね、と考えないようにするのが不可能なのは、今日は市内探索をすると言われていたのに、今朝になって休むとメールをして携帯の電源を切っておいたからである。
 いや、さぼりってのとはちょっと違うぞ。理由はあるんだが、あいつに通じるかは別の話だ。なんて考えていたのがまずかったのか、とにかく予想は悪い方がよく当たるらしい。

 階下がやけに騒がしくなり、まずいと思っても隠れるところがあるわけでもなく、俺はそのまま身体を起こしてベッドに腰掛けている、という体制で部屋のドアを蹴り開けたハルヒを迎えることになった。
「ちょっと、何よその顔。せっかくあたしが来てあげたっていうのに、つまらないとでも言いたいわけ?」
「もともとこんな顔だ、ほっとけ」
 ハルヒはTシャツにショートパンツというラフな格好で、全く遠慮せずにずかずかと部屋に入り込むと、俺の目の前までやってきて顔を覗き込んだ。
「なによ、元気そうじゃないの」
「お前はわざわざそれを確認しに来たのか」
 具合が悪いので探索を休む、としかメールしなかったわけだが、それを疑っていたってことはそんなに信用されていないのかね。
 吐息がかかりそうなほど近くにあるハルヒの顔から目を逸らしたくなったが、そうするとなおさら信用はがた落ちになりそうなので仕方なくにらめっこと相成った。またいつぞやのようにエネルギーでも注入されるのかね。
 ハルヒは突然視線を俺からはずすと、床の上に腰を落ち着けた。

「あんたのことだから面倒になってサボってるのかとも思ったけど」
 あんたってのは本棚の下から2段目辺りにいるようだ、ってのは冗談で、視線を外したまま俺に話しかけているのだろう。さっきまで睨んでいたと思ったら今度はなんなんだ。
 しかし、サボりとは心外だ。俺はなんだかんだ言って、あのわけの解らない部活もどきの団活をサボったことはないぞ。我ながらなんで毎日毎日たいした用事もない文芸部室に足を運んでいるのか大いに疑問だがな。
「で、どこが悪いのよ」
 具体的にどこが悪いと言うと何となくハルヒは怒りそうではある。しかし、ウソを言っても妹あたりが後で暴露しそうだし、結局俺は本当のことを言うしか選択肢はなかった。
「あー、実はだな、夜中から歯が異常に痛くてだな……」
「はあ?」
 ハルヒはようやく話し相手が本棚ではなく俺だと気付いたようだが、それはギャグのつもりか、笑えんぞ。
「あんたじゃあるまいし、そんな寒いギャグ言うもんですか」
 いや、お前はときどき親父ギャグを言っているような気がするんだが。
「そんなことはどうでもいいの! あたしが呆れてるのは解ってるんでしょ?」
 まあそうだと思ったけどさ。呆れても物が言えるハルヒはなおも続けた。
「気をつけていても罹ってしまう病気ならともかく、歯なんて自分でちゃんと磨いていれば健康に決まってるわ! 自己管理がなっていない証拠よ!」
 返す言葉もございません。確かに、ちょっと歯磨きをしないわけじゃなかったが、適当に終わらせていたかもしれない。ちゃんと磨いていれば、虫歯になることもなかっただろう。
 ハルヒは虫歯になったことなんかなさそうだな。小学校の頃、健歯の表彰なんてものがあったが、毎年選ばれてそうだ。
「で、今は平気そうな顔をしているってことは、もう大丈夫なの?」
「ああ、歯医者には行った。もう1回行かなきゃならんが、そこさえ治れば他に虫歯はないそうだ」

 俺の言葉に何故かハルヒがホッとした表情を浮かべた。コイツなりに心配してくれていたってことかもしれない、と思ったら、突然怒り顔に変わりやがる。ころころ表情を変える奴だが、いきなり何を怒ってるんだ?
「で、なんで携帯に出なかったのよ!」
「ちっ」
「今舌打ちしたわね! ちゃんと聞こえたわよ!」
 しまった、火に油を注いだようだ。
 携帯の電源を切ったのは、歯が痛いってのにハルヒの追求にあったら敵わんと思ったからというのが本音だが、それを言うと油どころか火にニトロを放り込む結果になりそうな気がする。
「いや、ほら、歯医者も一種の病院だろ? 病院だと携帯の電源切らなきゃならないと思って、そのまま忘れてただけだ」
「ふぅん? 一応理屈は通っているわね」
 ハルヒは全然信じていない。胡乱な目がそれを物語っている。
「じゃあ、さっきの舌打ちとその理屈の関係を述べてもらいましょうか。50字以内で」
 そりゃなんの国語のテストだよ! なんで文字数制限があるんだよ!
「そんなツッコミで誤魔化すな!」
 今日のハルヒは妙に追求が厳しい。いつもなら割にあっさりひいて、その代わり罰金だの罰ゲームだのを言い渡すのだが、今日は何が何でも理由を知りたいのか?
 俺はしょうもない理由でもいいから何か話さなければならないようだ、と観念した。
「いや、実はだな」
「とうとう言う気になった?」
「歯が痛すぎて話すのが億劫だった」
「はあ?」
 だからそれはギャグか……って痛え!
「このアホキョン! あんた勝手に休んであまつさえ電話にも出ないって、団員としての自覚があるわけ!?」
 解った、ギャグじゃないよな。だからその怒りに震える拳を解け、怖いから。
 しかし、断りのメールは入れたし、そもそも具合が悪いと言っている奴が電話に出なかったら寝ているのかとか察するだろ、普通。
「解ってるわよそんなこと。でも、1回だけでも声を聞かないと安心でき」
 ハルヒはものすごく中途半端に言葉を切ると、再び本棚に視線を移した。
「なんだって?」
 なんで途中で止めるんだ? なんて言おうとした? 声を聞かないと安心でき……「ない」と続くってことでいいのか?
「な、何でもないわよ!」
 珍しく視線を泳がせながら早口にそういうと、やにわに部屋を飛び出した。
「おい、帰るのか?」
 俺も慌てて立ち上がると、すでに階段を下り始めていたハルヒに声をかける。来たときも突然なら帰りも突然だな、まったく。
「うるさい! ついてくんな!」
 俺、なんかしたか? いや、怒らせると言えば、探索に行かなかったこと自体がそうなんだが、どうもそれが原因じゃないようだ。
 ついてくんな、と言われて俺は玄関から飛び出して行ったハルヒにそれ以上聞くことができなくなった。居間から顔を出した妹が玄関で見送ったようだが、その妹も「ハルにゃんどうしたの?」と首をかしげていたほど様子がおかしかったらしい。

 翌日のハルヒはいつも通りで、俺もそんなことはすぐに忘れてしまったんだがな。


 さて、例の虫歯は治療を終え、喉元過ぎればなんとやら、俺はいつもの怠惰な日常を過ごして次の土曜日を迎えた。
 不思議探索とやらはハルヒのやる気があるときは立て続けに行われるものとなっており、俺は先週の欠席ペナルティとして何番目に着こうと奢りが決まっていたので結局最後になったのだが、これもいつも通りだった。

「で、なんであんたとペアなのよ」
「くじ引きを決めたのはお前なんだから文句を言うな」
 探索メンバーをくじ引きで分けたのもいつも通り、だが珍しく俺はハルヒと2人になった。別に嫌ってわけじゃないが、図書館でサボったり公園を散策したりすることが出来ないわけで、さてどこへ行くんだろうね。
 ハルヒはいつもの勢いで歩き出し、やがてどうもSOS団と因縁があるらしい公園にたどり着いた。ここに何があるってわけじゃないだろうが、何かないとも限らないから困る。
 公園に着いたハルヒは足取りをゆるめ、俺はようやく横に並ぶことが出来た。追いかけるのに慣れちまってるってのも変な話だがな。
「そういや、あんた虫歯はもういいの?」
 覚えてたのか。
「ああ、治療は終わった。他に虫歯はないって歯医者のお墨付きだ」
「油断してるんじゃないわよ」
「解ってるさ」
 正直、あんな痛みはもう嫌だ。歯の痛みってのは我慢の限界を超えている気がする。
「とにかく、今度虫歯になったら承知しないからね」
 そりゃもうなりたくはないが、なんでお前にそこまで怒られなきゃならないんだ。
「だって、虫歯は移るから」
「はあ?」
 いや、ギャグじゃないぞ。虫歯って移るものなのか? どうやって? ハルヒはともかく、朝比奈さんに移していたら大変だ。長門はきっと大丈夫だろうし古泉はどうでも……
「そうじゃなくて! そんな簡単に移らないわよ!」
 おい、移るのか移らないのかどっちなんだよ!
「……だからっ!」
 業を煮やしたハルヒは俺の襟を掴むと(ネクタイがないからだ)ぐいっと引き寄せた。

「……!?」

 ほんの一瞬だった。けど、間違いようがない。
 ハルヒの唇が、俺の唇と触れあった。

「お、おい……?」
「だからっ! 虫歯になんかなるんじゃないわよ!」
 顔を朱に染めてそれだけを言うと回れ右。そのまま陸上選手顔負けの俊足で走り去ってしまった。

「おい、探索はどうするんだよ、団長」
 走り去ったハルヒを追いかけることも出来ないほど呆然としていた俺は、何をどうしていいか解らずに思わず呟いた。この後どうすればいいんだ?

 とりあえず、歯磨きだけは絶対に怠らないようにしよう、と俺は思ったのだった。


  おしまい。


6月4日にあわせようとして全く間に合わなかったネタ。今日何日だよwww