短編 | 編集

 手が好きでやがてすべてが好きになる  (時実新子)

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 やれやれ、俺はいつになったら家に帰れるのかね。

 放課後、しかも下校時刻を過ぎた文芸部室。本来なら長門が本を閉じるのを合図に下校しているところなのだが、今日はそうも行かない。なぜなら、我らが団長様が、机に突っ伏してスヤスヤと眠っていらっしゃるからだ。
 今日はやたらと張り切っていたからな。こいつでも疲れることがあるのだろう。気持ちよさそうに寝ているハルヒを見ていると、起こすのもしのびなく、俺は他の連中に先に帰るように言い、ハルヒが起きるのを待っているわけだ。
 朝比奈さんはニコニコ、古泉はニヤニヤ笑って異口同音に
「涼宮さんをお願いします」
 と言って帰って行った。長門はもちろん無言だったがな。

「まったく、よく眠ってやがるぜ……」
 机に突っ伏して寝ているハルヒの顔を覗き込んでみる。髪の毛が顔にかかり、表情はよく見えない。俺は無意識に、その髪の毛を軽くかきあげてその表情を見つめた。
 いつものパワフルな顔とはまた違った、穏やかな寝顔。どういうわけか、俺はその顔から目が離せなかった。

 指の間をサラサラと流れる髪の毛の感触がとても心地良い。そのまま髪の毛を手櫛で梳きながら頭を撫で続けた。ハルヒが起きたら何を言われるか、と思っているのに止めることができない。こうやってハルヒの寝顔を眺めながら髪を梳いているのが、とても贅沢な気がした。
「まったく、黙って寝てりゃ可愛いのにな……」
 思わず口走った言葉にハッとすると同時に……。

 ハルヒがいきなりガバッと跳ね起きやがった。

「うわ!! って、お前起きてたのかよ!!」
 まずい。やばい。いつからだ? この起き方は、たった今起きましたって感じじゃない。その証拠に、ハルヒは顔を真っ赤にして俺を睨み付けている。
「あんた、人が寝てるからって、な、何やってんのよ!」
「す、すまん」
 まったくおっしゃるとおりです。ほんと、何やってるんだろうね、俺。誰か俺に教えてくれ。
 いや、さっきまでの俺は俺じゃない。他の何者かが乗り移っていたに違いない。
 宇宙人? 未来人? 超能力者? それは知り合いにいるから違うな。きっと異世界人だ。喜べハルヒ、お前の探している不思議な事件が目の前で起こったぞ。
 ってSOS団設立時点で不思議が集まってるんだったな。ハルヒが知らないだけで。

 俺がそんな現実逃避的なことを考えている間にハルヒはますます怒りのボルテージを上げたようだ。
「団長にこんな恥ずかしい思いをさせて、どういうつもりよ!」
 恥ずかしいって俺だって恥ずかしいからおあいこってのはどうだろう。ダメか。ダメだろうな。
 どういうつもりと言われても困る。ただハルヒの寝顔を見ていたら……見てたら、どうなったんだろうね?
 さっきの自分と向き合いたくはないのでそれ以上考えるのは止めた俺の耳に、信じられないような言葉が飛び込んできた。

「仕方ないからっ…………も、もう少し頭撫でてなさい……」

 はい? 今なんて言った?
「べ、別に撫でられたいとか、そんなんじゃないのよっ! ただ、あんたがそうしたいなら仕方ないから!」
 そう言うハルヒは真っ赤になっている。
「起きるまで待っててくれたから! 今日は特別!」
 お前は自分で何を言っているのか分かっているのか、とか、ほんとはお前が撫でられたいだけだろ、とか突っ込みたいことは色々あったが、とりあえず封印することにする。こんなハルヒもたまにはいいかもな。

 俺は言われたとおりにハルヒの頭を撫でてやった。
 ハルヒは、まるでシャミセンがそうされているときと同じように、気持ちよさそうな顔をして目を閉じている。

 しばらくそうやっていたが、そんなハルヒを見ていると、また異世界人に乗っ取られそうになってしまう。俺はハルヒの頭から無理矢理手を引き剥がした。
「もう下校時刻過ぎてるからな。帰るぞ」
「えっ!? もうそんな時間なの?」
 手を離した瞬間、名残惜しそうな表情をしたような気がするが見なかったことにする。もう異世界人な俺はごめんだ。それより、早く学校を出ないとな。

「じゃ、キョン、帰るわよ!」
 ハルヒは俺の手を掴むと勢いよくドアに向かって突進した。
「おい、鞄くらい持たせろ! それにパソコンの電源も落としてないだろ!」
 慌てて引き留めた俺をハルヒは恨めしそうに睨む。
「何よ、さっさとしなさいよね」
 おい、ついさっきまで寝ていたのは誰だ。……なんて文句は飲み込んで、俺たちは片づけと戸締まりをして部室を出た。


 帰り道、どういう風の吹き回しか、ハルヒは俺の手を掴んで離さなかった。

 手を繋いだまま無言で坂を下る。……間が保たない。保たないが、何を話していいかさっぱりわからん。どうしても繋いだ手に意識が集中してしまい、俺の頭はますます混乱してきた。
 まあ、だからといって無理に振りほどく気はないんだが。

「…………………………」

 突然、ハルヒが何か呟いた。
「何だ?」 
「何でもないわ」
「そうかい」

 その後も、何を話せばいいかわからず、お互いに無言だった。
 分かれ道に来ると、ハルヒは俺の手をさっと離して
「じゃあね!」
 と俺の顔を見ずに走り去ってしまった。

 俺は、実は聞こえていたさっきのハルヒのセリフ──俳句のような川柳のような──を思い出して、ただその背中をアホみたいに見送っていた。

 ……顔が熱い。明日、どんな顔して会えばいいか、誰か教えてくれ…………