空白の後 その1
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 涼宮ハルヒが消失したのは十年も前の話だ。いや、こういわれて思い出されるクリスマス前のあの事件────長門の“エラー”による暴走ではなく、いつの間にか光陽園学院の生徒になったわけでもなく、周りはそのままに本当に消失しちまったのだ。俺は当時高校二年、ハルヒの巻き起こすあれやこれやに翻弄されること自体を受け入れる覚悟はとっくに出来ていたというのに、当のハルヒは俺たちを置いてどこかに消えちまいやがった。
 そのときはすぐに見つかるだろうと思っていた。
 確かにハルヒは消失したが、長門も古泉も朝比奈さんも宇宙人であり超能力者であり未来人のままだった。ただし、朝比奈さんは未来と連絡が取れなくなっちまったんだが。
 だから、大丈夫だと思っていた。だいたいハルヒがあいつの作ったSOS団なんて妙な集団を放っておくはずがない、だったらすぐに帰ってくるだろう。
 そんな楽観的な気分でいられたのは最初の一週間だけだった。
 長門すらどこにいるか掴めない状態は一ヶ月、半年、一年と続き────

 そのまま十年の月日が経ってしまったのだ。



 この十年、俺がハルヒを思い出さなかった日はない。最初の楽観は焦燥へと代わり、今では諦観と化していても、俺は心のどこかでハルヒを探し続けていた。
 もちろん俺にはなんの能力もないわけで、探すと言っても何か出来るわけでもない。具体的に探し歩いているわけでもない。
 それでもハルヒの面影をずっと求めていたことは、誤魔化しようのない事実だった。


 今では色あせた新聞の切り抜きが、十年前の記憶を鮮やかによみがえらせる。
 単なる地震の速報記事。
 これがハルヒ消失の原因だった。

 そう、あれは十年前の七夕の夜だった。



[七月八日の新聞記事より抜粋]
 気象庁によると、七日午後十一時四十五分ごろ、関西地方で震度5弱の地震を観測した。震源はH県N市で深さは約四十キロメートル。地震の規模を示すマグニチュードは5.8と推定される。

 震度5弱の揺れを観測したのはN市、A市、K市東部。H県、O府の広い範囲で震度4以上の揺れを観測した。
 この地震による津波の心配はないという。



 …………
 ……
 …


 誰だって寝入りばなをたたき起こされれば不機嫌になるのは当たり前だが、どのみちここのところ夜でも蒸し暑くて熟睡しているわけでもなかったので、俺は暗闇に向かって呪いの言葉を吐く代わりに身の安全を確保した方がいいのかとベッドの上で思案することにした。家具も窓もうるさいくらいにガタガタと鳴っていたのだが、特に身を隠すまでもなく揺れは収まって来ている。やはりここはもう一度横になって今のところ足りているわけもない睡眠を自分に供給してやるのが一番だと思う頃には、すでに地震があったことが嘘のように元の静寂を取り戻していた。
 さて寝るかと思ったときに部屋のドアがあき、一応俺の無事を確認したかったらしい母親と二言三言交わして妹が地震をものともせずに寝ていることを聞いて若干安堵しつつ携帯を見る。時間は一二時三分前、明日の朝起きるのが不安だがそれもいつものことだ。
 そういえばあいつは大丈夫なのかね、と何故か万年俺の後ろに座っている奴が頭を過ぎった。今日は七夕、もちろん季節の行事を無視するわけはなかったのだが、騒いでいるパワーが五〇%ほどダウンしていたのは例の七夕にあるちょっとした思い出ってもののせいかもしれない。それにしてもこの程度の地震なんてものともせずに寝ているかもしれないし、わざわざ電話で確認するほどのこともない。本当に寝ていたとしたら電話の向こうから聞こえて来るのは罵声でしかないだろう。だいたい、心配なのは朝比奈さんの方だろうが、なんでわざわざあいつの心配なんかしているんだ。

 もし虫の知らせってのが本当にあるのだとしたら、正にこれだと後になって思ったのだが、このときの俺はそんなこと知る由もなかった。



 日付が変わっていないのに翌朝と言っていいのかわからんが、とにかく感覚的には翌朝、例によって例の如く妹にたたき起こされた俺は、身支度を整えながらも携帯がメールの受信を告げるランプを点滅させているのが目に入った。
「古泉?」
 メールは俺が起きる数分前に受信しており、つまり俺は全く気付かなかったわけだ。古泉がわざわざ朝っぱらからメールを寄越す理由なんてハルヒ絡み以外に思いつかない。ふと、夜中の地震はハルヒがなんかやらかしたわけじゃないよな……なんて不安にかられながら、俺はそのメールを開いてみた。

『本日、学校に着いたらすぐに部室にいらっしゃってください』

「それだけかよ!」
 あまりにも少なすぎる情報にツッコミをいれながらも、俺は結局メールの指示に従うしかなかった。このまま大急ぎで行けば十五分程度の余裕はあるはずだ。朝食はちゃんととりなさいという母親の怒りを含んだ声を背に受け流して俺は家を出た。話の内容によっては遅刻は免れないだろうが、わざわざ朝っぱらから呼び出すってことは結構大事なんじゃないのか。とは言えこのときはまだ、ことの重大さを理解しろと言われても無理な話で、俺はただ心の中でこう呟いていただけだった。

 やれやれハルヒ、今度は何をしてくれやがった?



 部室に到着すると、すでに古泉が来ていた。
「おはようございます。思ったより早かったですね」
「急いだからな」
 軽く答えて部室内に視線を走らせる。とっくに予想済みなのだが、長門と朝比奈さんもいた。もちろん朝比奈さんはメイド服に着替えてなんかおらず、ただ不安な気持ちを全身で表すようにパイプ椅子に小さく身を納め、長机を見つめている。長門も読書しにきたわけではないのだろうが、やはりハードカバーを手にせずに黒水晶のような瞳を俺に向けていた。そして呼び出した本人である古泉こそ微笑を保っているが、少し影があるように見えるのは気のせいではなさそうだ。なんだか空気が重い。
 沈んだ空気を何とかできるわけでもないが、いつものパイプ椅子に腰をおろしつつ俺は口を開いた。
「で、一体なんなんだ?」
 とりあえずこのメンバーで説明を求めるにもっとも妥当な相手として不本意ながらも古泉を選択するしかない。古泉も話しかけられるのを予想していたように話し始めた。
「昨夜の地震はご存知でしょう」
「ああ、結構揺れたからな」
「そうですね、この地域でも震度5弱ですから、寝込みを襲うには少々強い刺激だったと思います」
 少し疲れたような笑みを俺に向ける。
「だが、それがどうした?」
 どうしたも何も、ハルヒを除くメンバーが集まって話をする以上、その話にハルヒが関係していなかったことなど今まで一度もなかった。だが、俺はあえてそこに触れずにいたかった。悪い予感がする、いや、予感と言うより悪いことが起こっているという確信に近い。
「僕も何が起こっているのか解っているわけではありません。ですから僕が知っていることだけ述べましょう」
 前置きはいいからさっさと言え。
 古泉はかろうじて浮かべていた笑みを消失させて、俺からわずかに視線をはずしながら言った。

「昨夜の地震以降、涼宮さんの存在が確認出来なくなりました」


 しばらくの間、このセリフを理解することを拒否する脳細胞と格闘しなければならなかった。
 古泉はなんて言った?
 ハルヒの存在が……
「確認できない?」
 ほとんど呟くような復唱に、古泉は目を伏せたまま答えた。
「その通りです。昨夜、地震前までは涼宮さんは確かに自宅にいらっしゃいました。しかし地震直後、僕を含めた『機関』の誰もが涼宮さんの存在を感知出来なくなりました。この時点で考えられる原因は二つです」
 解説を始めると少し元気を取り戻したようで、古泉は指を二つ立てて俺に示し、そのうち一本目を折りながら話を続ける。
「一つめは、我々の能力が何らかの理由で消失したということです。涼宮さんが原因というのが一番考えられますが、この場合理由はどうあれ涼宮さん自身にはあまり影響はありません。しかし」
 古泉は指を立てていた手を下ろした。
「考えたくはありませんでしたが、実際涼宮さんのご自宅にいないことも確認しています。つまり二つめの理由、涼宮さんがこの世界から消失した、と見るのが正解でしょう」

 悪い予感、いや確信か、どっちでもいい、とにかく当たったというよりは予想外だった。地震の話題に触れた以上はそれに関することだってくらいすぐ解るが、ハルヒがあの地震で地底から何か未確認生命体を呼び起こしたとかそういうことを予測していた。それならいかにもハルヒが望みそうなことだし、高校に入学して以来の経験からして驚愕には値しない。
 だが、ハルヒが消えただって? なぜ?
 俺は去年のクリスマス前を思い出して夏だというのに薄ら寒い気持ちになった。

「昨夜、本来ならもっと膨大なエネルギーが放出されるはずだった」
 いつも通りに黙っていた長門が、唐突に口を開いた。
「どういうことだ?」
「昨夜の地震。本来ならマグニチュードは8.7。この地域の震度は7の烈震になるはず」
 どうもさっきから俺の頭はストライキに入ったらしくちっとも働かない。昨日の地震についてニュースを見る余裕はなかったが、震度7ってことはないと思うが。
「確か昨夜の地震は震度5弱だったと記憶していますが……」
 古泉が首をかしげると、長門は視線を古泉に移して言った。
「そう。本来放出されるべきエネルギーの大部分は吸収され、残ったわずかなエネルギーが地震となって現れた」
「その吸収したってのは、まさか……」
 長門はどう表現したらいいかわからないというように数秒沈黙し、わずかに躊躇うようなそぶりで再び口を開いた。
「涼宮ハルヒは地震のエネルギーを吸収し、異時空間に解放したと推定できる。そのエネルギーは時空間を歪曲させ、一時的に異時空間との連結を生じた」
 異時空間? 例の灰色空間みたいなものを作ったということか。
「そうではない。元から存在する空間との連結と推測する」
「推測ということは、はっきり解っているわけではないのですか」
 古泉が口を挟み、長門はわずかにうなずいた。
「涼宮ハルヒは地震によるエネルギーを用いて異時空間に存在を移したと考えられる。しかし、どの時空間に存在しているかは不明。解っているのは、現在この時空間からは完全に消失しているということ」

 長門の言葉を最後に、しばらく誰も口を開かなかった。俺にとってハルヒが消失するなんてことは二度と起こって欲しくないことの筆頭だったわけだ。クリスマス前のあの事件を思い出すと目眩すらしてくる。あの地震はもっと大きなものだった? 聞いた数値からすると想像を絶する規模の地震なのかもしれないが、いまいち実感がわかない。起きるはずの被害を食い止めた代わりに自分をどっかにすっ飛ばしちまったってことなのか? ハルヒが?
 あいつがその身を引き替えに街の破壊を食い止めたっていうのか?
「まさか」
 どうにも信じられない。ハルヒが街の壊滅を望むとはもちろん思わないが、しかし自分自身を引き替えにするなんてことをするわけがない。
 長門が俺の疑問の真意まで読み取ったように答えた。
「もし想定通りの規模で地震が起きた場合」
 あくまでも淡々と続ける。
「もっとも被害の甚大な地域はあなたの居住区域。あなたの住む家屋を含め九〇%以上が全壊」
 長門はそれですべて答えたと言わんばかりに口を閉じた。再び沈黙が支配した部室に、始業を告げる鐘の音が響き渡った。

 教室に行く気にはなれなかった。
 古泉の言葉、長門の言葉がまとまりを持たずに頭の中をグルグルと回っている。それが目眩となって俺は頭を抱えた。
 何だっていうんだ。地震の被害。家屋が全壊。それが、俺の住んでいる地域で? テレビの向こうで何度も見た地震の被害映像、それが俺の身に降りかかるなんて想像したこともない。それが現実になるところだった。実際一度はなったのかもしれないが、その辺りはよく解らない。
 とにかく、俺の身に降りかかるはずだった被害は非常に軽微ですんだ。
 その代わりに。
「畜生」
 身代わりなんて、いつからそんな殊勝な奴になったんだ。地震だろうがなんだろうが、お前は中心に構えて笑っているくらいでちょうどいいんだよ。
 
 それでも俺がかろうじて冷静を保っていられるのは、長門が長門であったからだろう。これであのときのように違う人間になっちまっていたら、俺はまた狼藉もどきに詰め寄ってしまったに違いない。古泉もまた俺のよく知る古泉で、そして朝比奈さんも……。
 そういえば朝比奈さんは先ほどから一言も話していない。俺が部室に来たときから悄然と机を眺めているだけの朝比奈さんが事前に何か知っているとは思えない。この事態に関して何か知っているとすればむしろ朝比奈さん(大)の方だが、残念ながら事態を打開するヒントになるようなことを伝えに現れることはなかった。
「あの……」
 俺が見つめていることに気がついたのか、朝比奈さんはふと顔を上げてか細い声を放った。その憂いをたたえた瞳には涙を溜めていて、俯いているのによくこぼれなかったものだとこんなときだというのに関係ないことに感心してしまう。
 そんな感想とは関係なく、朝比奈さんは勇気を振り絞るようにして言った。
「あの、あたし……また、その、未来と……」
 少し口をぱくぱくさせていたが、どうやら言葉を発することが出来なかったらしい。代わりに溜めていた涙が堪えきれずにあふれ出してきた。
「ご、ごめんなさい、禁則事項なんです。でも、あたし、また、未来に帰れなくなっちゃったみたいです……」
「なんですって?」
 朝っぱらから異常事態過ぎてすでに俺の頭はショート寸前だっていうのに、またややこしい話になってきちまった。地震、ハルヒの消失、そして今度は未来の消失なのか。
 朝比奈さんが未来に帰れないと言ったのは去年の夏休みのことだった。アホみたいに繰り返し続けた記憶は俺にはないが、とにかく未来と禁則事項や禁則事項が出来なくなった、と泣いていたのを忘れることはできない。禁則事項とやらがなんなのかはよくわからんが。
「また繰り返しているのか」
 この問いかけは唯一答えられるだろう長門に向けたものだが、長門は首を横に振るだけだった。繰り返してはいない。だが、未来が消えたのか朝比奈さんが何らかの理由で孤立したのか、とにかく朝比奈さんが置かれている状況はあの夏休みと同様だということだけはかろうじて理解した。

「一体どうすりゃいい」
 ハルヒはいない。どこにいるのか、誰もわからない。探しに行くこともできないが、だからと言って手をこまねいているだけってわけにもいかない。

 だが、しかし。
 誰にも、どうすることもできなかった。
 朝比奈さん流にいえば、それは既定事項だったのかもしれない。



 十年間、俺に出来ることなど何もなかった。長門や古泉が何かやっているのは解っていたし、ときに報告してくれもしたのだが、自分が凡人であることをつくづく思い知らされただけだった。
 帰るべき未来を失った朝比奈さんは『機関』が面倒を見ながらこの時代を生きている。その『機関』も古泉によるとほぼ解体に近い状態で規模を縮小させたとのことで、まあ元からどんな組織なのか解らないのだから結局どうなったかも不明なままってことだ。

 高校を卒業してしばらくは頻繁に取っていた連絡も、大学、そして社会人になるにつれ回数は減り、今では年に一度くらいになっている。
 俺は俺で自分の生活を何とか確立していたし、こうやって昔のことを思い出すこと自体少なくなってきていた。ハルヒは今どこで何をしているのだろう、全くこことは違う世界で案外楽しんでいるのだろうか、と冷静に考えている俺に驚くことすらあった。
 それでも長門や古泉の「依然手掛かりなし」という報告でわずかな希望を打ち砕かれるのにはいい加減に嫌気がさしてしまった。長門や古泉に連絡をしても失望が待っているだけならしない方がマシだろう。


 …
 ……
 …………


 ハルヒがいなくなってから、驚くほど退屈な日常と付き合わなくてはならなくなった、そんなこの十年全然変わらなかった一日が今日も終わろうとしていた。
 たいして面白くもないが食っていくためには仕方なく続けている仕事を適当に終わらせ帰途につく。ヤケに昔を思い出すのは今日が七夕で、俺にとっちゃ思い出がありすぎる日だからだろう。

『私は、ここにいる』
 誰かがそんな意味を込めたメッセージをどっかのグラウンドにでも書けば、例え地球の裏でも飛んでいくつもりだと毎年思ってはいるが、結局そんな事件も起こりはしないに決まっている。
 そんな諦めの気持ちが仕事の疲労をいや増し、ほぼ惰性で数年前から一人で住んでいるアパートへとたどり着いた。

 どうせダイレクトメールか各種料金の請求書しか入っていない郵便受けを開けるのも単なる習慣で何かを期待しているわけではない。
 だから、俺はそこに見慣れない封筒があったとき、すぐに十年前の出来事と結びつけることが出来なかった。

 いくつかのあまり興味のない封筒に、ここ十年は縁がないような可愛らしい封筒が混じっていた。宛名も差出人もないってことは誰かが直接ここに入れたってことだ。家を出たと言っても近くに住んでおり、こんな封筒で私信を送ってくる人間なんて心当たりがない。妹だってこういうことを喜ぶ年でもないだろう。
 頭より先に体が思い出したようで、心臓がいきなりビートアップしやがる。

「朝比奈さん……?」

 やっぱり頭で思い出すより早く、口が勝手に動いた。

 高校の昇降口、下駄箱、あまりきれいとは言えない靴、その上の封筒……そういったものが一瞬で脳裏を駆けぬけた。
 中に入っている文書に振り回されたのも懐かしい、未来からのメッセージ。
 現在の朝比奈さんは俺の記憶にある朝比奈さん(大)とあまり変わらないが、しかしその朝比奈さんが何かを知っているとしたらわざわざこんな方法をとらずとも電話かメールで済む。
 だから、これは“あの”朝比奈さんからで間違いない。すでにどっちが(大)なのか俺には解らないが、どうせ年齢を聞いても禁則事項と言われるに違いないからな。
 いや、しかし俺の知っている朝比奈さん(大)と今の朝比奈さんは、ある意味では全然違う。朝比奈さん(大)は今の朝比奈さんよりもっとなんというか、ある種の自信を持っているように見えた。今の、未来人でありながら何も知らされずに未来を失っている朝比奈さんは、何かあるとオロオロとするばかりなのは昔と変わっていない。むしろ昔よりひどくなっていたような気もするが、1年くらいは会っていないので今はどうだろうね。

 そんなことより。
「だが、なぜ」
 どっちにしても朝比奈さん、面倒だが昔から(大)の朝比奈さんを(大)ってことにする、とにかく連絡してもいいのなら十年も待たなくても連絡くれればいいじゃねえか。ずっと連絡なんかなしのつぶてだったのに、今更俺に何をしろと言うんだ。またお遣いごっことなるわけじゃないだろうな。
 朝比奈さん(大)が存在しているということは、朝比奈さんは未来を取り戻せたのか? だったら何か連絡をくれてもよさそうなものだ。今の朝比奈さん自身はまだ何も知らないのかもしれない。何か、この手紙に関することをクリア出来れば、現在と未来は繋がるのか。
 郵便受けの前で封筒とにらめっこしていた俺を、他の住人が怪訝そうに見つつ通り過ぎた。ああそうだ、こんなところで考えている場合じゃない。
 自分の部屋に急ぎ、上手く回らない鍵をガチャガチャ鳴らしてから部屋へ駆け込んだ。

 封筒を開ける手が震える。中には封筒とそろいらしい便せんが一枚、丁寧に折りたたまれて入っている。
 上手く動かない指で必死に取り出し、もどかしさと格闘しながらそれを開いた。

『七月七日午後十一時四十五分、文芸部室に来てください。一人でね』

 懐かしさのあまり不覚にも涙がこぼれそうになった。相変わらず理由なんか書いていない不親切さだが、それ自体も懐かしい。未来から見た辻褄合わせなんか俺に解りっこないが……
「一人で?」
 朝比奈さんと一緒に、じゃないのか。とすると、これは朝比奈さんに見られてはいけない代物らしい。どっちにしても連絡なんて取っちゃいないから、隠す必要もないが。
 だからと言って、これが朝比奈さん(大)からの指令ならば無視するわけにもいかない。朝比奈さん(大)がハルヒの行方不明を知らないわけはなく、わざわざこんな手紙を郵便受けに放り込んだ以上、これがハルヒに繋がる手掛かりであることはほぼ間違いない。文芸部室でハルヒに会えるのかはわからんが、どこで何をしているのか、ほんの少しでも知ることが出来るのかもしれない。
 いや、それより。七月七日って今日じゃねえかよ! 十一時四十五分だって? 俺は時計を見て、まだ夜の九時過ぎであることを確認する。早く行き過ぎてもこの季節だ、寒さに凍えることはなくても蚊の餌食にこの身を提供することになるのは間違いない。それにだ。
「夜中に部外者を学校に呼び出すのかよ!」
 声に出してツッコミを入れても反応があるわけはない。だいたいそんな時間に学校が開いているのか。いや、朝比奈さんがこう書いている以上入れなければおかしいのだが、もし入れなかったらどうする?
「今そんなこと考えても仕方がないだろ」
 行ってみないうちからあれこれ考えてもしょうがない。とにかく時間までに懐かしい部室へと行ってみるべきだ。

 これは、未来へと繋がる指令なのか、それとも十年前の事件から繋がっている指令なのか。

 身支度を調えるためにふと鏡を見る。俺は十年前とどう変わったのだろう。そんなに変わっていない気もするが、ずいぶん変わった気もする。
 ハルヒはどうなんだ? 社会人になって女性の年齢というものを外観から推測するというのがとても難しいことを知ったのだが、それにしても二十代半ばのハルヒを想像するのは難しい。少し大人びたハルヒを想像しようとして、俺は首を振った。
「まだ会えると決まったわけじゃない」
 期待し過ぎると落胆が大きい、それはこの十年で身にしみるほど学んだことだった。



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