空白の後 その3
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 この状況でよく寝ろっていうほうが無理な話だが、実際のところ疲労感だけは背中にのしかかっていたっていうのに俺はあまり眠れずに、結局早朝目が覚めた。
 隣に敷いた布団には、十年間行方不明だった女が十年前と同じ顔をして寝ている。一人暮らしの男の部屋に平気な顔して上がり込んで平気な顔をして寝ていられるのもこいつならではだろうな、と俺は息を吐いた。


 昨夜、コンビニを出てから行き先に迷った俺は、久しぶりに長門に連絡をすることにした。長門なら状況をすでに解っていそうな気がするし、ハルヒを一晩泊めることも厭わないだろう。
 夜中だと言うのに、長門はすぐに電話に出た。状況は理解している、だが今夜は不在である。それが、長門の返事だった。
 長門は某大学の研究室でなんかやっている。なんかが何なのか俺は未だによくわからない。肩書きが助手なのか講師なのか助教授なのか、どれであってもあまり驚かないのだが、まさか教授ではないだろう。長門自身は別の研究をしたかったらしいが、ある研究室の教授が書いた論文をたまたま見て、その問題点を指摘したところ、その教授の仮説を証明するのに足りる説明が出来てしまい、結果そのままその研究室にいてくれと頼まれたらしい。
 どんな研究をしているのか一度聞いたことがあるのだが、興味深げに聞いている古泉とは対照的に専門用語が多すぎてさっぱり理解出来なかった。何か物理に関することだったらしい。
 今夜の不在は、どこぞの学会に出かけているということだった。長門なら遠隔操作で鍵を開けてくれることも可能だとは思うが、ただでさえ超常現象を体験しているハルヒにこれ以上不可思議な現象を見せるのもやはり躊躇われる。
 朝比奈さんや古泉の住まいは近所ではないので、この時間から行くのは不可能ではないがかなり面倒だ。
 SOS団の近況ついでに行く当てがないことを説明すると、ハルヒはあっさりこう言ってのけたのである。

「あんたの家はどうなの? 妹ちゃんは元気?」

 妹だってハルヒの行方不明は知っているし心配もしていたのだから、夜中にいきなり連れて行って引き合わせるわけにもいかないだろうし、俺の親になんて説明すりゃいいんだ。それ以前に、俺はすでに家を出て一人暮らしだ。

「だったらなおさら都合がいいじゃないの。夜中に家の人起こすこともないし」

 いやいやいや。問題ありすぎだろうが。

「なにが?」
「なにがって……」

 以下、絶句。妙なところで普遍的なことを好むくせに、こういう部分で一般論を受け付けないのはなんでだよ。
 俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、ハルヒはバイクの座面をバシバシ叩いて俺に命令した。

「そうと決まれば出発! 早く乗りなさい!」
 何も決まっちゃいねー!
 しかし、十年前もそうだった。

 このハルヒを止める手段など、十年経っても存在しないのだ。


 昨夜のハルヒらしいとしか形容しようがない行動を思い起こしながら、その寝顔をしげしげと眺めた。夕べ転がり込んだと思ったらあっという間に寝ちまったのだが、よく考えたらハルヒに降りかかったのは、非常識すぎて普通の人間なら精神的に参ってもおかしくはないような事柄である。まるでなんでもないような顔をして受け入れたかに見えるが、こいつもやはり疲れていたのだろう。

 まだ眠りこけているハルヒはそれでも穏やかな寝顔をしている。ふと、あの世界改変時、階段から転がり落ちたことになっている俺が起こした、寝袋姿のハルヒの表情を思い出した。十年以上経っているが、今でもはっきり思い出せる。あのときは怒ったような顔をしていた。少なくとも、あのときよりは落ち着いているってことか。

 他にすることもないので、なんとなくあどけない寝顔を眺め続けていた。
 長い睫毛を伏せて閉じている瞳、、白い肌、頬に少しかかる黒髪。
 無意識にその髪を払おうと手を伸ばし、────いきなり堪えきれない感情がわき上がってきて俺は慌てて目を逸らした。
 あまりに突然で、自分を誤魔化す余裕もありゃしない。

 涼宮ハルヒが、ここにいる。
 手を伸ばせば届くのが当たり前だったのは、昔のことだと思っていたのに。

「ああ、畜生」

 感情を押し殺すように呟いて、俺はとりあえずあるだけとしか言えない流しへと立った。コーヒーでも入れよう、それで落ち着け、俺。

 いつも通りにお湯を沸かす、その手慣れた作業が少し気持ちを落ち着かせ、俺はようやくこう考えることができた。

 長年会えなかった奴との再会を喜ぶのは、当たり前の感情だよな?


「……うーん……」

 コーヒーの香りに刺激されたのか、ハルヒが妙なうなり声を上げた。俺はあえて気付かないふりをして氷入りのカップにコーヒーを注ぎ、わざとゆっくりハルヒの方へ向いた。
 ハルヒは布団に横になったまま、少しこわばった表情で俺を見ていた。昨夜のことを夢かなんかと思っていたのかも知れないが、俺自身が夢ではない証拠になってしまっている。ハルヒの目に今の俺はどう映っているのか解らないが、十年前と同じではないだろう。

 ハルヒはスプリングでも仕込んであるような勢いで飛び起きた。もともと布団にくるまって二度寝を楽しむハルヒってのは想像しがたいのだが、それにしても寝起きがこれほどいいとは羨ましいな。
 飛び起きたハルヒは部屋をキョロキョロと見回し、視線を俺、というよりは俺の手元に戻した。

「あら、起き抜けに早速コーヒー入れるなんて気が利くじゃないの」

 待て、お前がまだ起きてなかったからこれは俺のためにいれたんだ。気を利かしたつもりも利かせるつもりもない。
 などと言っても無駄だということを思い出したのは、すでに俺の手からカップが消えた後だった。おい、布団にこぼすなよ。

「ミルクはないの?」
「わかったよ」

 ないと言ったら買いに行かされるだろうかと考えつつ、冷蔵庫から牛乳を出した。ついでにもう一杯コーヒーを入れるとするか。最初から二杯用意しておけばよかったのか。
 牛乳を渡して自分のコーヒーを用意し終えたときには、ハルヒはとっくに自分のを飲み干していた。

「さーて」

 にんまり笑う猫のような笑みにも見覚えがある。この非常識な状況下でもコーヒー一杯でエネルギー補充し終わったのかよ、こいつは。

「聞かせてもらいたいことは山ほどあるわ、キョン。あんたがキョンってのも変な感じだけど、でも確かにキョンが十年したらこんな感じになりそうよね」

 どんな感じなのか是非具体的に教えて頂きたい。

「今が十年後ってことは、あたしは何らかの理由で十年分の時間を超えたってことよね?」

 時間が俺に施した変化を説明することなどあっさり無視してさっさと自分の話に持っていくハルヒに頬が緩む。苦笑と言うには苦い気持ちが混じっていないことに気付いて俺は慌てて顔を引き締めた。ハルヒの置かれた状況を説明しなければならないのだから、笑っている場合ではない。

 時間を超えたのはおそらくそうだと思う。長門の説明をまだ俺は覚えている。地震の被害を食い止めた代わりに、別の時空へと旅だった。その別の時空ってのが今、いや、正確には昨日の夜なのか。朝比奈さん(大)は知っていたのだろう。長門が知らなかったのは、例の「同期」とやらを封印したままだからなのか。はっきりしたことは何もわからない。

「俺に解るのは」

 しょうがないので俺は思ったことを口にした。

「お前が十年間行方不明だと思ったら、いきなり昨夜あの部室に現れたってことだけだ」
「行方不明……」

 少し目を伏せてその言葉を理解しようとしているように五秒ほど考え込む。ハルヒにとっては自分がどこにいるかを常に理解しているわけだから、行方不明になったと言われてもピンとこないに違いない。

 しかし、これ以上何を説明すればいいのだろう。ハルヒは十年の時を超えた。その原因は長門の説明に依れば地震に違いないが、これをハルヒに話すことは躊躇われる。どうして判明したのか、今度はその説明ができないからだ。
 数秒思考を巡らしたハルヒは、昨日の時点で受け入れていたらしい時間旅行説はそれで了解したようだ。伏せていた瞳を再び俺に向けると、俺が何で考えておかなかったのかと自分をぶん殴ってやりたくなる質問を投げてきた。

「そのことは今はいいわ」

 今はってなんだ。

「あたしが一番聞きたいのはね」

 何を聞くつもりなのか、答えられるのか、俺は内心焦りつつ次の言葉を待った。

「何であんたがあそこにいたのかってことよ。まるであたしがあそこに現れるのを知っていたみたいじゃないの!」

 昨夜まくしたててきた質問の中に似たような物があったというのに、俺はその答えを用意していなかった。何故あそこに行ったのかと言えば、そう書かれた手紙を受け取ったからなのだが、すると今度は誰が書いたのかという質問になるに違いない。そして、ハルヒなら手紙を書いた主を草の根分けてでも捜し出すと言うに決まっている。
 いや、待て。
 そもそも、十年前ハルヒに知られてはいけなかった朝比奈さんの正体は、今も知られるべきではないのか? ハルヒ自身、説明のしようがないほどの非日常を現在進行形で体験中だし、今更そんな非現実なことがあるわけないなんて言っても意味がないような気がする。
 だが、俺だけの判断で話してしまっていいものか。ハルヒがこの時間に現れた、そこにどんな意味があるのかも俺には全く解らない。

 もし、手紙を受け取っていなかったら、俺はあそこへは行かなかっただろう。そうなると、ハルヒは事情がよくわからないまま、でも十年の時を超えたとは思わずに自宅へ帰ったに違いない。
 手紙を受け取らなかった場合、わざわざ北高まで行ったあげくに不法侵入までした理由なんて────なくもないか。いや、違うか? 違わない、だけど、伝えにくいな。

「なによ、言えないような理由なの?」

 短気なハルヒは黙りこくっている俺を不審な目つきで眺めている。納得出来る理由を話すまでは家を出ることも許されなさそうだ。ここは俺の家なんだが、そんなことハルヒには関係ない。
 俺はハルヒから視線を逸らし、大きく吐きだした息のついでに言葉を発した。

「……十年だった」
「十年?」
「お前がいなくなってから、ちょうど十年だった」
「それで?」
「それだけだよ」
「意味わかんない」

 まあ、わからんだろうな。ハルヒから見れば十年前は昨日のことだ。この十年、俺がどんな思いをしていたかなんてわかるわけがない。俺自身、それを上手く説明出来ないのだからなおさらだ。
 手紙がなくとも、十年だという認識はあった。手紙がなければどうしていただろう。仕事が終わって、疲れて帰ってきて……なんとなくどこかに足が向いたかもしれない。それはハルヒの自宅だったかもしれないし、北高だったかもしれない。
 文芸部室にまではさすがに行かなかっただろうけど。

 俺の意図を察したのか理解不能なのか、ハルヒはそれ以上問いつめてこなかった。代わりに、ぽつりと呟いた。

「十年かあ……」

 その言葉に再び視線をハルヒに戻すと、まだ俺を見つめていた。

「ああ」

 ハルヒの視線に込められているものが理解できず、俺は中途半端な相づちをうつしかなかった。


 なんとなく気まずくなってまた逸らしちまった視界に時計が入ってきた。そんな時間が経っているとも思えなかったが、もう七時過ぎか。

「そろそろ支度するか」

 習慣とは怖いもので、こんな状況だというのに時計を確認したとたん頭は日常モードにシフトする。独り言のように呟いて、毎朝幾度となく繰り返している行動を思い浮かべ、時間を計算するのもいつも通りだ。これから飯食って着替えて駅まで行っていつもの電車を捕まえて…………。

「支度って、なんの?」

 俺に戻ってきた日常をハルヒの声が遮った。もちろん仕事に行く支度だが、俺が仕事に行ってしまうとハルヒはどうする? このままここにいろ、と言って大人しくしていられるだろうか。長門は今日の夕方まで帰ってこない。古泉や朝比奈さんは……そうだ、連絡しておかなければな。二人はすでにこのことを知っているのだろうか。
 ともかく、今ハルヒを一人にはしておけない。勝手にうろつくなと言っても出かけるだろうし、家に帰りたくなったら躊躇せずに帰りそうな気がする。いずれ帰るにしても、今はまだ早い。

「いや、つい習慣で仕事に行かなきゃと思ったけどな」
「仕事?」

 ハルヒはまた俺の顔を覗き込んできた。

「へえ、仕事ねえ。あんたが仕事しているなんてね」

 なんだその反応は。俺が仕事していたらそんなに変かよ。俺はとっくに社会人だ。

「いまいちピンとこないわ。あんたが十歳も年をとっているってわかってるんだけど」

 キョンが社会人なんてね、とまだハルヒはぶつぶつ言っている。年上に対する態度なんか最初からとっちゃいなかったが、さすがに高校生には見えないと思うんだがな。
 もっとも、ハルヒが以前の俺に対していたのとは違う態度で接してきたら、俺はあまりいい気分ではなかったに違いない。

「ともかく、この状況じゃ仕事どころじゃない。今日はサボりだな」

 頭の中で今日の仕事を組み立てて、休んで大丈夫だと自分を納得させた。打ち合わせはなかったよな、重要な商談なんてこのご時世だ、滅多にないし、眠くなるだけの会議は出なくてもなんとかなる。誰かが出勤してくる九時前を狙って電話しておけばいいだろう。

「仕事って何をしてるのよ」

 知らなきゃ当たり前の質問だ。

「まあ、物を売る仕事だよ」
「お店でも開いているわけ?」
「そっちの方が面白いかもしれないが、残念ながら単なる雇われの営業だ」
「ふうん」

 ハルヒはどう言っていいか解らないような顔をした。

「面白くないわけ?」
「たいしてな」
「面白い仕事を探そうとは思わないの?」

 返事の代わりに、俺は溜息を吐く。もっと面白い仕事ね。そりゃ、そんな仕事もあるだろうさ。だが、そんな簡単に見つかるものでもないし、まして簡単に就けるものでもない。

「まあ、食っていけるからな」

 どちらかというと自分に言っているような気分で俺は呟いた。面白いとかやりがいがあるなんて思って就いたわけではない。とりあえず学生という長い自由時間が終了し、社会に組み込まれるにあたってそれなりに食っていけるところならどこでも良かった。たまたま何社か受けた面接のうち、来てくれというよりは来てもいいと言われているような内定通知をもらった、それだけだ。
 俺の返事は俺にとって今更どうというものでもなかったのだが、どうやらハルヒには不満だったようだ。みるみる眉がつり上がり、俺にとっては十年ぶりとなる怒声を浴びせてくれやがる。

「ふざけんなっ!」

「……へ?」

 久しぶり過ぎてハルヒが何を怒っているのかさっぱりわからなかった。十年前ならすぐに察することが出来たかどうかも怪しいが。

「少なくともね」

 鋭いなんて形容詞じゃまったく足りない、怒りに燃えた光を瞳に宿らせながらハルヒは続ける。

「昨日までの……あたしが昨日まで会っていたあんたはそんなんじゃなかったわよ。やる気のなさそうな顔をしていたけど、あたしは解っていた。あんたは毎日を面白いと思っていたし、これからを面白くしようと思っていたわ。あたしと」

 一瞬目を泳がせて言い直す。

「あたしたちと、SOS団と一緒にね。あんた、SOS団が何の略称なのか忘れたと言うんじゃないでしょうね」

 忘れられるわけがない。ハルヒと出会ってSOS団の名を聞いてから、一度も忘れたことがあるもんか。

「あんたは、そのSOS団の団員その一なの! 食べていけるからですって? そんな理由でつまらない仕事なんかしているヒマはないのよ!」


 まったく、子供じみている。ハルヒの突然の怒りは「俺がつまらないながらも仕事を続けている」ことにあるらしい。
 十年前、日々を楽しんでいたのは事実だ。確かに楽しかった。戻りたいと思うことだって何度でもあったし今でも思っている。
 あのまま十年経っていたとしたら、俺はどう生きていただろう。退屈とかつまらんなんて言っていられないような日常に振り回されて、どこに行き着いていたのだろうか。
 どちらにしても、いつまでも子供のままではいられない。どんな形であれ社会の一部に組み込まれるとともに、面白いだけじゃやっていけなくなる。

「どうせ仕事するなら、あんたしか出来ない仕事でも見つけてみなさいよ!」

 ハルヒはなおも怒り続ける。
 だが、それは無理な話だ。例え俺がどんなに社会に貢献していたとしても、俺しか出来ない仕事など存在しない。どれほど社会にとって必要だと言われる人でも、その人間がいなくなったって世の中は回っていく。
 社会っていうのはそういうものだ。

 しかし、なぜだろう、そんな諦観もハルヒの怒声を聞いていると何故かそうでもないんじゃないかと思えてくる。ハルヒの言うことは子供の世迷いごとでしかないが、俺の考えていることだって、つまらない仕事をつまらないままにしておく理由にはならないんじゃないか。

 どくん、と心臓が大きく鳴った。

「世界を大いに盛り上げる、か」

 俺が呟くと、ハルヒは怒りの表情を湛えながらも唇の端をつりあげた。

「そうよ。ちゃんと覚えているじゃないの」

 鼓動が大きく、速くなる。やばい。

 このままハルヒと話していると、せっかく就職しているってのに後先なんかどうでもいいとばかりに辞表をたたきつけてやろうかなんて気が起こってくる。それがどんなにバカなことか理解しているはずなのに、ハルヒの言うことの方が正論に思えるなんてどうかしている。
 もう高校生じゃないっていうのに、またこいつと一緒にバカをしたくなるなんてどういうこった。
 不意に俺は笑い出した。

「敵わんな、お前には」

 笑いながら俺が言うと、ハルヒは思わず視線を逸らしてしまうほどの笑顔になった。

「あったりまえでしょ! そんな腑抜けてるあんたがあたしに勝とうなんて、一億年早いわよ!」

 一億年かよ。十年程度じゃどうしようもないわけだ。

 十年ぶりの百ワット電球のような笑顔、それを俺はまっすぐに見ることが出来なかった。
 そのくせ、俺は十年ぶりに乾いていた喉が潤うような、妙な満足感を感じていた。


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 十年ぶりにSOS団の五人が揃ったのはその日の夕方のことだった。
 古泉と朝比奈さんには朝になってから連絡を入れた。この二人も今や社会人、もちろん仕事をしているわけだが二人とも俺同様に休みを取ったらしい。
 ハルヒを外に出すのもどうかと思ったので、二人には俺の手狭なアパートに来てもらうことにした。長門が帰ってきたら長門のマンションに移動すればいい。

 昼頃、先に古泉が現れた。
「どうも、お久しぶりです」
 古泉は高校時代、その慇懃な態度や万年張り付いている微笑は演技だと言うようなことを言っていたくせに、ハルヒがいなくなった後も俺の前でその態度を崩すことはない。本当は演技ではなかったのか、長期間演技しすぎて板に付きすぎてしまったのか、俺は未だに判断できずにいる。
 ハルヒは俺にしたときと同じように、無遠慮に古泉を眺めていた。最近は会っていないとは言え、俺から見れば古泉がそう変わったとは思えない。十年の時を一気に超えたハルヒから見れば、やはりずいぶん違うのだろうか。

「古泉くんは思ったより変わってないわね」

 それがハルヒの感想であった。
 そういや転校してきたときから、高校一年にしちゃ背もあったし大人びた風貌でもあったしな。ハルヒの「思ったより」の基準が何だかわからんが、

「キョンの方が老けたわ」

 ってそういうことかいっ! そりゃ十年経てば高校生と違って当たり前だが、老けたはないだろ、おい。


 古泉と今後のことを打ち合わせたかったが、ここは狭い部屋だしハルヒは十年分の情報を得たいと目を輝かせているわけで、今は無理だ。そもそもハルヒの戸籍がいまどうなっているのかもわからない。長期間行方不明だと死亡として扱うこともできるはずだが、果たしてハルヒの両親がそうしたかどうか。おそらく古泉は知っているのだろうが、それについては何も言わなかった。

 ハルヒを家に帰すとして、見かけが十年分の年をとっていないように見えるってこと以上にハルヒ自身が今まで何をしていたのかを説明出来なければならない。どう舞台設定をするにしても、それなりに人が必要だし、俺一人ではどうにもできない。
 しかも、そうやって設定した舞台をハルヒが受け入れなければ何の意味もなくなるわけだ。ハルヒは果たして自分がタイムトラベルなんて不可思議な出来事を体験したっていうのに、それを黙っていられるだろうか。

 そのハルヒは矢継ぎ早に質問を投げかけるという方法で古泉の近況を得ていた。昨夜と違って古泉に十年の時が流れていることを簡単に受け入れているように見える。昨夜の俺との邂逅が緩衝材となっているのだろうが、この分だと朝比奈さんと会うのも問題ないだろう。たぶん、俺たちの中で見た目が一番変わったのはあの方だからな。どう変わったかは説明するまでもないだろう。
 古泉は誰でも名前を知っている企業に就職している。本人曰く『機関』関係だということだが謙遜かもしれない。ハルヒ関係で何か動きがあればすぐに休めることが条件だったというから本当なのかもしれないが、この十年そんなこと一度もなかったからな。ハルヒが起こす騒ぎ関連で休まなければならなかったのはこれが初めてに違いない。

 自分に降りかかっている問題など些細なことと思っているかのような笑顔で古泉と話しているハルヒを、俺は黙って眺めていた。
 いつの間にか二人の会話は古泉から離れて社会情勢などに移っている。産業革命黎明期でもなし、この十年で大きく世間が変わったとも思えないのだが、こうして十年前の人間が話しているのを聞くと結構変わってるもんだとも思える。
 頭の回転がおそらく目の回るほど速いのも以前と同じで、ハルヒはどんどん情報を吸収していく。この分だと、俺はどこが変わったかいちいち覚えていない市内を歩き回っても混乱を来すなんてこともなさそうだ。

 ハルヒは一晩にして十年後の世界を受け入れた。普通の人間に出来そうもないことをあっさりと。
 そう思っていた俺は、それが事実だと思って安心していた。



 朝比奈さんは古泉に二時間ほど遅れてやってきた。

「遅くなってすみません、いろいろと買い物していたものだから……」

 一体何袋あるんですか、その紙袋は、と聞きたくなるほど山のような包みを俺と古泉が手分けして受け取って室内に運び込んだ。ここは俺の家だしまさかお茶をいれてくれるわけでもないだろうし、そもそもお茶にしても量が多すぎる。いったい何なんだ?
 荷物を持った俺たちに続いて入ってきた朝比奈さんは、ハルヒの姿を目にすると足を止めた。

「涼宮さん……」

 振り返るまでもなく、目に涙を溜めているのが解った。ハルヒは俺の後ろにいる人物をぽかんと眺めている。やはり、朝比奈さんの変化はちょっと信じられないのかもしれない。
 朝比奈さんはハルヒに駈け寄って、その手を取った。

「お久しぶりです、本当に。久しぶり……」

 肩を震わしながらハルヒの手を握りしめる朝比奈さんを、ハルヒは戸惑った表情で見つめ返していた。

「もう、もう会えないんじゃないかって……。良かった、本当に……良かった……」

 後はもう言葉も出ず、ただ泣き続ける朝比奈さんだった。
 数秒は信じられないと顔に書いていたハルヒだが、泣きじゃくる朝比奈さんを見てどうやら確信したらしい。

「もう、泣いてるんじゃないわよ、みくるちゃん!」
「……ふぇ?」
「もう会えないなんて、そんな訳ないでしょ! 団長が団員を放ってどこへ行くって言うのよ!」

 いやいや、お前はこの十年俺たちを放っていたことになるんだけどな。ハルヒ自身に十年の時間が流れていない以上、自覚しろと言っても無理な話だし、責任を問う気にもならんがな。


「ところで朝比奈さん」

 しばらくデフォルトの表情で感動の再会シーンを眺めていた古泉が口を挟んだ。

「この荷物はなんでしょうか。ずいぶん多いようですが……」

 そういやそうだ。今の様子から見ても、一刻も早くハルヒに会いたいと思っていたに違いないのに、わざわざこんな大量の買い物をしてきたとはどういうことだ?

「あ、これですか?」

 まだ瞳にたまった涙を拭って、大きく瞬きをした朝比奈さんは、ようやくにっこりと笑った。

「だって、キョンくんのお話では、涼宮さんは着る物が全然ないと思ったんです。だから、色々買って来ちゃいました」

 なるほど、ハルヒのための買い物だったのか。確かにハルヒは昨日のラフな服装のままで、夏だと言うのにシャワーも浴びていない。遠慮したわけではなく、着替えがないのを気にしていたのかもしれん。こういうところはさすが女性の方が気付くわけで、朝比奈さんの気遣いぶりは十年経っても変わっていない。

「じゃ、キョンくんと古泉くんは外に出ていて下さいね」
「は?」
「ダメですよ、女の子が着替えるんですから。男性はご遠慮ください」

 俺の家だと言うのに、それから三十分ほどコンビニに行って時間をつぶすことになっちまった。もっとも、家を出た直後の朝比奈さんの懐かしい悲鳴と、ハルヒの「みくるちゃん! 何食べてこんなに育ったの!? この胸は反則じゃない!」という声を聞いた限りでは、俺たちを追いだしたことを後悔したんじゃないかと思うんだが。


 三十分経って俺と古泉が家に戻ると、ハルヒと朝比奈さんは所狭しと拡げられた洋服を畳んでいるところだった。ずいぶんと店を広げたな。というか、これ全部買ったら結構な額にならないか? いくら仕事をしているからと言って、朝比奈さんの経済状態はどうなっているんだろうね。
 十年前、「朝比奈風」なんて売り出せば殺到しそうな朝比奈さんの服装、今はそれをハルヒが来ている。ハルヒは人の服装にはうるさいくせに自分を着飾ることはあまりしなかったので、十年前でも今でも見慣れない格好である。いや、似合っているんだが。

 それから更に三十分後、長門を除くSOS団のメンバーは、十年ぶりの市内探索を楽しんだ後、学会とやらから帰ってきた長門を駅へと迎えに行ったのだった。