独り占め 前編
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 いつも通りの放課後、いつも通りの俺はいつも通りまるで鮭が遡上する川が決まっているのと同じのように文芸部室に向かっていた。そしてこれまたいつも通りドアをノックする。
「はぁ~い」
 マイエンジェル朝比奈さんのスイートボイスが返ってきて、俺は安心してドアを開けた。掃除当番だった俺はいつもより遅く来たので、うっかり朝比奈さんの生着替えを覗いてしまうなんてことにはならないだろうが、念には念を入れなければならない。俺だって紳士的に振る舞えるのさ。相手にもよるがな。
「こんにちは、キョンくん」
「どうも、遅かったですね」
「……」
 三者三様の挨拶をしてくれるのもいつも通りだ。長門は言葉はないものの、一瞬本から顔を上げて俺を見ると、また戻した。これが長門の挨拶であり、SOS団の連中は全員それが分かっている。

「あれ? ハルヒはまだ来てないのか」
 掃除当番の俺より遅いはずはないんだが。あいつもいつも通り終業とともに鞄を持って教室を駆け出して行ったはずだ。またどこかで誰かに迷惑かけているのか? それとも何か、特に俺と朝比奈さんにとってよからぬ計画を企てている最中なのか?
「ええ、まだ見えていませんね。どうしたのでしょうか」
 古泉は何故かスマイル5割減といった表情で答えた。どうした? いつもなら無意味に笑みをたたえているのがお前だろ。
「少し気になることがありまして……」
 お前が気になるってのは不安だが、いつも通りに訳の分からない講釈をたれながら話そうとしないところを見ると、今は聞いても仕方がないんだろう。わざわざ俺から古泉に聞いてやるような親切心は持ち合わせていないんでね。
 どっちにしてもハルヒが部室に来るまでは何事も始まらないはずだし、俺はつかの間の平穏を楽しむことに決めた。朝比奈さんがお茶を入れてくれる。
「はい、どうぞ。美味しく入れられたと思うんですけど~」
 美味しくないわけがないじゃないですか、朝比奈さん。俺はこれ以上に美味しいお茶なんてこの世に存在しないと断言してもいいですよ。
「ふふ、褒めすぎですよ~。でも、ありがとう」
 エンジェルスマイル、という言葉はきっとこの人のためにある言葉だ。そうに違いない。

 俺が極上のお茶を味わいながら幸せな気分に浸っていたというのに、古泉のやつがいきなりぶちこわしやがった。

「たった今、閉鎖空間が発生しました」

 ……なんだってんだ一体。いつも閉鎖空間が発生するたびに俺に責任を背負わせるんだ、今回も俺のせいという気か? 言っておくが、本当に今日はハルヒを怒らせたりした覚えはないぞ。授業中、多少上の空だった気もするが、そんなハルヒだって珍しくないだろうが。
「先ほどから涼宮さんの精神状態が良くないことは気がついていました。しかも、現在進行形でどんどん悪くなっていっているようです。今あなたはここにいるわけですから、あなたが原因とは考えにくいでしょう」
 どうぞお気になさらず、と慰めにもならないことを言われていると、案の定古泉の携帯が鳴った。まあ、これもある意味いつも通りだ。ご苦労なこった。
「ご想像通り、バイトが入りました。詳しいことはまた、明日にでも。できれば、あなたには涼宮さんのフォローをお願いしたいところですが」
「待て。俺のせいじゃないと言わなかったか?」
「確かにそう思われますが、それでもフォローするのはあなたが適任だと思います」
 何言ってやがる。フォロー役なら太鼓持ちのお前がやれ。
「僕が出来るならそうしたいところですが、残念ながら荷が重すぎます」
 お前に重いなら俺なんか持ち上げることも出来ないだろうよ。
「そんなことはないはずですよ。……ではまた」
 勝手に決めつけると、古泉はさっさと出て行ってしまった。例の灰色空間が拡大するのは厄介らしいからな、俺はせいぜいお前の無事くらいは祈っていてやるさ。
 でもこれだけは言わせてくれ。

 やれやれ。

 ハルヒは古泉が出て行ってからしばらくして部室にやってきた。
「どこ行ってたんだよ、遅かったじゃねえか」
 俺が声をかけると、ハルヒは俺を睨み付けて一言、
「うるさい」
 とだけ言いやがった。何だよその言い草は。とことん虫の居所が悪いらしい。
 結局その日は不機嫌オーラを出しまくるハルヒをどうすることも出来ず、小動物の様に怯えた朝比奈さんといつも通り本を読む長門、ゲームの相手もいないので、いつぞやのコンピ研との勝負で手に入れたノートパソコンで遊ぶ俺、という意味のない活動を終え、長門が本を閉じるのを合図に帰途についた。意味のないのはいつもだがな。
 おい、古泉。だから俺には持ち上げることも出来ない荷物を押しつけるなよ。


 翌日もハルヒの機嫌は3日連続で狩りに失敗している肉食動物よりも悪く、前の席にいる俺は後からの不機嫌オーラをもろに被ることになり、だからといっていつものように俺にちょっかいをかけてくるわけでもなく、結果として俺は全然授業に集中することが出来なかった。
 くそ、うるさくても大人しくても俺の邪魔をする奴だ。いまいましい。

 何とか背後からのプレッシャーに耐えて授業を終え、俺は急いで部室に行った。古泉はある程度事情が分かっているんじゃないかと思う。早く何とかしてくれないとただでさえ低空飛行の成績が、本気で墜落してしまいそうだ。ハルヒが不機嫌なのも厄介だが、俺は俺の成績が不安だから早く何とかしたいんだ。別にハルヒの機嫌を取ろうなんて考えちゃいない。
 って、俺はまた誰に対して言い訳しているんだろうね。

 部室に行くとすでにハルヒ以外の3人は揃っていた。そういえばハルヒの奴、今日は教室を飛び出さずに座席でボーッとしていたな。掃除の邪魔をしていなければいいが。
「古泉、昨日は結局何だったんだ?」
 挨拶もそこそこに用件を切り出した俺に、古泉は相変わらずの笑みをたたえたままで、答えない。何だって言うんだ? 一体。
「困りましたね。どう説明すればいいでしょうか」
 古泉にしては珍しく言い淀んでいるのがかえって気になる。何か大変なことが起こっているんじゃなだろうな?
「いえ、世界が滅びるとかそういう事態にはなっていませんが……」
「はっきり言いやがれ」
 いつもはさっさと巻き込みやがる癖に、何だって今日は言い渋るんだよ。

「あなたは知らない方がいい」
 それまで本に目を落としていた長門が俺を見据えて言った。
「知らない方がいい? 何故だ?」
 長門に目をやるが、長門もそれ以上何も答えない。
 朝比奈さんは、ただおろおろしているだけで、この人に聞いても何も知らないんじゃないかと思う。
 本当に、何なんだ?
「古泉。お前は昨日、俺にフォローしろって言ったよな。俺の責任じゃなくても押しつける癖に、いざとなったらだんまりかよ」
 かなり語気を強めて言うと、古泉はわざとらしく肩をすくめた。
「確かに、おっしゃる通りです。ただ、あなたに隠したいと思ったのは親切心からだということは理解して頂きたいのですが」
「今更だ。今まで俺がどれだけ巻き込まれてたと思ってるんだよ」
「いえ、そういうことではないのですが。……仕方ありません、お話ししましょう」
 そういうと、古泉は昨日ハルヒに起こった出来事を話し始めた。

 なんてな。そんな大げさなことがあったわけじゃない。
 どうやら、昨日、ハルヒは呼び出されて告白とやらを受けていたらしい。
 って、だからと言って閉鎖空間が発生するほどイライラするほどのことか?
「ええ、単なる告白なら、涼宮さんもあっさり断って終わりだったでしょう。実際、今年度に入ってから何度か似たような状況がありましたが、これと言って涼宮さんの精神状態に影響を及ぼしたという事例はありませんでした」
 てことは、すでに何度か告白されてたってことか。全然知らなかったぜ。

 ん? 何だこのモヤモヤは。
 何かが心の中に湧き上がってきたような気がしたが、俺はあえてそれを無視して話の続きを聞くことにした。何だかつかみ取ろうとすると後には戻れないような気になった。何故かは分からないけどな。
「ところが、今回の方は結構しぶとい……というか、有り体に言ってしまえばかなりしつこい方だったようです。涼宮さんが話を切り上げたいと思っているのに、腕を掴んで自分の思いをまくし立てるようなことをなさっていたそうです」
 そりゃ、ハルヒの嫌がりそうなことだ。ハルヒ相手じゃなくたって、しつこい男は嫌われるってのが世の常識なんじゃないのか?
「ええ、しかも、こともあろうに……」
 古泉は顔から笑顔を消して俺を見た。
 なんだ、この間は。

「こともあろうに、彼は涼宮さんの隙をついて、強引に唇を奪ったそうです」

 な……んだって……?
 唇を奪った……キスされたってことか? ハルヒが?
 先ほどから心に浮かんできたモヤモヤに、何か別の感情が交じり合った。それが何かを理解するまもなく、俺は古泉に詰め寄っていた。
「お前はさっきから伝聞で話をしているけどな、つまりは機関の誰かさんがそれをずっと見ていたってわけだ」
「そういうことです。涼宮さんの行動は基本的に監視されているのはご存じでしょう」
「だったら、止めることも出来たはずだ」
「それは無理というものです」
「ふざけんな」
 ハルヒにそんなことをしやがった野郎を止められないなら監視なんか意味ねえだろ。それとも何か? 機関ってのは単なるストーカーか?

「何をそんなにお怒りですか」
 古泉は薄ら笑いを浮かべて俺を見た。俺は目の前が朱に染まった気がした。
 何をお怒りかって? これが怒らずにいられるか?
「落ち着いてください。いくら監視しているからと言って、涼宮さんの行動にいちいち干渉出来るはずはないでしょう。本当に危険と言う状態ならいざ知らず、高校生活において告白なんて、些細な1イベントに過ぎません。そこにのこのこ機関の人間が出て行くわけにもいかないのはお分かりでしょう」
 相変わらずの表情で、動じることもなく古泉は続けた。
 ああ、そうさ。言われてみればその通りだ。機関の人間がどうこうする問題でもないんだろう。だが、気に入らねえ。
「正直言って、昨日の閉鎖空間には手を焼きましたよ。涼宮さんはよほどご立腹だったとみえます。それだけショックも大きかったんでしょう」
 古泉はまた俺の神経を逆なでしやがった。よく平気なツラしてそんなことが言えたもんだ。
「それで、もう一度聞きますが、あなたはどうしてそんなにお怒りですか」
「どうしてって、そりゃ……」
 俺はそこで口をつぐんだ。
 そういえばどうしてここまで怒っているんだ、俺は。
 ハルヒがキスされた? そう思うとまた腹の底から怒りが湧き上がってくるのを感じる。
 何故だ?
 別に構わないじゃないか。朝比奈さんならいざ知らず、ハルヒならその相手を再起不能になるまで殴り倒したに違いない。だいたい男の前で平気で着替えていたあいつだ、キスくらいでそんな騒ぐこともないんじゃないか?
 閉鎖空間だって、キスより男のしつこさにイライラが爆発したんじゃないのか?

 じゃあ、何故俺が怒る必要がある?
 そうだ、さっき考えた朝比奈さんがヒントだ。去年の映画撮影のとき、酒を飲まして古泉とキスをさせようとしたハルヒに、俺は本気で怒りを覚えた。
 これは義憤という奴だ。
 相手の同意なしにそういう行為をはたらく奴は許せるわけがない、そうだろ?

 俺がそういうと、古泉はまた肩をすくめて首を振った。もうそのわざとらしい仕草に突っ込みを入れる気にもならねえ。
「キョンくん……本当にそう思うんですか?」
 朝比奈さんが何故か悲しそうな目で聞いてくる。そんな拾ってもらえない子犬のような目をしないでください。何故そんなことを聞くんですか。
「とにかく、出来ればあなたに涼宮さんを慰めて欲しいのですが」
 結局、ハルヒのフォロー役は俺ってことかよ。今日のハルヒを考えると、あまり関わりたくはないんだが。まあ、さっきも言った通りどっちにしても俺が巻き込まれるだろうからな。仕方がねえ。
「涼宮ハルヒは教室にいる。あなたが行くべき」
 長門までそんなことを言うか。だが、このままハルヒを不機嫌なままにしては世界がどうにかなっちまうのかもしれない。高校生の女の子1人に振り回されるなよな、世界とやら。
 しょうがないから行ってやるか。俺が行ってどうにかなるもんでもないとは思うけどな。
 ただ、もう一度言わせてくれ。やれやれ。