空白の後 その4
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「全然変わってないのね! ここだけ時間が止まってるみたいよ」

 十年ぶりにSOS団が集合したのはもちろん北高の文芸部室などではなく、懐かしくもなんともないにも関わらずハルヒがいるだけで妙に感慨深い物に感じられる北口駅前で、そこから移動した先は十年前から変わらず長門が住んでいるマンションの七〇八号室だった。遠慮という文字を印刷し忘れた辞書しか持っていないハルヒは、ハルヒに流れている時間から見ればさほど久しぶりでもないだろうその部屋へ、ドアを開けた長門よりも先に乗り込んでそんな感想を口に出した。

 俺が最後にここに来たのはいつだったか記憶の糸をたどるのに苦労しなければならないほどなのだが、それにしてもこの十年で変わったところがあるのだろうかと首をかしげてしまう。テレビも絨毯もない部屋に、冬にはコタツになるはずのローテーブルのみ、部屋の隅にあるこれまた懐かしいゲームの所有者はだれだったか忘れたが、マメに掃除はしているのかホコリも被らずに立て掛けてあるままだった。
 変わらないのは部屋の主も同様で、俺たちの中で外見が一番変わったのが朝比奈さんなら、一番変わっていないのは長門だろう。本来なら変化する必要もないのかもしれない。実際のところ高校を卒業して三年くらいは変わらなかったように思う。もしかしたら三年に一歳分しか年をとらない設定になっているんじゃないだろうな。年齢や寿命などどうにも出来そうなだけに本気でそう思えてくる。
 それでも一番変わったところをあえてあげるとすれば、北高の制服を着ていないってことだろう。

「少しは背が伸びたかしら? 有希ってば、ちゃんとご飯食べてるの?」

 長門を心配している口調も十年前と同じ、ってだからこいつは十年前のハルヒなんだと心の中でツッコミを入れる。一人で面白くもない脳内コントをしている場合じゃないぜ。
 ハルヒの問いかけに長門は頷くだけで返答した。


 テーブルの周りに座した十年後の団員達を、腕を組み胸を張って立ったままぐるりと見渡す。不敵に笑う笑顔もハルヒそのままで、俺は緩みそうになる頬を引き締めるのに苦労した。「何をニヤニヤしてるのよ、バカみたい」なんてこの年になって高校生に言われたくもないからな。
 俺たち一人一人に改めて視線をくれると、ハルヒは瞳を煌めかせながら言った。

「普通なら全く信じられないような出来事が、SOS団団長たるこのあたしに起こったのよ! わかる?」

 おそらく当の本人よりわかっているさ。長門や朝比奈さんは、俺なんかよりもずっと現象自体を理解していそうだ。

「それでさ、」

 当たり前だが誤魔化すことなどできやしない。ハルヒが現状を認識すること、それは今となっては必要なんだが、さて。
 ここから先の俺の思考とハルヒのセリフの続きが、ほぼ完全にシンクロした。

「これからどうすればいいの?」

 考えなしかよ!
 とツッコミを入れるのもハルヒにとっちゃ気の毒かもしれない。俺だっていきなり十年後に吹っ飛ばされたりなんかしたら、どうすりゃいいのか解らなくなるに違いない。
 いや、そこに長門がいて朝比奈さんがいて古泉がいて、何よりハルヒがいるのなら、俺は何とかなると思える。四人が四人ともそれぞれの立場で何とかする力を持っていることを俺が知っているからで、ハルヒはそれを知らないわけだ。


「とりあえずは、現状をまとめてみましょう」

 質問を引き取ったのはやはり微笑みを湛えたままの副団長だ。

「僕も今朝電話で聞いたばかりですから、詳しいこともわかりません。十年の時間を超えるなどということはにわかに信じがたいですが、こうして涼宮さんを目の当たりにしてみると、信じざるをえないですね」

 しかし、そういう古泉も今朝の電話で驚いた様子は見せなかった。むしろ電話を待っていた、と言いやがったってことは、ハルヒが昨日の夜現れたことをすでに知っていたのだろう。
 むしろ驚いていたのは朝比奈さんで、やはりあの手紙はこの朝比奈さんからではないのだろう。朝比奈さんが未来を取り戻したのか是非聞いてみたいのだが、今聞くわけにはいかない。

「あたしが知りたいのは」

 情報整理なんかどうでもいいのか、知りたいことを優先させる気なのか、ハルヒが口を挟む。

「どうしてあたしがいきなりタイムスリップなんてしたのかってことよ。突然時間旅行が可能な超能力が身に付いたとも思えないわ。実際、元の時間に帰ろうと思っても帰れないもん」

 タイムスリップ自体はハルヒの能力をしてなせる技なんだろうが、と思いつつ何故か暗澹たる気分がわき上がってきた。
 なんだ? 一体。

「ですから、そこも含めてまとめてみた方がいいでしょう。涼宮さんにとっては昨日のことですが、我々にとっては十年前────涼宮さんが行方不明になったと思われる時間に何があったでしょうか」
「知らないわ」

 ハルヒはあっさりと言った。

「布団で寝ていたはずなのに、いつの間にか部室にいたのよ。そこにキョンが……」

 今朝の言い訳を信じているのかいないのか、まだ少し疑わしそうな目を俺に向ける。

「高校生じゃなくて、今ここにいるキョンが現れたってだけよ」
「なるほど」

 古泉は何故か面白い物をみるような目で俺を見る。ハルヒがいたので手紙のことを含めて詳しい事情はまだ話していないが、俺がそこに現れた以上何らかの事情があることくらいはお前でもわかるだろうが。

 ハルヒが時間を超えた原因は、本人以外はよく知っている。古泉は十年前に地震があったことに触れ、それによって未知の力が働いたのではないかといった事実から遠からずの仮説をハルヒに話していた。

「地震なんてあたしは知らないわ」

 ハルヒは首をかしげる。地震とタイムスリップのタイミングはよく解らないが、基本的には寝ていたみたいだからな。

「でも、せっかくこんな体験したんだから原因を解明したいわよね。地震が怪しいなら、その地震について見てみたいわ。図書館に調べに行けば新聞記事はあるわよね。後は何を調べればいいかしら? 地震で時間が相転移するとか、誰か論文でも発表してない?」

 意味がわからん理論を論文に出来るやつなんかハルヒくらいしかいない。
 ハルヒはまた唇の端をつりあげた独特の笑みを浮かべた。

「きちんと理論を確立出来さえすれば、あたしたちがタイムマシンの発明者にだってなれるに違いないわ!」

 朝比奈さんがビクッと体を震わすのが目の端に映ったが、幸いハルヒは気がつかなかったようだ。
 ハルヒは大きく息を吸い込むと、十一年前にSOS団を結成したときと同様に大きな声で宣言した。

「SOS団でタイムマシン第一号を作るわよ!」

 マジか!?


 何とかまとめようとしていた古泉はわずかに苦笑し、朝比奈さんは目を見開いてハルヒを見つめ、長門はやはり表情を変えずに黙っていた。
 マジか、と言われれば大マジに違いない。ハルヒが不可思議ごとを求めている気持ちはいつだって真面目だった。
 問題は、今までは「きっとないけどあったらいい」ものを探していたのに対して、今度は「そこにあるに違いない」ものを求めている点だ。
 果たして、ハルヒはその途方もない能力を今でも持ち合わせているのだろうか。


「ま、その前に腹ごしらえよね。もう七時半だわ」

 長門が夕刻に帰ってきたおかげでもう夕飯時を過ぎていたことを思い出した。どっかの店にでも繰り出すのかと思ったが、

「有希、何か材料ある?」

 なんて聞くからには作る気のようだ。今からかよ。
 長門がミリ単位で首を横に振ると、ハルヒはやはりこう言い出した。

「じゃ、買い出しに行くわよ!」

 ハルヒが作ると言うなら文句は言わないことにする。



「ご説明願いたいのですが」
「何をだ」

 近所のスーパーに着くや否や朝比奈さんと長門を伴って先に行ってしまったハルヒを後からゆっくり追いかけながら、俺はようやく古泉と話す機会を得た。朝比奈さんや長門とも話したかったが、それはまた別の機会にするしかないだろう。

「あなたがわざわざ涼宮さんを迎えに行った理由です。まるでそこに現れるのを予期していたかのように」
「だいたい予想はついているんだろうが」

 面白がっている古泉に渋面を向けてやる。

「匿名の手紙ってやつが来ただけさ。高校時代よく下駄箱に入っていた、あれだ」
「それはそれは」

 意外なことに古泉は驚いたようだ。

「その手紙の送り主が予想通りの方だとすると、ちょっと納得できかねますね」

 なんでだ?

「なぜなら、少なくとも今朝の話では、朝比奈さんはまだ『帰る先』がないからです」

 朝比奈さんの帰る先がない────つまり、まだ未来とは繋がっていない。もっと言えば、朝比奈さん(大)が存在するかどうかもわからないし、俺の郵便受けに手紙を入れに来ることも出来ないはずだ。
 古泉は、やはりハルヒがこの時空間に出現したことを知っていた。ハルヒの存在をどうやって認識するのかは知らないが、精神分野の専門家を自負するくらいなのだから何かあるのだろう。
 俺が連絡したのを待って、朝比奈さんと長門とはすでに話をしていたらしい。つまり、俺よりよっぽど現状を把握しているってことか。

「じゃあ、あの手紙はなんだ?」

 完全に覚えているわけではない。しかし、手紙が置いてあった状況にしろ書いてある内容にしろ、朝比奈さん(大)からのメッセージとしか思えなかった。そうでないとしたら、心当たりなんてまったくない。

「僕にも解りかねますが」

 古泉も首を捻っているが、それでも古泉らしい仮説は思いつくものらしい。

「別の未来があるのかもしれません。朝比奈さんが来た未来とは別の──つまり、朝比奈さんは連絡が取れない未来です。そこに、今の朝比奈さんから繋がらない朝比奈さんがいらっしゃるのかもしれません」

 よくわからんが、それじゃ今の朝比奈さんはどっから来たってことになるんだ?

「最悪の場合ですが」

 古泉は苦い笑みを浮かべた。

「朝比奈さんの来た未来はすでに消滅しているのかもしれません。たとえば、十年前が彼らにとって最悪の『規定事項』となった可能性もあります。その未来に存在しなかった朝比奈さんは、未来の消滅から取り残された、とも考えられます」

 ますますわからんが、確かに最悪だ。

「それを朝比奈さんに言えるか?」

 古泉は肩を竦めた。

「まさか。まったくの仮説に過ぎません。何の根拠もありませんし、いたずらに不安にさせるだけでしょう」

 まったくだぜ。

 だが、今の「時間」はどうなっているのだろう。あの手紙は誰が書いた物なのか。
 古泉の仮説は俺を不安にさせるのに十分だった。


「キョン! 古泉くん!」

 いつの間にやらカートを食材で一杯にしたハルヒが満面の笑みでやってきた。

「これだけ買えば大丈夫よね! 何か食べたいものある? 一品くらいなら聞いてあげてもいいわよ!」

 買いたい物を決めてから聞いてくるあたりもハルヒらしい。それはともかく、材料だけ見ても何を作る気かわからんが、それだけあれば五人で三日分くらいは何とかなるんじゃないのか?

「ありがとうございます。ですが、作って頂けるだけでもありがたくて何も思い浮かびません」
「そう?」

 古泉の昔から変わらない太鼓持ち的発言だけを聞くと、

「じゃ、レジ行くわよ!」

 とカートを回転させた。俺の意見は無視かよ。せっかくだから少しくらい飲みたい気もするが。

「あら、お茶ならちゃんとここに入れたわ。みくるちゃんのお茶汲みレベルはどれくらい上がったかしら?」
「ええっ!? えっと、わかんないです~」

 飲みたいという言葉に対してお茶と返すハルヒに反論する気にはならなかった。そうだ、こいつは高校生だった。

「……ならいいさ」

 朝比奈さんのお茶を飲めるのも久しぶりだしな。



 人と飯を食べるなんて、実家に帰るか仕事帰りに会社の人間と行くくらいしかなかったので、その日の夕飯は楽しいものだった。ハルヒの料理は相変わらず旨かったし、朝比奈さんのお茶入れは朝比奈流の開祖になっていいんじゃないかというくらい磨きがかかっていた。
 他愛もない、だが今思うと大事だった高校時代、その時間が今だけは戻ってきたような気がしていた。



 俺の部屋にハルヒを泊め続けるわけにもいかないので、その日からハルヒは長門宅の住人となった。
 ハルヒの今後は古泉が請け合い、またもや怪しい知り合いを伝手にハルヒの「今まで」を作り上げることにするらしい。詳しいことはまだ未定だが、古泉が脚本書いて大丈夫なのかね。
 ハルヒ自身、戻り方が解らない以上は古泉の提案を受け入れるしかないと思ったのか、「タイムマシンが出来るまで」は十年間をどこかで過ごしたという設定で生きることに興味を持ったようだ。期間限定だと本気で思っているからか、まだ面白がっているようにも見える。
 夕飯後、そんなことを話し合ってその日は解散となった。おそらくこれからは頻繁にここに来ることになるだろう。

 解散後、長門の家を辞した朝比奈さん、古泉、俺の三人はすぐに解散せずに北口駅前の喫茶店に集合した。もう少しハルヒのいないところで話す必要があったからだ。

「朝比奈さん」

 手紙のことはまだ聞くべきではないかもしれない。古泉の仮説が正しいなんて思えないが、朝比奈さんが同じ仮説に辿り着いたとしたら気の毒すぎるからな。他の解答を俺は提出することもできない。

「朝比奈さんは昨日の夜のことはご存知じゃなかったんですよね」

 今朝、電話したときの慌てっぷりからして知っているわけはないと思うが、念のため確認する。

「えと、涼宮さんのことは知らなかったんです。でも……」

 でも?

「その、涼宮さんが現れた夜、同じ時間だと思います。わたしは一種の時空振動を感じました」
「時空振動?」
「ええ。えーと、わたしたちが使っているTPDDも、該当する時間平面に小さな振動を与えます。でも、昨日の夜のそれは私が知っているものと違っていました」
「どう違っていたのか説明できますか?」

 古泉が質問すると、朝比奈さんは困ったように首をかしげた。

「上手く説明できません。わたしも初めて見たし、うーん、ただ……」

 朝比奈さんはふぅっと息をついた。

「おそらく、涼宮さんはわたしたちとは違う理論に立脚した方法で時間を超えたんだと思います」

 声がだんだん小さくなる。

「わたしたちが、技術として確立できなかった方法で……」

 最後には消え入るような声になっていた。その理由はなんとなくわかる。
 ハルヒが時を超えたことを事実として認識する。そして、さっき宣言したようにその方法を何とかして知り、その方法論を用いてタイムマシンを作り上げたとする。ハルヒがすでに時間移動を事実として認識している以上、本当にやりかねないのだ。
 その技術は朝比奈さんのものとは違うらしい。
 ということは、もしハルヒがそのタイムマシンを完成させたら、TPDDが開発されるという歴史がなくなってしまうということだ。

 俺は先ほどの古泉の仮説をもう一度思い出した。

 朝比奈さんの未来は、すでに消滅してしまったのか?