五月雨の空もとどろにほととぎす
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 空の色はどんより灰色で、朝から大粒の雨が降り続いている。自転車を通学の友としている俺としては憂鬱この上ない空模様だが、天気が悪いと機嫌も比例して下降するのは何も俺だけじゃない証拠に、先ほどから俺の真後ろでは、写真に写れば今の空の色と変わらないオーラが写りそうなハルヒが仏頂面で頬杖を付きつつ窓の外を眺めていた。

「退屈な天気だわ」
 呟く独り言は完全に予想の範囲内で、だいたいコイツの不機嫌の理由はほぼ退屈で埋められていると言っていい。
「まあ、梅雨だからな」
「梅雨だから雨が降るなんて芸がなさ過ぎるのよ。たまにはこっちの意表をついて雪でも降らしてみなさい!」
 曇天に文句を言っても届くわけもないし、第一この季節に雪が降っても色々困るだろうが。
「いちいちうるさいわね、解ってるわよ、そんなことは」
 じろりと俺を睨む目さえ雲に覆われたのか、いつもより輝きが失われているようだ。
 ハルヒの機嫌が悪いと巡り巡っても巡らなくてもとばっちりが俺に降りかかるという法則がすでに成り立っているので、早めに何とかしたいもんだが、しかし天気をどうこうすることは凡人の俺にはどう考えても不可能だ。やれやれ、梅雨の晴れ間を期待するしかないのかね。

「凄い雨。あたし、ちゃんと帰れるかなあ」
 放課後、相も変わらずの文芸部室でお茶を給仕している朝比奈さんが、ふと手を止めて窓の外を気にしていた。確かに傘も飛ばされそうな具合になってきて、この天候のもとでハイキングコースを下るのはなかなかしんどそうだ。ハルヒも朝比奈さんのつぶやきを聞き留めて、椅子ごと回れ右、外の様子を伺っている。
「そうね、これ以上ひどくなるとみくるちゃんが雨と一緒に坂の下まで流されちゃいそうだし、それはそれで面白そうだけど」
「ひええ?」
 おいおい。
「雨は今がピークなのかしら?」
「天気予報では、午後から激しくなって夜半がピークだと言っていましたから、まだこれからひどくなるのでしょう」
 ハルヒの疑問に間をおかず古泉が答える。そういやそんなこと言ってたな。これからまだひどくなるって、やっぱり台風並かよ。
「数時間後には雷の発生率が上昇する。危険」
 長門も本から目を上げて外を一瞥すると、古泉に一言付け加えた。
 ハルヒは励起したくても出来ないエネルギーをため込んだような表情をしていたが、
「じゃあ、ひどくならないうちに帰りましょ。今日はこれで解散!」
 あまり元気のない声でそう宣言すると、さっさと鞄を手にして部室を出て行ってしまった。

「やれやれ、不機嫌だな」
「こう悪天候が続くと、したいことも出来ないのでしょう。涼宮さんは家でじっとしているばかりでは飽きるでしょうから」
 自称ハルヒの精神分析家が言うのだからそうなんだろう。
「てことは、ずっと雨が降り続くとお前の仕事が増えるってことか」
 古泉は肩を竦めた。
「現在のことろ、まだ閉鎖空間を発生させるまでには至っていないようです。しかし、時間の問題でしょうね」
 まったく、雨が鬱陶しいくらいでそこまで不機嫌になることはないだろうが。
「あなたはご存知ないでしょうが、もともと涼宮さんが閉鎖空間を発生させる原因は些細なことでしたからね」
 野球で負けたり、か。
「あの5月以来、そういった理由で発生させることは少なくなりました。野球の件はSOS団全員が外で何かをするという初めての経験でしたから、また別でしょう」
 爽やかな笑みをたたえてそういうと、古泉も鞄を持って腰を上げた。
「さて、そういう状態ですから僕も先に失礼させて頂きます。もし閉鎖空間が発生した場合、」
 何故かその微笑は何か言いたげなものに変わった。
「すぐに対応出来るにこしたことはありませんからね」
 その言葉を残すと、朝比奈さんと長門にも律儀に挨拶をして古泉は部室を後にした。
「さて、俺も帰るとするか」
 正直この雨の中を帰宅するのはそれだけでうんざりするのだが、夜半まで続くとなると止むのを待っても意味がない。
「あ、あたしは着替えてから帰るので、お先にどうぞ。戸締まりはしておきますから」
 梅雨の晴れ間に虹までつけたような微笑みで朝比奈さんがそうおっしゃってくださったので、ここは甘えることにしよう。
「ありがとうございます。長門は?」
「後数ページで読了する」
「読み終わるまで残るってことか」
 数ミリ首を縦に動かす長門。まあ、長門ならどれだけ雨が降っていようと濡れずに帰れそうな気がするが。最終的に戸締まりは長門になるのかもしれない。
 2人に挨拶をすると、俺も部室を後にした。


 ハルヒは俺が出るより10分は前に出ていたので、とっくに坂の途中まで降りているだろう。そう思いながら靴を履き替えて昇降口で傘を広げようとしたとき、そのハルヒがまだそこに居ることに気が付いた。その表情は入学したての頃より不機嫌なんじゃないかと思えるほどで、背後になんか黒いオーラが見えるような気がする。
 理由は簡単だ。
「傘が壊れたのか」
「見れば解るでしょ。全く腹が立つわ! この程度の風で壊れるような軟弱物だなんて!」
 この程度と言うが、結構風は強い。ハルヒの傘は骨折多数で完全に機能停止させられたようだ。冥福を祈る。
 そして、この雨の中壊れた傘で戻ってきたハルヒはすでに鼠も負けないくらいの濡れ鼠だった。
「それで戻ってきたのか」
「まだ先は長いし、また職員用の傘でも借りようと思ったのよ」
「それより一旦拭いた方がいいと思うぞ。見ている方が風邪ひきそうだぜ」
 ハルヒは少し考えた顔をしたが、やがてうなずくと靴を履き替えに下駄箱へと向かった。
 俺は別に戻る必要もなかったのだからそのまま帰れば良かったはずだ。だが、全身雨に濡れた後ろ姿のせいか、なんとなくハルヒを一人にすることが躊躇われた。
 そう、なんとなくだ。理由を問われたとしても答えようがない。
 俺は先ほど履き替えたばかりの靴をもう一度変えると、ハルヒの後を追った。

「なんでついてくんのよ」
「わからん」
 だから理由を訊くな。困ると言っているだろうが。
「まあいいわ。あたしは教室に寄ってから部室行くから、あんたは傘を調達してきなさい」
「何で俺が」
「あら、雑用としての自覚があるからついてきたんじゃなかったの?」
 断じて違うと言いたい。そんな奴隷的な自覚なぞしたことはないし、今後するつもりもない。ないのだが、結局俺は職員室前の傘置き場から、傘を1本拝借して部室へと向かった。

 ノックをすると、ハルヒの「いいわよ」というテンションの低い声が聞こえて来た。ドアを開けると、すでに朝比奈さんと長門の姿がない。どうやらすれ違ったらしい。
 ハルヒは体操服姿に着替えていた。そういや今日の体育は雨で自習になったんだっけな。使っていない体操服はたいてい次の授業まで置きっぱなしだ。

「ほんと、雨なんて退屈だわ。外で活動出来ないんじゃ、きっと宇宙人も油断してその辺を歩いているに違いないのに」
 だからと言ってこれから雨のたびに探索すると言われても困るがな。
「週末も雨って予報じゃない。いい加減に晴れてくれないと太陽がどんな色していたか忘れそうよ」
 それを忘れられたらたいしたもんだ。
「まあ、梅雨が明ければ今度は太陽にもうちょっと遠慮して欲しくなるってもんだろ」
 夏の暑さは嫌いではないが、夏になったらなったで文句を言うのさ、結局。
「そんなことは解ってるけど……」

 そんな他愛もない会話をどれくらい続けただろう。
 ふと気が付くと雲のせいとばかり言えないくらい外が暗くなっていた。風雨が止む気配はまったくなく、果たして今日俺は無事に家に帰れるのかね、という心配に追い打ちをかけるように雷まで鳴り出しやがる。
 雷は1度や2度では気が済まなかったらしく、あちらこちらで稲光を光らせ雷鳴を轟かせた。さすがにこの雷の競演の中を帰宅するのは勇気がいるな。確率は低くても、落雷というのはどこかで頻繁に起こっている。
「うーん、これじゃ帰れないわね。今何時?」
 雷を怖がるような団長様ではないが、ハルヒだって暴風雨+雷の中を帰宅するのはさすがに躊躇するらしい。
 今何時、と言う質問に答えるために携帯を見た俺は一瞬時計が狂っているのかと目を見張った。
「げ、もう8時かよ! 俺は何時間お前の愚痴を聞いてたんだ?」
「誰が愚痴なんて言ったのよ!」
 放課後から夜8時まで散々聞かされていたのは天気に対する愚痴じゃなかったのか。
「愚痴じゃなけりゃ文句だな。天気が悪いってだけで良くもそれだけ不満が言葉になるもんだ」
 不満であることは否定できまい、と思ったが、否定できないからと言ってハルヒが偉そうであることには変わりない。
「そりゃ不満にもなるわよ! 外で活動出来ないのがあたしにとってどれだけ鬱憤が溜まるのかあんたには解るでしょ!」
 コイツが偉そうなのはいつものことなんだが、それでも俺が少しむかついたのはやむを得ないと思う。
「ああ、よく解るとも。だからこうやって何時間も不満を聞いてやった雑用様にちょっとは感謝して欲しいね」
 しかし、ハルヒの反論は俺のむかつきなんて斜め上から見下ろしているものでしかなかった。
「あんたは雑用だからむしろ当たり前なの! 感謝されたかったら当たり前以上のことをしてみなさい!」
「待て、だいたい雑用の仕事が定義されてるわけじゃないだろ。お前にかかったら全部当たり前ってことにされかねないじゃないか!」


「……はあはあ、全く、ああ言えばこう言うんだから、キリがないったらありゃしないわ」
「……ぜいぜい、まったくだ、お前が言い返すから終わらないんだろうが」
 さて、この言い合いというか罵り合いをどれくらい続けただろう。辺りが暗いのはさっきと同じだが、雨も風も雷も止む気配はいっこうにない。
「で、今何時?」
「げ、もう11時かよ! 俺たちは何時間言い合ってたんだ?」
「だからあんたが反抗するから……」
「いや、さすがにもう止めよう。キリがない。それよりこれからどうするかを考えた方がいいんじゃないのか」
 この言葉にハルヒは即答。
「寝るわ。制服はまだ乾いてないし、明日になれば乾くでしょ」
 おい、寝るってどこで。俺はどうすればいいんだ?
「あんたも寝た方がいいんじゃない?」
 いや、だからどこで。
「部室で寝ればいいじゃない。別にあたしは気にしないわよ」
 そりゃお前は去年の文化祭でも俺が映画の編集をしている間に平気な顔して寝てたけど、第一お前のそこ格好で寝られると色々まずいんだが、いや、今のは妄言だ忘れてくれ。
「ぶつぶつ言ってないで寝なさい!」
 ハルヒは先ほどまでの言い合いなどどこ吹く風、椅子に座って机に突っ伏して寝息を立て始めたのも映画の時と同様だった。
 何でこんなあっさり眠れるんだ? のび太かお前は。

 11時と言えば普段なら俺も寝る時間だが、どうにも寝る気にならない。寝ているハルヒは体操服にブルマという姿で、寒くはないしハルヒなら風邪もひかないだろうが、まあなんとなく気になるようなならないようなならなくもないような気がするようなしないような。
 そういや映画の時は寝顔を撮ってやれば良かったと後から思い出したんだよな、と思い出した俺は、団長机からカメラを取り出した。
 悪く思うなよ?


 それからしばらくして俺も意識を失ったらしい。気が付くとすでにハルヒが起きていて、しかもデジカメを手にしていやがった。
 自慢じゃないが寝起きの悪い俺の目を覚ますのは、その事実だけで十分だ。
「ねえ、キョン?」
 怖い笑顔選手権があったら森さんとどっちに票を入れるか悩むような表情を俺に向ける。
「これはどういうことかしら?」
 ハルヒはすでにデジカメのデータをチェック済み、画面にはハルヒの寝顔がアップで映されていたのだった。
「……いや、まあ、なんとなく……」
「なんとなく、なんなのよ」
 だからその笑顔は怖いって。
「だから、その……」
 ハルヒは俺のネクタイを掴むと思いっきり引っ張った。当然締め上げられる。苦しいだろ!
「はっきり言いなさい!」
 目の前にあるハルヒの瞳はそれでも昨日の不機嫌なんかどこかへ吹き飛ばしたようで、締め上げられて苦しいくせに俺はなんとなく安心した。
 だけど、苦しいことには変わりない。だからこんなセリフを言っちまったのは、とにかく生きながらえようとする本能のしたことであって俺の理性に責任はない。

「お前の寝顔が可愛いからだろ!」

 俺の言葉にハルヒは確かにネクタイを離してはくれたが、代わりに体重の乗ったパンチをくれるのであった。
 倒れる俺が気を失う前に見た窓の外は、いつの間にか青い空が拡がっていた……。


 ところで写真だが、とっくに俺の携帯に移してあることはさすがに気が付かなかったようだな。
 ザマミロだ、ハルヒ。


  おしまい。


なにを憂しとか 夜ただ鳴くらむ