Happy End! 第2話 その2
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第1話第2話 その1 その2 その3 その4おまけ

 我ながら肝が据わっているというか。
 あんな目に遭ったにもかかわらず、俺はすぐそこから引っ越そうとか何とか除霊をしてもらおうとか考えなかった。心のどこかで今までだってなんとかなってきたんだ、今度も何とかなるだろう、と気楽に構えている面がある。
 それにしても、あの幽霊の話をハルヒにするべきかどうか。今まで散々深夜に作業をしているくせに、一度も幽霊に遭遇したなんて話はあいつから聞いていない。もしかしたら、幽霊の方で意図があってハルヒの前には現れないようにしているのかもしれない。
 ハルヒに幽霊の話をしたらどうなるか。怯えるハルヒ、なんてもんは想像も出来ない。嬉々として「幽霊を捕まえるわよ!」なんて言い出すに決まっている。
 しかも、安定しているとはいえ消えていないあの妙な能力で、町中幽霊で溢れかえる、なんてことにもなりかねない。
 そうなると、ハルヒの専門家に相談するしかないわけだ。幸いというかなんというか、職場も一緒だしな。
「そんなことがあったんですか」
 ハルヒの専門家、つまり古泉は相変わらず微笑みをたたえたままであった。ちっとは驚けよ。
「いえ、充分驚いていますよ。まさか幽霊と遭遇されるとは思ってもみませんから」
 そりゃ、誰だって本気で思ってはいないだろうよ。そう言えばあのマンションを借りるとき、異常に安いと思ったもんだが、こういう裏があったのか。
「確かに、そう言う噂のある賃貸物件は格安で借りられることが多いようですね。果たして、幽霊が出るから安かったのか、それとも涼宮さんがうまく見つけてきた物件にたまたま幽霊がいたのかはわかりませんが」
 どっちでもいい。問題は、あの幽霊はなんなのか。放っといて大丈夫なのか、それとも何とかした方がいいのか。
「あなたを誰かと勘違いしているようだ、とおっしゃいましたね。だとすると、あなたに影響があるかもしれません。出来ることなら、早い段階で何とかした方がいいかと思われますが。とにかく、涼宮さんにはまだ伝えない方が無難でしょうね」
 そういうもんかね。俺を誰かと勘違いしているなんて迷惑極まりない。せめてあの幽霊が何を求めているのかが分かれば何とか出来そうなのにな。
 ハルヒが出張ってくると話がややこしくなるだろうから、まだ伝えないってことには賛成だ。
 それより、こういう追難の儀式には誰よりも心強い奴がSOS団にはいる。
「今度の週末、長門さんと僕がお邪魔してもいいか、涼宮さんに聞いておいてください」
 予定はないはずだから、全力でOKが出ること請け合いだ。お前らなら、あいつが断る理由は見付からない。

 結果から言おう。この追難の儀式は、失敗に終わった。別に長門が悪いわけではない。
 ハルヒが飯を作っている間、制作途中のドレスをみたいと長門が言ったことにして、例の部屋へと向かう。部屋に入ったとたん、長門は言った。
「次元断層が存在する」
「どういうことだ?」
「いつかのカマドウマを覚えていらっしゃいますか」
 あれか。忘れたくても忘れられねえよ。
 確かコンピ研部長氏を始め数人が巻き込まれた事件だった。あのハルヒが書いた妙なシンボルマークのせいで偉い目にあった……ってちょっと待て。
「この部屋かマンションが異空間化しているってことか?」
「そう」
 あっさり言うなよ! いきなりどっかの世界に飛ばされるとかゴメンだぞ俺は!
「それはないですよ。部室と同じ状態だと思って頂ければいいですから」
 部室? 当然文芸部室のことだよな。確か既に異空間が飽和状態のようになってるとかなっていないとか……。
 なんか頭が痛くなってきた。
「で、結局どうすりゃいいんだ? 幽霊はどこにいるんだ?」
「局地的非浸食性融……」
「いや、やっぱりいい」
 長門がこうやって俺の分からない単語を並べ始めて説明をしたところで、俺が理解できた試しはない。それより結果を知りたい。
「で、除霊……って言っていいのかわからんが、とにかくあれは何とかできるのか?」
「可能。しかし、時間が必要」
「どういうことですか」
 古泉が口をはさんだ。
「この部屋と重複している異時空間のどこかに融合型情報生命素子が存在している可能性がある。しかし、すべての異時空間を解析するにはこの時空間の時間に換算して3日と14時間が必要」
「融合型、ということは情報生命素子が何かと融合していると考えていいんですね。この場合、人間の精神情報とでも言えばいいのでしょうか」
「そう」
「なるほど、それが幽霊ということですか」
 俺にはさっぱり解らない説明だが、悔しいことに古泉にはあっさり理解できるらしい。そういや、幽霊のことは禁則事項じゃなかったのか?
「これは、ひとつの形に過ぎない。人類が幽霊と呼称する存在には複数のタイプがある」
 そうかい。詳しくは聞かないことにするよ。後が怖そうだ。
「いつかのカマドウマのように、侵入コードの解析だけならもっと早くできると言うことはありませんか?」
「可能。すべての侵入コードの解析は15分で終了する。ただし……」
 長門は俺を見て続けた。
「127すべての異時空間に侵入して消滅させるためにはわたしがここから情報生命素子の存在する異時空間を特定するよりも多くの時間が必要」
 ひゃくにじゅうなな? 何だ、この部屋はそんなに異空間化してるのか? 何だってまたそんなことになってるんだ。もともとそんな怪しい場所だったのか? それともハルヒの影響か?
「解析が終了していない今は不明。ただし、涼宮ハルヒの存在自体が影響している可能性は高い」
 やれやれ、やっぱりそうか。ハルヒの力は安定しているとはいえ、何に影響を及ぼすかは分からないらしいな。まだこれからも苦労しそうだな……って、あれ?
「なあ、異空間に幽霊がいるなら、何でこっちに出てくるんだ?」
 あのカマドウマは出てこなかったからこそ、コンピ研部長氏は行方不明になったんだよな。いや、簡単に出てこられても困るんだが。巨大カマドウマが出てきて暴れたりしたら大騒ぎじゃすまないだろう。
「時空間移動が可能な情報生命体は存在する」
 まあ、長門も可能なわけだしな。考えようによっちゃ古泉も可能だ。ただし、ハルヒが作る時空間に限られているようだが。
「しかし、今無理だとなると、どーすりゃいいんだ」
「様子を見るしかありません。何かあったらすぐに連絡を。幽霊が出るのに何か条件があるのかもしれません」

 結局、この日はハルヒがはしゃいで大量の飯を作り、みんなでご飯を食べる、というだけで終わってしまった。
 あの幽霊、何が目的なんだ?

「今日は楽しかったー! みんなで集まるのも久しぶりよね! あたしは有希と毎日会ってるけどさ。みくるちゃんも会いたいわねー!」
 1人ご満悦で感想を述べるハルヒを見て、俺は少し安心した。何があってもこいつなら大丈夫なんじゃないか。幽霊だって、こいつの前には現れていないじゃないか。いや、俺だって1回しか見ていないが。
「……で、あんたはまたなんで抱きついてくるのよ」
「気にすんな」
「後かたづけ出来ないじゃない」
「最近ドレスばっかりで構われてないからな。たまには俺を構え」
 正直、こいつが飯を作ってくれたのも久しぶりだし、ゆっくり話すのも久しぶりだ。古泉と長門に感謝だな。さすがに幽霊に感謝する気にはなれないが。
 ハルヒは命令する気? なんて言っているが、顔は笑っている。
「仕方ないわね、今日はお休みにするから片づけ手伝いなさい!」
 何だか子供をあやしているような口調でもあるが、まあいい。正直これ以上ドレスを優先されると俺がどうにかなっちまいそうだからな。
「手伝うのはいいんだが。でもその前に……」
「何よ……んっ」
 キスする時間くらいくれてもいいだろ?
「……いつまでしてんのよ、エロキョ……んんっ……」
 何を今更。

──────────

 その後、長門に除霊してもらう機会に恵まれないままではあったのだが、幽霊が出ることもなくハルヒのドレスは順調に仕上がった。
 結婚式の準備などもあらかた整い、ようやく親に報告出来る段階になった。取り立てていうこともないが、俺の親は呆れ、妹とハルヒの親は笑い転げていた、とだけ言っておこう。何がそんなにおかしいのか。
 最近、妹の性格がハルヒに似てきたようで気になるな。

 俺自身、結婚準備に忙殺され、幽霊騒ぎのことなんか忘れかけていた。結婚式や披露宴をこれからする奴、すげえ忙しいから覚悟しとけよ。

 さて、ハルヒ制作のドレスだが、形だけは随分前に仕上がっていたのだが、何やらビーズ刺繍やら飾りやらを作るのに結構時間が掛かっていたらしい。自作なんだから、飾りをどの程度作るかは自分で決められるのだが、ハルヒはああでもないこうでもないといいながら色々試していたので結構時間がかかった。ようやく満足行く仕上がりになったのは、挙式3週間前のことであった。
 得意満面な顔をして試着しているハルヒは、そりゃもう綺麗としか言いようがなかった。ビスチェスタイル、と前に言っていた、肩ひもなどのないタイプのドレスで、割にシンプルなラインだ(ハルヒ曰くAラインと言うらしい)。
 胸のところに大きな花(コサージュよ!と怒られた)がワンポイントとしてついていて、ドレスのスカート部分にも花があしらってある。胸元は多数のパールビーズが縫いつけてあって、あれを1つ1つ縫うのにどんだけ時間が掛かったのだろう、と考えずにはいられなかった。
 そのドレスの出来は本当に自作か? と問われそうなくらいの出来であったし、着ているのは誰もが認める美人のハルヒである。
「どう?」
 と不敵に笑うハルヒに、俺は結局おなじみのセリフしか言えなかった。ボキャブラリーに乏しい自分が情けない。
「ああ、すごく似合ってるぞ」
「あったりまえじゃない!」

 異変が起こったのはそのときだった。
 まったく何の前ふりも予兆もありゃしない。
 それまでどう見ても健康にしか見えないハルヒが、
「おいっ! ハルヒ!」
 突然倒れた。

 俺は何が起こったのか理解できなかった。
 今まで嬉しそうに俺にドレスを見ていたハルヒが。
 なぜ? 何があった?
「しっかりしてくれ! ハルヒ!」
 ドレスを着たまま横たわっているハルヒを抱き起こすが、目を覚ます気配はない。思わず呼吸と脈を確認するが、医者ではないが異常ではないように思えた。
 それより、いきなり倒れるってことはどこか具合が悪いのか? ここんとこドレスの仕上げで根詰めていたから今になって出てきたのか?
「そうだ、病院連れて行かなくちゃな」
 救急車を呼んだ方がいいかもしれない、そう思ったとき。
 ハルヒが目を開けた。

「ハル……ヒ……?」
 確かに目を開けたのだが、それは俺の知っているハルヒの瞳ではない。ハルヒの瞳はいつだって宇宙を内包したようにきらめいているのに、今は生気の欠片も見えやしない。この目を最近見たような気がして、俺は背筋に悪寒が走る。
「ハルヒ……だよな?」
 何か思い出したくないものを感じて思わず確認するが、俺の希望は無惨に打ち砕かれた。

『あなた……』
 誰だ。
 明らかにハルヒの声じゃない。
 ハルヒの身体で、ハルヒの声帯を使ってハルヒの口から発しているはずなのになぜこうも違う声になるのか何てことは俺には解るわけもない。ただ、これだけは分かる。

 ハルヒは何かに取り憑かれた。

 何かって? そりゃ決まってるだろ。この声には聞き覚えがある。あの時の幽霊だ。
 畜生。何だって言うんだ。何だってこんなところに幽霊がいて、こんな時にハルヒに取り憑いたりしやがるんだ。冗談じゃねえぞ。何の権利があって俺からハルヒを奪おうとしやがる?
『……約束よ……』
 ハルヒの顔をして、ハルヒの瞳ではない目で俺を見つめ、ハルヒの声ではない声で語りかけられるのがこんなに不快だとは思わなかった。
「……ハルヒから出て行け」
 あまりの不快さに、恐怖より怒りの方が勝っているようだ。しかし、相手は俺の言うことなんか聞いちゃいねえ。
『……覚えているわね……約束……』
「お前とは始めから約束なんかしちゃいねえ。俺が約束している相手はハルヒだけだ」
『そんな……忘れたの……?』
 そう言ってハルヒは、いや、ハルヒに取り憑いた幽霊は悲しそうな顔をした。止めてくれ。ハルヒの顔でそんな顔をしないでくれ。
『……このドレスが完成したら……一緒に……』
「ハルヒを返せ」
 相手が俺の話を聞く気がないのに、俺が相手に話を合わせてやる義理もねえ。
『わたしと……一緒に……』
 幽霊入りのハルヒはゆっくり身体を起こした。生気のない濁った瞳。それは生きている人間の目ではない。思わずたじろいだ俺は、それでもハルヒを離すことができなかった。
 それが悪かったのか。

『一緒に……死んで。』

 それまでの緩慢な動作から一転、いきなり俺の首を両手で掴み、俺を床に押し倒した。
「──ぐっ」
 完全に油断していた。まさかこういう展開になるなんてこれっぽっちも考えちゃいなかった。
 幽霊は両手に全体重をかけて俺の首を絞めている。咄嗟にハルヒの両手首をつかみ、引き剥がそうとするが、離れない。馬鹿力め。
 ヤバイ。これはヤバイなんてもんじゃない。
 苦しい……!
 目がかすんできた。耳鳴りが酷い。
 何でこんなところで。冗談じゃねえ。
 脳裏に嫌な言葉が浮かんだ。

 死ぬ。

 いやだ、ハルヒ、俺は死にたくなんかねえ。俺はお前と……

 苦しいとか痛いとか嫌だとか死にたくないとかいろんな感情が俺の中を渦巻いて、やがてそれらは消失し、

 ────俺は意識を失った。