独り占め 後編
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 長門の言ったとおり、ハルヒは教室にいた。何でまた教室に居残ってるんだ?
 ハルヒの機嫌が悪いときによくやっているように、頬杖を着いて窓の外を見ているので、その表情は窺えない。今日1日の様子だけでも、相当不機嫌なのは間違いないけどな。俺はどう声をかけようかと、教室の入り口でしばらく逡巡していた。
 こんなところで突っ立ってても仕方ないよな。ようやく俺はハルヒのそばまで歩いていった。
「何やってんだよ、こんなところで」
 なるべく普通に声をかけたつもりだった。ハルヒだって虫の居所が悪い日もあるわけだし、むしろそんな日は常人より多いんじゃないかってことくらいは俺にも解っている。
 それなのに、何故か俺の言葉には多少のトゲが含まれていた。少し、詰るような口調になったのに、自分でも気がついた。
 そして、こいつはそういうことには敏感なんだ。
「別に」
 その短い言葉に、俺以上の不機嫌さとトゲを含ませて、ハルヒは言った。そして、その言葉に俺は何故かイライラした。先ほどの古泉との会話で生まれた心の中のモヤモヤがまた湧き上がってきた。畜生、これは一体何なんだ?
「別に、じゃねーだろ。団長がサボりかよ」
 ああ、何を言っているんだ、俺。別にハルヒに喧嘩売りに来たんじゃねーだろ。
 ハルヒが不機嫌なのは最初からわかっていたはずだ。だから俺の発言に対して不機嫌に受け答えされるなんてことは最初から予想の範囲だったじゃないか。モヤモヤと別の場所で、冷静な俺がそう言っている。
 ハルヒは一度も俺を見ない。その態度は、俺をますますイライラさせた。
『何をそんなにお怒りですか』 古泉の言葉がよみがえる。
 義憤? だったら、相手の男に怒れば済むはずだ。何だって俺はハルヒに対してこんなにイライラする必要があるんだ? ハルヒのこんな態度なんてそれこそいつものことじゃないか。
「うるさい。あたしがどこで何してようとあんたには関係ない」

 部室にいるときからこっち、俺は冷静さを欠いていた。
 そしてこのハルヒのセリフで、俺は頭に血が上っちまったらしい。

 関係ないだと? 最初から俺を無理矢理引きずり込んで訳のわからない部活もどきに参加させたのはどこのどいつだ!
「ふざけんな。いつもさんざん引っ張り回して面倒ごとに巻き込んでばかりの癖に、何だその言い草は」
 率先して面倒なことは俺に振るくせに、自分の面倒ごとは誰にも言わない気かよ。ああそうだよな、告白されたなんて面倒ごとはどうせ俺には関係ないよな。そんなことはわかっているんだ。
「どこで何してようと関係ないって言うけどな、俺はお前がどこで何してんのかわからないと気になってしょうがないんだよ」
 『強引に唇を奪ったそうです』
 何をやってるんだよハルヒ。相手が強引でもそれ以上の強引さでやりこめるのがお前だろうが。何でそんな簡単に───

「お前が誰かに奪われるかと思うと俺は───」


 ちょっと待て。俺。
 待て待て。

 今、何を言おうとした? さっきから何を口走っているんだ?

 ハルヒはいつの間にか俺の方を向いて、目を見開いて俺を見ている。
 俺は今なんて言った? これじゃまるで──

「どういう意味?」
 ようやくハルヒが口を開いた。
 いや、どういう意味だろう。俺にもわからな………

 それは、唐突だった。
 突然、俺の中にずっとあったモヤモヤが急速に形を成してきて、俺はその感情を理解した。
 古泉との会話、告白されたハルヒ、そして今何故かハルヒに対して感じている怒り。

 つまり、あれだ。……ぐ、認めたくねえ。認めたくないけど。俺は嫉妬していたってことだ。ハルヒが告白されたってことに。そして、ハルヒが強引にキスされたと聞かされて、俺はこう思ったわけだ。
 ──何俺以外の奴に簡単にキスなんかさせてんだよ。
 認めたくねえ。恥ずかしくて死にそうだ。第一、これは完全に八つ当たりじゃねえか。

 つまり、俺は。ハルヒに対して好意を持っていると。
 他の男にキスされたのがこの上なく腹立たしく感じるくらいに。

 ヤバイ、ハルヒの顔をまともに見れねえ。
 顔が熱い。

「ちょっと、何黙りこくってんのよ!」
 突然の俺の沈黙に、ハルヒはいらん突っ込みを入れてきた。くそ、何て言えばいい。
 ていうか、何も言えるか!
「言いかけたんだから最後まで言いなさい!」
 うん、それ無理。
 だいたいお前、さっきまで不機嫌そうだったのに何でやけに元気になってんだよ。
「言わないと罰金!」
 おい、ネクタイを掴むな! ……て、あれ?
 いつもの通りネクタイを掴んだハルヒに反射的に反論して思わずハルヒに視線をむけた俺は意外なものを見た。
 真っ赤になってる。ハルヒが。

 何お前まで赤くなってるんだよ。
 つーか、俺たちは何をやっているんだろうね。

「……昨日、バカな男にバカなことしつこく言われて腹が立ってたのよ」
 ネクタイを離さないまま視線を斜め下あたりに向けて、ハルヒは突然そんなことを言い出した。
「学年が上がってから、バカ男が何人かいたわ。高校入ってからは全然なかったのに」
 古泉の話を聞いてなきゃ何のことかわからないよな。とりあえず突っ込まずに黙って聞くことにする。
「……なのに」
 ハルヒはそこで視線を俺に戻した。

「それなのに、何で、あんたは言ってくれないのよ」

 ハルヒ、それは反則だ。赤い顔して潤んだ瞳で見上げてくるハルヒは何というか、ものすごく可愛かった。俺は視線をそらすことも忘れてその顔を見つめていた。

「……意味がわからないんだが」
 くそ、ハルヒにここまで言わせてるのに俺はこんな言葉しか出てこない。
 いやいや、今のハルヒの説明で解れって方が無理があるぞ。古泉から、ハルヒが告白されたらしいなんて話を聞いてなきゃ、絶対に理解不能だ。バカ男にバカなこと言われて、それが何度かあった。そして、俺が言ってくれないって、バカなことを言って欲しいのか。俺にバカ男になれって言うのか?

 なんて誤魔化してみてもな。俺はハルヒの言いたいことがわかっちまってるんだよ。
 バカ男ってのはハルヒに惚れた男で、バカなことってのは告白のことだろ。それを俺に言えってことは………。
 
「もういいわよ! バカキョン!」
 やれやれ、怒らせちまった。しかし、なんちゅう回りくどいやつだ。あれで理解しろって言う方が無理だろ。しかも、俺の気持ちを確認するまでもなく「何であんたは言ってくれない」ってどんだけワガママなんだよ。
 ハルヒは俺のネクタイから手を離すと、元通り窓の外に視線を戻してしまった。
「悪かった」
 俺は謝ってみたが、しばらくの間2人で無言だった。


 ああ、畜生。沈黙に耐えられなくなったのは俺だ。
 ハルヒが俺に言わせたいことは解ってるんだろ? そして、俺はどうだ? さっき自分の気持ちがはっきり形になったとこだろ? このまま怒らせといていいのかよ?
 何とかやってみろよ、俺。


「……ハルヒ」
 自信があるぞ。何にかって?
「まあ、つまり……その、なんだな」
 今の俺はハルヒに何度も言われた中でも一番のマヌケ面だ。ほっとけ。
「その……さっきのは、俺がハルヒを好きだってことだよ」
 マヌケ面に自信を持つってのもどうかと思うけどな。


「あっそう」

 ……それだけか。そうですか。凹むぞ、マジで。えらい遠回しに、言えと言ったのはお前じゃなかったのか? 俺の勘違いかよ。

 と思ったが、横を向いているハルヒの顔も耳も真っ赤になっていた。
 それをどう解釈すればいいのかね。

「俺は部室に戻るからな」
「勝手に行けば」
「お前も後から来るんだろうな」
「団長がサボるわけないでしょ」
 今までサボってた癖に勝手な奴だ。俺はハルヒを置いて戻ることにした。
 これ以上ハルヒと2人きりって状況は心臓に悪すぎる。

「……帰り、あたしを家まで送っていきなさい」

 教室を出るとき、聞こえるか聞こえないかの声で、ハルヒが言った。
「わかったよ」俺も答えた。


 部室には出たときと同じように、3人ともそれぞれの席に座っていた。
「お帰りなさい、お茶いれますね~」
 笑顔で朝比奈さんが立ち上がり、やかんに向かう。何か色々精神的に疲れていた俺はその笑顔に心から癒される。ああ、やっぱり朝比奈茶は最高だ。
「うまく行ったようですね」
 ニヤケ面が俺に言った。
「涼宮さんのイライラは完全に消えたようです」
 そうだといいけどな。ハルヒの様子を見ていると俺には何とも言えん。
「先ほどのことで、謝らなければならないことがあります」
 何だ? 機関の連中が何かやらかしたのか?
「いえ、そうではなくて……。先ほどの話ですが、実は嘘です」
 は? 嘘? 俺は何を言われたのかよく解らなかった。
「ええ、嘘です。いえ、涼宮さんが告白されたのは本当ですよ。その先が嘘なんです」
 その先?
 えーと、今日の話はハルヒがしつこい男に告白されて、それで強引にキスを……。
 つまり。その「強引に」以降が嘘ってことか?
「その通りです」
 ニヤケ面はニヤケ面のまま肯定しやがった。ちょっと待て。何でそんなことを?
「はっきり言ってしまうと、あなたをけしかけるためです。あなたに先ほどのような行動を取って頂くためにね」
 先ほど……って、何でお前がそれを知っている。
「だから涼宮さんは基本的に監視されていると申し上げておいたはずですが」
 ………。もう何も言えん。俺は話題を変えた。
「そういや、閉鎖空間は? 話が嘘だってんならそれも嘘か?」
「発生はしましたが、小規模のもので特に手を焼くほどのものではありませんでした」

 ……畜生。やられた。いろんな意味で。
 つまり、俺は嵌められたってわけか。
「長門もグルか?」
 長門を見ると、本から顔を上げ、わずかに首肯した。悪びれてねえぞ。

 頼む、誰か俺を殺してくれ。ついでに古泉もな。


 やがてハルヒがいつもの元気全開で登場し、いつもの無意味な時間が過ぎていった。
 立ち直りが早いんだか遅いんだか。やれやれ。

 俺は約束通りハルヒを送って帰ることにした。約束というか、命令に近い気もするが。古泉がニヤニヤしていたのが無性に腹が立つ。
 帰り道、ハルヒは再び無口になった。お前が無口だと気持ち悪いんだが。
「ハルヒ」
 俺は駅前の公園にさしかかったところで声をかけた。ハルヒは何故かビクッと肩を震わして、ゆっくりと俺を見上げた。
「何でまたお前は教室に居残ってたんだ?」
 ハルヒはまた視線を前に戻して立ち止まった。俺もつられて立ち止まる。
「……ちょっと色々考えてみたかったのよ」
 何をだ。
「昨日しつこいバカ男にバカなことさんざん言われて、無理矢理抱きつこうとするし散々だったわ」
 そりゃ災難だったな。って抱きつかれそうになったのかよ。
「もちろん殴ってやったわよ! でもね」
 ハルヒはそこで言葉を切った。あたりは薄暗くなってきていて、うつむき加減のハルヒは表情が窺えない。ハルヒはしばらくそのまま黙っていたが、顔を上げて言った。
「……あんただったら良かったのに、ってそのとき思ったのよ」
 すまん。俺は限界だ。顔を上げたハルヒは顔を赤らめて困ったような笑ったような表情をしていて、とにかくものすごく可愛かった。
 俺は思わずハルヒを抱きしめた。
「そんなこと考えてたら、部室に行ってあんたに顔を合わせるなんてできなくなったのよ」
 ハルヒは抵抗もせず、俺の腕の中で呟いた。
「俺もバカなことを言ったバカ男なわけだからな。殴っていいぞ」
 ああ、殴られてもいいね。殴られてでも俺はこうしていたい。
 ただ、殴られてもこうする権利は俺だけのな。
「ほんと、バカ」
 ハルヒは笑って言った。

「こうしてても殴られない権利をあげるわよ。あんただけね」

「そいつはありがたいね」
 どうやら俺は権利を独占できたらしい。

「俺が告白したとき、あんなに興味なさそうだったくせに」
 ふと思い出して意地悪を言ってみた。あれは照れ隠しだったんだろ?
「ごめん……」
「謝るついでにキスする権利も独り占めさせてくれるか?」
「バカ」


 言いながらまた赤くなるハルヒに、俺は生まれて2度目のキスをした。


  おしまい。