桜とハルヒと俺と ~桜とハルヒと反実仮想~
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桜とハルヒと反実仮想雨と桜と現実問題ハルヒと俺の現実問題

 中学時代ののどかな日常から一転、NASAに就職した覚えもないのに訓練もなしにいきなり宇宙船に放り込まれたような目まぐるしい非日常と化した俺の高校生活も、早1年が過ぎていた。
 俺は何とか無事に2年に進級し、進級したからと言っていきなりいつもの習慣が変わるわけもなく、相も変わらず北高に至るハイキングコースを文句たれつつ登っているわけだ。いや、1年前に比べりゃこの坂も慣れたかな。

 坂の上に目的地が見えてきた。
 学校というのものはなぜか桜の木が好きで、俺の通う北高もご多分に漏れず、春霞と見間違えろとばかりに桜が咲き誇っている。寒かった冬の影響か、少し遅めに開花した桜は今が満開だ。

 春だな。

 別に桜に強い思い入れがあるわけではないが、俺も日本人の端くれとして、それなりに好きな花ではある。
 しかし何で日本人はこんなに桜が好きなのかね。
 別に現代人だけが特別なわけではなく、古代から日本人は桜が好きだったようだ。

 ふと、ある短歌が思い浮かぶ。

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

 別に俺は和歌に精通しているわけでもないし、季節ごとに短歌を鑑賞するなどという高尚な趣味を持ったわけでもない。
 これは去年やった古文で出てきた短歌だが、ハルヒが
「これの歌意さえ覚えておけば反実仮想の構文は覚えるでしょ。これは絶対試験に出るからね!」
 などと言って無理矢理俺に覚えさせた物だ。歌意まで覚えるとなかなか忘れない物で、百人一首もろくに覚えていない俺がおそらく唯一覚えている短歌だと言っていいだろう。

 世の中にまったく桜がなかったらね、と俺も考えてみる。
 まー春の景色は寂しいかな。でもなければないで、別の楽しみを見つけりゃいいだろ。そもそも最初からないんだったら何とも思わないんじゃないのか? 花は桜以外にもたくさんあるわけだ。

 なんて柄にもなく文学的なこと?を考えつつ、俺は教室に入った。


 今年度の授業は始まったばかりだというのにすっかりやる気を見せている教師とは裏腹に、俺は去年と変わらず背中にシャーペン攻撃を受けながら惰眠をむさぼることによって本日の学生としての義務は終了した。
 いい加減に俺の背中は傷だらけなんじゃないかと思いつつ、ここからは義務じゃないはずなんだがかといってこんな謎の団体に所属しているのを権利だと声高に主張するにはいささか躊躇するような団体が乗っ取っている文芸部室に向かい、ドアをノックする。
 朝比奈さんは結局1年間、着替える間に鍵をかけておくなんて基本的なことを覚えてくださらなかったな。家に帰ってちゃんと施錠しているのか不安になる。こんな世の中、朝比奈さんみたいな人が鍵もかけずに1人で家にいるなんて危険極まりないぞ。

「はぁ~い」
 俺の心配なんか伝わっているわけもなく、この季節の陽光そのもののような明るい声で返事が返ってきた。というわけで、俺は安心してドアを開ける。
 今日も律儀にメイド服に着替えた朝比奈さんが、春の日だまりに咲くスミレの花のような笑顔で迎えてくれた。このお姿を拝見できただけで、この奇妙な集まりに参加している意義があるという物だ。

 ハルヒ以外は全員揃っていて、掃除当番のハルヒが遅いのは当たり前なので気にもせずに、俺はいつも通りの席に着くとすかさず朝比奈さんが俺の前にお茶を置いてくれる。うん、今日もお茶が旨い。
 長門は相変わらず窓際で、春の光に溢れた窓を背景に絵画のように静かに読書を続けていた。

「今日はどのゲームにしましょう」
 恒例となった勝負の見えているゲームに俺を誘う古泉の笑顔も相変わらずだ。こいつはSOS団副団長なんて肩書きより、ボードゲーム同好会会長にでもしたほうがずっと現実に合っているんじゃないか?
「そうだな……」
 と生返事をしつつ、俺はなんとなく窓の外に目を向けたままだった。
「どうかなさいましたか?」
 俺の態度に不審を抱いた古泉がバカ丁寧に訊いてくる。
「いや、なんでもないんだが、ただ桜が満開だな、と思っただけだ」
「ああ、そうですね。今日あたりが一番綺麗かもしれません。涼宮さんが学内で花見などとおっしゃるかもしれませんね」
 あいつなら言い出しかねないな。しかしハルヒが主催となるとノンビリ花見とはほど遠い物になりそうで不安でもある。朝比奈さんのお茶とどこかで仕入れた茶菓子を食して、後は桜の下で昼寝でもできれば充分なんだが。
 唐突にハルヒの顔が頭に浮かんだかと思うと満開の桜に負けない笑顔で「みくるちゃんに着物を着せて観桜会でもやれば1人500円は出すでしょ!」などとわめき始めたので、俺は溜息をついてその幻影を追い払った。せっかくのハルヒのいないのどかな時間を過ごしているのに何でわざわざ騒がしい想像をしなきゃならんのだ。
「まったく、あいつがいないと静かでいいんだがな」
 そう言いながら、ふと朝に思い出した短歌がまた浮かぶ。桜、そして静かでいいという気持ち。なるほどな。
「世の中にたえてハルヒのなかりせば、ってな気分だぜ」
「なるほど、在原業平ですね」
 そう言うと何故かクスクス笑い出した。なんで笑うんだ。何がおかしい。
「いえ、あなたがその歌と涼宮さんを対比させるのは、なんと言いましょうか。まさに『妙』ですね」
 妙って、そんなに変か? 実際、ハルヒがいなければ俺は穏やかに過ごせているんだが。
「そうですね……その歌意はご存じでしょう」
 そりゃ知っているさ。むしろそっちのために覚えさせられたんだからな。
「そう、いつ咲くか、いつ散ってしまうか、雨が降ったら風が吹いたら散るのが早まってしまうのではないか、桜がなければそういう心配をしなくて済むのに、という心情を詠んだ歌です」
「何が言いたい」
 その解釈を否定する気はないが、どうもこういう話の流れになると俺にとって面白くない方向に進む気がして警戒するぞ。
「業平は本当に桜がなければいいと思ってこの歌を詠んだのでしょうか。違いますね」
 嫌な予感がする。古泉は面白がっているとしか思えないようなニヤケ面を俺に向けると、
「世の中に桜が存在しなければ、春の心はのどかだろうと空想することによって、逆に桜に対する愛着の深さを強調しているわけです。それほど彼は桜を愛していたのでしょう」
 そんなことを言ってのけやがった。ええいニヤニヤするな気持ち悪い。
 いまいましいことに俺の雑言など聞こえないといった風情で古泉は続ける。
「だから『妙』だと言ったんですよ。あなたからこのようなことが聞けるとは思ってもみませんから、その意味では奇妙の『妙』、そしてこの歌意を例えたとしたらそれは絶妙の『妙』ですね」
 うるさい、黙れ。そんな意味があっての発言じゃねえ、と反論しようとした俺は、結局これらの言葉を口にすることができなかった。

「おっまたせー!! みんな揃ってるわねー!!」
 諸悪の根源登場。相変わらずパワー全開でドアも全開にしやがる。壊れたらどうする気だ。俺は修理しねえぞ、と言っても無駄だろうがな。
「今日は部屋に閉じこもってるなんてもったいないわ! 外行くわよ、外! 桜が満開なんだからお花見よ!」
 さっきの古泉予想は見事的中。まあ、単なる花見ならば異論はない。
「みくるちゃん、ポットある? お茶用意して! キョン、ボサッとしてないで、ゴザかなんかなかった? 敷物を用意しなさい! なければ調達してきてなさい!」
「ふぇ、はぁい、ポットですかぁ?」
 ポットならそっちの棚にありますよ、朝比奈さん。
 それより敷物ね。そんなもんこの部室になかった気がするな。どこに行けば借りられるのだろう。生徒会室にでも行けばブルーシートくらいはあるか。喜緑さんに言えば融通してくれるだろう。

 ハルヒの命令を遂行するために部室を出て、ふぅっと一息つく。ハルヒが登場したとたんに騒がしくなりやがったぜ、まったく。あいつさえいなければ本当に静かに過ごせるのにな。
 それでもな。
 もし本当にハルヒがいなかったらね、と俺は考えてみる。
 正直言って寂しいなんてもんじゃないかもな。こんなとんでもない部活に巻き込まれて、今更代わりの物を探せと言っても無理というもんだ。SOS団は結局唯一であって、団長のハルヒも無二の存在なのさ。
 まあ、だから、あればあったで落ち着かないが、無いなんて考えられないってとこには同意しておこうかね。

 さて、ぐずぐずしていたら、その唯一無二の団長様がしびれを切らすに違いない。
 さっさと準備を済ませたら、桜を愛した誰かさんに倣って、俺たちも桜を愛でることにしようか。



  おしまい。



俺に言わせりゃ反語的な意味をまったく含まず「世の中にたえて花粉のなかりせば春の心はのどけからまし」だと言いたい。声を大にして言いたい。目がかゆい。