Happy End! 第1話
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第1話/第2話 その1 その2 その3 その4おまけ

 1.こと恋愛に関しては、俺はヘタレであるかもしれない

 始まりは、大学に入学したときからだった。
 ハルヒの鬼家庭教師による猛勉強によって、俺は何とかハルヒと同じ国立大に入学することが出来た。これは文句なしにハルヒのおかげで、俺は素直に感謝している。
 古泉と長門も同じ大学に入学してきたが、こいつらはもっと上のランクも狙えたんだろうな。
 朝比奈さんはというと、俺たちが高校卒業するとともに未来に帰ってしまった。ハルヒには、家の都合で大学を中退して海外に行くと言うことになっている。もう、二度と会えないのではないかと心配したが、年に1度くらいは顔を見せてくれるらしい。
「わたしもそれくらいは許可されるようになったんですよ」
 と言ったときは笑顔だった朝比奈さんは、その後ハルヒと共に号泣していた。俺も思わずもらい泣きしそうになったことはここだけの秘密だ。

 さて、俺と言えば、意外なことに大学入学と共に家を追い出された。
「18になったら自分で生活しろ」
 と言うのが我が家の方針なんて、大学合格してから初めて聞いたぜ。だいたい、家から充分通える距離にあるってのにな。しかも、学費と家賃以外は自分で稼げといいやがる。おい、学生の本分は勉強じゃないのか? なんて高校時代の成績を振り返ると偉そうには言えないな。
 ……本当によくこの成績で国立大に合格したもんだ。
 まさか、ハルヒが何かした……わけはないよな、俺の実力だ、そうに違いない。ハルヒの能力は安定して、ほとんどその力を発揮しなくなったそうだが、消えたわけではないらしい。だから、ハルヒの監視員をやっている連中は朝比奈さん以外はそのままだった。
 未来人も、おそらくハルヒの近くにいるんだろう。

 そんな事情で妹は寂しがったが、親は清々したような顔で俺を追い出し、俺は降ってわいたような独り暮らしを満喫することになる……

 予定だった。

 そう、予定だったんだ。予定をくつがえす奴なんざ、もうお分かりだろう。
 涼宮ハルヒに他ならない。


 こともあろうに、ハルヒは独り暮らしを始めたばかりの俺のアパートに転がり込んで来やがった。こいつが非常識な女だなんてことはこれ以上ないくらい知っていたつもりだったが、男の家に住み着くか? 普通。いや、普通じゃないから平気なのか。
「おい、さすがにこれは許容出来ない。一応お前は女なんだし、ここはワンルームだ。だいたい、お前の両親が許すわけないだろ」
 いくら相手がハルヒだからって、俺が間違いを犯さないとも限らない。返り討ちに遭いそうではあるが、そういう問題じゃない。
 朝比奈さんだったら100%……って、いや、そんなことはしないぞ。俺は紳士だ。じぇんとるまんだ。何故ひらがなになるのかはわらからんが、多分。おそらく。
「親の許可は取ってるわよ。あたしだって親元から離れて暮らしてみたいじゃない。キョンばっかりずるいわよ!」
 よく許可出したな、親。って問題はそこじゃなくてだな。
「だったら自分で住む家を探せ! 何だってこんな狭いワンルームに転がり込む必要がある?」
「だって……」
「だって、何だよ」
 珍しく言い淀んだハルヒにたたみかけると、ハルヒは思いもよらない言葉で返してきた。
「あたしが寂しいじゃない!」
 なんですと? 寂しい? ハルヒが? 何でまた?
 俺が呆然としていると、ハルヒはたがが外れたように一気にまくし立てた。
「春休みだって、キョンは引越準備とかバイトとかで全然会えなかったし! これからも生活費を稼ぐからバイトは続けなきゃならないって言うし! 高校時代は毎日会ってたのにキョンに会えなくなるじゃない! そんなのは嫌! あたしはキョンと一緒に居たいの!」
 最後の方は涙目になっていた。
 だが、俺は言葉が出てこない。
 突然激昂したようなハルヒの態度にも戸惑ったが、何よりハルヒが言ったことがにわかには信じられなかった。ハルヒは俺と居たいから一緒に暮らす? つまり、それってことは……
「バカキョン! ニブキョン! 何でわかんないのよっ……」
 ここで抱きしめてかっこいいセリフの1つでも言えれば様になったのかもしれない。だが、あいにく俺はそんな度量を備えちゃいなかった。
「ハルヒ……」
 ただ呟いて、呆然としていることしか出来ない。今思えばとことんヘタレ野郎だ、俺は。
 少なくとも、ハルヒに続きを言わせちゃいけなかったんだ。
 だが、俺は恋愛経験なんて皆無だったし、とにかく頭が働かなかった。

「キョンが好き……好きなのっ! だから、一緒に居させてよっ!」

 目にいっぱい涙をためて俺を睨み付けながらのハルヒの告白。俺は一生忘れない自信がある。
 そして、おそらくこのときのことは一生後悔するんだろうな。何で俺から言わないんだよ、ってな。

 このとき、俺は断る術を失っていた。
 だってそうだろ? 目の前で女の子が、しかも滅多に泣き顔なんて見せない女の子が必死に頼んできてるんだぜ? しかも、告白までしてくれて。
 そう、俺はこのときまで自分自身の気持ちにすら気がついていなかった。
 ハルヒの告白を聞いて初めて、ハルヒがどれほど愛おしい存在であるかを認識したわけだ。
 まさに“ニブキョン”だ。
 俺だって前からハルヒのことは気になっていたくせに、ずっとそれに気がつかないでいた。SOS団が楽しかったから、というのも大きな理由ではある。それ以上に……やっぱり鈍かったんだろう……。

 こうして、結局ハルヒは俺のアパートに住み着いてしまったわけだ。

 大学とバイトに加えて、SOS団の活動の掛け持ちは結構大変だったが、ハルヒがいれば何とかなった。食事はハルヒが少ない予算で旨いものを作ってくれるし、バイトで家のことが出来ない俺の代わりに掃除や洗濯も買って出てくれた。というか、家事をほとんどハルヒに押しつけていた訳だが、まあ休みの日は俺も頑張ったつもりだ。
 その代わり、SOS団の活動をおろそかにすることは許されなかった。
「ただでさえ活動する日が限られてるんだから、集まれる日は目一杯やるの!」
 というのが団長様の意見だったし、それに逆らう奴なんか俺を含めたっていやしない。
 もちろん、そんな手助け以上にハルヒの存在は俺の中で大きなものとなっていた。一緒に暮らし始めてすぐ、ハルヒのいない生活なんて考えられなくなったくらいだ。たまにハルヒが用事や何かで実家に帰るときは、妙に寂しさを覚えたもんだ。

 そして、自分の気持ちをはっきり自覚した俺にとって、“同居”が“同棲”に変わるのにも時間が掛からなかった。18歳の男女が狭い家で一緒に暮らしていれば当然の結果とも言える。
 第一、別の布団を用意したにもかかわらず、あいつは同居後すぐに俺の布団に潜り込んで来るんだからな。俺の理性が崩壊するのに長くはかからないってもんだ。

 いや、この話はもういいな。
まあ、俺たちの同棲生活の話は人に語るには恥ずかしすぎるので、おそらく永遠に封印されることだと思う。気が向いたら、どこかで少しだけ語る機会もあるだろう。作者にリクエストでもしてみてくれ。
 ただし、年齢制限が掛かるようなことは書かないので悪しからずご了承願いたい。


 だが、俺たちのこんな関係は、いつまでも続かなかった。


──────────

 そう、始まりが大学入学なら、終わりは大学卒業だった、と言ってもいいだろう。
 いや、実際は大学卒業してから少し時間が経っていたのだが、決定的なことは卒業直後にあったからな。

 最近の就職は売り手市場と言われているが、俺はハルヒの厳しーい条件をクリアした就職先を探さねばならず、それなりに苦労して何とか就職先を見つけた。内定者リストに古泉の名前があるのを見かけたときは殺意を覚えたね。
「お前この会社受けてたか? まさか機関と関係ある会社なんじゃないだろうな」
 大学のカフェテリアでコーヒーを奢らせながら、俺は聞いてみた。俺の嫌な予感は的中してしまった。
「さすが、よく解りましたね。この会社は機関のスポンサーの1つですよ。メインではありませんが」
 なんてこったい。俺は古泉がバイトを紹介してやると散々言い寄って(?)来たのを断り続けていたのに、最後の最後でひっかかってしまった訳だ。だが、この話を知ったときには、内定を辞退したって新たな就職先を探すのは困難な時期にきていた。
「まさか、俺の内定に関して裏から手を回した訳じゃないだろうな」
「それはありませんのでご安心下さい」
 本当かどうか疑わしいが、今は信じるしかあるまい。それより、何で古泉がこの会社に入ったのかを聞きたいんだが。
「それはもちろんあなたがいるからに決まっているじゃないですか」
 顔が近い息が掛かるんだよ気色悪い。ていうか、言っている内容もかなり気色悪い。何だその理由は。
「今の機関にとってはあなたも涼宮さん同様、重要人物なんですよ。涼宮さんの方には長門さんもいますし、機関からも別の人間が派遣されます。ですからあなたの方には僕が行く、ということになりました」
 機関と会社の二足草鞋かよ。ご苦労なこった。
「僕としては二足草鞋のつもりはないんですよ。《神人》退治もすっかりご無沙汰していますからね。このまま普通の会社員として人生を送れるのではないかと期待しているのですが」
 既に機関の命令で入社が決まっている以上“普通の会社員”から外れているんじゃないかと思ったが、今更あえて突っ込むまい。
 それより長門だ。
 今の話だと長門はハルヒと同じ会社に就職したのか?
「ご存じなかったんですか」
 ご存じなかったとも。だいたい、あいつが就職活動してるところなんて見たこともないし、筆記はともかく面接受けても全滅しそうじゃないか。
「彼女は情報操作をしただけのようですよ」
 やれやれ、俺の周りにはまともに就職活動をしている奴なんていないのかよ。何とも羨ましい話だ。
 暑い日も慣れないスーツを着て電車賃を遣いまくって頑張った俺が悲しくなってくるね。しかもその結果が機関と関係のある会社だとは……。神様は俺に何か恨みでもあるのか?
「それより、涼宮さんがあなたと同じ会社に就職しようとしなかったのは意外でしたね」
「ああ、そりゃハルヒの意見だ」
 俺も正直同じ会社の方が良かったんだが、ハルヒの奴は「あたしはどうせ辞めるんだから」と言って、条件の厳しくない会社にとっとと内定を決めてしまった。つーか、何で辞めることが前提なんだ?
「……あなたは変わったかと思っていたんですが、肝心な所は相変わらずですね」
おい、どういう意味だ古泉。
 お前こそ相変わらず俺の分からないところは歯に衣を着せるじゃねえか。
「ええ、こういうことは他人がどうこう言うべきことじゃないんですよ。その理由はご自分で考えてください。でないと僕も久しぶりの《神人》退治に行かなくてはならないかもしれません」
 おいおい、その脅しもご無沙汰だったよな。
「どうか、お願いしますよ」
 そういって、古泉は席を立った。
 ……やれやれ、ハルヒが会社を辞める理由ね。
 飽きるからか?

 結局俺はこの問題について深く考えることを放棄した。思えば、それが悪かったんだろう。

──────────

 やがて俺たちは卒業式を迎えた。特筆すべきことは何もない……いや、ハルヒの袴姿は反則的なまでに似合っていた、ということくらいか。
 もちろん長門も似合っていた。惜しむらくは、朝比奈さんの袴姿を拝めなかったということか。鶴屋さんも同じ大学なら見れたのかもしれないが、残念ながら遠くの大学だったので、見ることが出来なかった。彼女は既に1年前に卒業して、今は鶴屋家の跡取りとして修行中の身だそうだ。
 古泉のスーツ姿? どうでもいい。ついでに俺のスーツ姿もどうでもいい。
 一応就職して収入も得られるはずなわけだし、ワンルームに2人で暮らしていると実家に荷物も置きっぱなしになるってことで、俺たちは引っ越しすることにした。既に2人で暮らすことが前提なのは既定事項だ。今更笑うな。

 新しく家を借りる、なんてイベントはそれなりに大変で楽しくもあったのだが、ここでは割愛する。
 もちろん主導権は完全にハルヒに握られ、駅のそば、日当たり良好、築年数が浅い物件の広い角部屋、周辺環境もいいなんて言う信じられない物件が格安で借りられた。この引っ越し先を探すのが大変な時期に、だ。これ、大家さんは泣いているんじゃないか? でなきゃ幽霊でも出るんだろう。出るんなら出ればいい。ハルヒが喜ぶかもな。

 そして引越も何とか終わり、後は新社会人として一歩を踏み出すだけだなんてときに、俺は上述の問題を思い出してしまった。忘れときゃいいのに要らんときに思い出したもんだよ、我ながら。
 そして、中途半端に呼び出された記憶は、問題は思い出しながらも古泉の忠告はすっぱり忘れていたときたもんだ。
「なあハルヒ」
「何?」
 そんなにたいした問題じゃないと思った俺は普通に聞いてしまった。まだ(俺もだが)引越の後かたづけが終わっていないハルヒは髪を後の高い位置でまとめている。つまり、ポニーテールだ。
 めちゃくちゃ似合ってるな、それ……じゃなくて。
「お前、就職してもすぐに仕事辞めるようなこと言ってたけどな、あれ何でだ?」
「え? 何でって……」
 ハルヒは一瞬目を泳がせたが、すぐに俺を睨み付けてきた。
「何でって、あんたまさか分からないの!?」
 まずい、これは久しぶりに本気の顔だ。久しく本気で怒らすような喧嘩をしていなかったんだがな。
 今、俺悪いこと言ったか?
「いや、すまん」
 先に謝ってしまおう。
「すまんが、わからん。お前ならどんな仕事でもひとかどの人材になりそうじゃないか。途中で辞めるなんてもったいないと思わないのか?」
 褒め言葉も入れたし、そんな怒らせるつもりはまったくなかったんだが、俺の発言はますますハルヒをヒートアップさせるだけだった。
 ハルヒはみるみる顔を強張らせると、手に持っていた本を俺に投げつけて来やがった!
「いてっ! おい、本は危ねえって!」
 咄嗟に頭をガードした腕に本はぶつかった。それでも充分痛えぞ。
「あーもう! バカキョン! ニブキョン!」
 ハルヒは頭をかきむしるようにして喚いた。おい、それじゃせっかくの髪型が崩れるじゃねーか。とは口に出せない。
「あんたに期待したあたしがバカだったわよ!」
 そういって俺を射るような目で睨み付けた。
 俺は背中に冷たいものが走る。俺は何かしらハルヒの期待を裏切ったらしい。まさか、これで終わりってことにはならないよな?
「おい、ハルヒ」
 何とか情けない声を絞り出したが、後が続かない。
 謝るしか出来ないが、そもそも何がどう悪くて謝るのかも分からない以上、許してくれるわけもない。
「あんたは先のこととか考えたことあるの!?」
 相変わらずの眼光で俺を見据えたまま、ハルヒは聞いた。
 先のこと? 先ってなんだ?
 正直、就職とこれからの仕事のことで精一杯で、あまり先のことなど考えている余裕はなかった。これから新しい人生の門出だってときに、そこから先のビジョンまで見通せるようなら俺はそれなりに大物なのかもしれないが、あいにく凡人であると自覚している。
 俺がそう言うと、ハルヒは海よりも深いような溜息を、わざとらしくつきやがった。
「あー、もう、ほんっとに腹が立つったら! あたしは何でこんな朴念仁なんか……」
 なにやらブツブツ悪態をついているハルヒを俺はただ眺めていた。しばらくバカとか鈍いとか朴念仁とか唐変木とかブツブツ言っていたハルヒは、一通り言って気が済んだのか、また俺を睨み付けた。
「もう、ほんとはあんたから言ってもらうつもりだったのに……」
 また1つ文句を吐いて、ハルヒはお得意のポーズ、つまり片手を腰に当て、片手は俺に人差し指を突きつけるというポーズを取ると、高らかに宣告した。


「結婚するわよ!! この唐変木!!」


 全世界が、停止したかと思われた。


 つーか、停止していたのは俺だけなんだがな。
 俺が活動再開するまでに、しばしの時間を要した。
 えーと、ハルヒさん? すまんが、まったく話が見えないんだが。
「だから唐変木って言ってんのよ! いいからあんたはあたしについて来ればいいの!」
 ハルヒはまったく説明してくれるつもりはないらしい。誰かここにきて、何で今の話から結婚するって話になるのか俺に説明してくれ。
 今すぐに。


──────────

「まったく、あなたという人は……」
 俺が古泉にこのセリフを言わせたのは何度目だろうな。最初から数えちゃいないが、数えたとしてもこう聞き飽きた感があると数える気もとっくになくしてる頃合いだろう。
「それで、涼宮さんにプロポーズされたというわけですか」
「あれをプロポーズと言うのならな」
 ハルヒの結婚宣言の翌日、俺は古泉に呼び出された。長門も一緒に居るのはどういうわけだろうね。
 どうやら本当に、数年ぶりの閉鎖空間が発生したらしい。俺はそれほどハルヒをイライラさせたってことになるのだが、未だに何が悪かったのかさっぱりわからん。
「とにかく、謝る。閉鎖空間の原因は俺らしいからな。悪かった」
「それはもういいですよ。あまりに久しぶりで、かえって懐かしくもあったくらいですから」
 見慣れたスマイルフェイスで言う古泉は、確かに疲れている様子はなかった。それでも多少の罪悪感を持つ程度には俺も成長したつもりだがな。
「とにかく、涼宮さんのことです。あなたは今までのことを考え合わせても、未だに答えが出ないんですか?」
「すまん。考えてはみたんだが、考えるほどこんがらがってくる」
「唐変木」
 おい長門、お前までそれを言わないでくれ。今の俺にはダメージがでかい言葉なんだよ。
「いや、もう長門さんの言うとおりですよ。もっと早くに気づくべきことですから」
 古泉は肩をすくめた。
「以前にも言いましたが、涼宮さんはああ見えて常識にとらわれている部分があります。加えて、意外と古典的でもある」
 どうやらヒントをくれたようだが、まだ答えは見えないぞ。頼むからもったいぶらずに教えてくれよ。
「仕方ありませんね。あなたが涼宮さんが仕事を辞めるつもりがあることに言及したその後、結婚を言い出した。この2つの事柄を直線で結べば答えは分かるはずでしょう。なのにどこを遠回りされているのか……」
 まったくわかりませんね、と苦笑する古泉に俺は反論出来なかった。
 …………。

 いや、ほんとに唐変木だよ俺。ここまで解説されてやっと分かるなんて、俺はどれだけ馬鹿野郎なんだ。
 そうか、ハルヒは最初から結婚(出産かもしれないが)を考えて就職していたわけだ。しかも、就職の時点で辞めることを想定していたってことは、そう遠くないうちに、と考えていたわけで…………。
「やれやれ」
 思わず自嘲として呟くと、長門と目があった。
「おめでとう」
 って、それは気が早すぎるぞ、長門。

 とにかく、俺はハルヒの機嫌を直さなきゃならない。それは世界のためでもましてや古泉のためでもなく、考えの足りなかった俺のハルヒへの謝意を示すためである。
 そのためにはどーすりゃいいんだ?
 しばし考えた俺は、長門に1つ質問をし、古泉に金を借りることにした。古泉のニヤケ面が5割り増しになったのは気にしていられない。借金はばれるとヤバイので内緒だが、俺個人の小遣いで充分返せる額だ(今から小遣い制度なのは笑うなよ)。心配するな、来週には返せるさ。
 俺の金で買ったものじゃなきゃ意味がないからな。

 俺は古泉と長門に別れを告げ、買い物に寄ってから帰宅することにした。


────────────────────

「どこ行ってたのよ!」
 ただいま、も言わないうちにいきなり胸ぐらを掴まれた。
 まだ怒ってるのか、ハルヒ。いや、当たり前だよな。
 今は閉鎖空間は出ていないようだから、昨日のようなイライラはないかもしれないが、まだ許されてはいないらしい。
「いや、だから古泉に会ってくると言ったはずだが」
「それは聞いたわよ。でも、さっき買い物出たとき古泉くんに会ったのよ。あんたとは2時間以上前に別れたって言ってたわよ!」
 そんなに時間が経っていたのか。確かに、買い慣れないもの、というより初めて買うものだったんで、散々悩んだわけなんだが。
 しかし、こいつは本当に神がかった確率でこういう証拠を集められるんだろうな。きっと一生浮気なんか出来ないだろう。もちろんするつもり何かないけど。
「その後ちょっと買い物に寄ったんだよ」
「買い物?」
「ああ、どうしても買いたいものがあったんでな」
「何よ、じゃあさっさと帰ってきて一緒に行けば良かったじゃないの」
 お前は怒ってたんじゃなかったのか? 朝、家を出るときはまだ不機嫌そうに見えたんだがな。
「ハルヒ」
 もしハルヒの機嫌が直っているのだとしても、俺は謝らなければならない。それがけじめってもんだろ。
「何?」
 見上げるハルヒの瞳には、怒りの色は宿っていなかった。
 どうやら先ほどの怒りは、古泉と別れてからどこをほっつき歩いていたのかと言うことだけらしい。切り替えの早さもハルヒのいいところではあるのだが、何だか拍子抜けしてしまう。
「昨日は悪かったな」
 俺が謝ると、ハルヒはプイと顔を背けた。
「それはもういいわよ」
「いや、俺が良くない」
「だからもういいってば!」
 やっぱりまだ怒ってやがった。もう考えないようにしてくれていたのかもしれないが、それじゃ今日の俺の買い物が無駄になってしまう。
「ハルヒ」
 もう一度名前を呼ぶが、今度は返事をくれなかった。仕方がないので構わず続けることにする。
「俺はお前が結婚しても子供を産んでも、仕事を続けるものだと思いこんでいたんだ」
 そう、買い物している間に考えていたのだが、俺は漠然とそう考えていた。何となく家庭に留まっているハルヒを想像出来なかった。
 当たり前に、こいつは外に出て飛び回っているんだろうと思っていた。
「だから、お前が仕事を辞めるつもりだと聞いたとき、純粋に意外だった。ハルヒが結婚を考えてそう言っているなんて思いつきもしなかった」
 だから、答えに行き着くことが出来なくなっていた。俺の勝手な思いこみが、迷路を作っていたんだ。
「それにな、ハルヒ」
 ようやくハルヒは顔を上げた。
「俺にとって、お前が隣にいて、一緒に暮らしているのが当たり前になっていた。だから、結婚とか考える前に、今の状態でいいと心のどこかで思っていたみたいだ」
 実際、お前が用事でいない日は寂しかったんだぜ? おっと、ここはもちろんオフレコだ。
「それでもお前が昨日結婚すると言い出したとき、驚いたけどな、後から冷静に考えると嬉しかったんだぜ。ただな……」
 まったく、俺はどこまでヘタレなんだろうな。こんな俺と結婚してくれるなんていう女はもうハルヒ以外現れないだろう。そして、俺にとってそれはとても幸せなことに間違いない。
「告白にしろ求婚にしろ、全部お前から言わせちまったよな。本当にごめん」
「まったくだわ」
 ようやく口をきいてくれた。
 罵声は覚悟してるぜ?
 盛大にやってくれよ。
「バカキョン」
「ああ」
「鈍感」
「まったくだな」
「ヘタレ」
「返す言葉もない」
「唐変木」
「…………」
「でも……」
ハルヒはそっと俺の背中に手を回した。

「でも、好き」
「俺も好きだ、ハルヒ」

 俺もハルヒの背に手を回す。
 しばらくそうやって抱き合っていたかったが、まだしなければならないことが残っている。俺はハルヒを離すと、肩に手を置いてその目を見つめた。
「ハルヒ。俺からも言わせてくれ」
 そういって、ポケットから今日買った物を取り出した。
「俺はこれからもずっとお前と一緒にいたい。俺はバカで鈍感でヘタレで唐変木かもしれないが、ハルヒが好きだ。俺と結婚してくれ」
 そして、ケースの蓋を開けて、中に入った物──指輪を見えるように手渡した。
「まだ働いてないから安物だけどな。給料が入るようになったら、一緒にもっといいのを買いに行こう」
 ごくシンプルなものだし、俺の好みで決めてしまったわけだしな。それでも数万はしたんだが、そんな細かいことは言えるわけがない。婚約指輪の相場は俺だって知っている。

「これでいいわ」
 ハルヒは目を輝かせて言った。ようやく笑顔が戻ってきて、俺は内心ホッとする。
「キョンが選んだんでしょ?」
「ああ、正直よく解らなかったけどな」
「だったら、これがいいわ。新しいのは要らない」
「でも、安物だぜ?」
「これがいいの!」
 ハルヒがこう言い出したら絶対引くわけがない。高額出費が抑えられて助かったと言うべきなのか?
「ね、キョンがつけてよ」
「ああ」
 正直言って、どうしたらいいのかよく解らなかったが、さすがにここで断ったら男じゃねえ。俺はケースを受け取って指輪を取り出すと、ケースをポケットに落とした。そして、ハルヒの左手を取って、薬指に指輪をはめてみる。

「ちゃんとサイズも合ってるじゃない」
 そりゃ長門情報だからな、間違っているわけがないだろう。
「違っていたら直してくれるって言ってたから、おおよその目安で買ってみただけだ」

 ハルヒの笑顔を見ていると、少し良心が痛む。
 俺はSOS団の連中のことになると、こいつに嘘ばかりついているな。この件に関しては、どんどん嘘が上手くなっている自分に軽く鬱だ。
 だが、ハルヒにそんなことを言うわけにはいかない。俺は罪悪感を隠すように、ハルヒを抱きしめた。
「一生そばにいるから。一生離さねえからな」
 もう離れていってしまった朝比奈さんのために。
 もしかしたら、離れていかなければならなくなるかもしれない仲間のために。
 そのとき、また嘘をつかれなければならないハルヒのために。
 せめて、俺だけはそばにいると誓おう。

「ありがとう」

 ハルヒの呟きを合図にしたように、どちらからともなく唇を重ねた。
 長い長い間、俺たちはそうやって唇を合わせ続けていた。




 こうして大学卒業と共に、俺たちの恋人としての関係は終焉を迎えることとなってしまった。もちろん、俺はそのことに関しては後悔なんかほとんどしていない。唯一後悔しているのは、すべてハルヒに言わせてしまったってことだけだ。
 この後悔は一生ものだ。

 だから、ヘタレとかあんまり言わないでくれ……。