桜とハルヒと俺と ~雨と桜と現実問題~
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桜とハルヒと反実仮想雨と桜と現実問題ハルヒと俺の現実問題

 ハルヒが校内花見なんて言い出し、朝比奈さんがお茶を、俺が敷物を準備したあげく結局近隣まで買い出しに行かされたのは昨日のことだった。
 俺が心配したとおり、どうやら朝比奈さん目当てでちらちら見に来る男子生徒の姿を目にするや否や、ハルヒは「みくるちゃんと桜を見ながらお茶を飲む権利争奪戦」なるイベントを唐突に思いつき、どこからか紙とペンを調達してクジを作ると(というか作ったのは俺だ)、1人100円の参加費を徴収してのくじ引き大会を開催しやがった。
 結果、お茶を飲む権利を得たのは入学したばかりの女生徒であり、なんとなくぎこちない朝比奈さんと、初々しい新入生の女の子がブルーシートの上でお茶を飲んでいるという謎の光景が繰り広げられたのあった。バレンタインのときといい、実はハルヒはこうイベントをしておきながら、朝比奈さんに男子生徒を近づけたくないのかもしれない。その点は俺も大いに同意出来るので黙っておこう。

 そして前日のうららかな天気から一転、今日は朝から雨がしとしと降っている。この季節、晴れたり雨が降ったりを繰り返すのが当たり前なのであって、殊更強調することもないのだが、毎朝毎夕強制ハイキングを行う身としてはつい愚痴の一つもこぼしたくなるってもんだ。
 勘弁してくれ。

 雨の日特有のウンザリした気分を引きずりながら教室に入ると、どうやら雨でウンザリしているのは俺だけではなかったらしい。
 俺の後の席で、面白いことなんか何もないというオーラを発しているハルヒが頬杖をついて窓の外を眺めていた。
「よう」
 鞄を置きつついつも通り声をかけると、ハルヒは不機嫌な様子を隠すつもりなんか微塵もないような声で返事を返した。
「おはよ」
 それでも挨拶をしてくれるだけ昔よりはマシになったと思うべきか。
「なんだよ機嫌悪いな」
「雨降ってるじゃない。嫌になっちゃうわよ」
 俺もこの雨でズボンの裾が濡れるし、いい気分とは言い難いけどな。春の雨は農業している人には重要なはずだし、だいたい雨が降らなきゃ水不足で大変なことになるわけだから、ある程度は仕方ないだろ。
「そんなことあんたに言われなくても分かってるわよ! でもこの雨で桜が散っちゃうじゃない。せっかく明日の不思議探索も花見にしようと思ってたのに」
 お前はそんなに桜が好きか。
 そういやこいつは秋に桜を満開にしたこともあったんだっけか。てことは、結構好きなんだろう。
 考えてみれば、あの一気に開花して見る人を浮かれさせる派手さはハルヒ好みと言えるのかもしれない。
「桜は咲けば散るもんだろ。また来年を楽しみにすればいいじゃないか」
「だからあんたに言われなくても分かってるって言ってるでしょ!」
 やれやれ、本当に不機嫌だな。分かってるけど納得出来ないのだろう。こいつが常識を受け入れつつも不満がある、というのはいつものことだ。

 そう、常識を受け入れつつ、なんて思っていた俺は大きな間違いを犯していたわけだ。

「気がついたのは長門さんです。さすがに微妙な変化なので、我々も気がつきませんでした」
 その日の昼休み、のんびり教室で弁当を突くことを放棄させられた俺は、代わりに部室で長門と朝比奈さんと古泉を眺めながら胡散臭い話を聞くハメになってしまった。これで古泉がいなきゃなかなかいい眺めだと言えるんだが。
「どういうことだ? また何か起こってるのか」
「涼宮ハルヒによる情報改変が実行された」
 またか。確かに朝から不機嫌だったが、今度は何が気に入らなかったって言うんだ。
「この地域に限定して、落葉高木のうちソメイヨシノと呼ばれる品種のみ時空間流体結合情報が凍結されている」
 すまん、後半まったく意味が分からん。ソメイヨシノがどうしたって?
「つまり、涼宮さんはこの地域のみですが、桜の時間を止めてしまったんですよ」
 長門に代わってて古泉が説明を始めた。
 桜の時間を止めた? どういうことだ? なんの意味がある?
「そうです。ですから、この地域のソメイヨシノに限って、これから先散ることもなければ枯れることもありません。ずっと満開の花をつけたまま、ということになります」
 風が吹いても散らないのか。まったく、桜が散るのが惜しいって気持ちが分からんでもないが、だからといって桜を時間的プリザーブドフラワーにするやつがどこにいる。

 そういや、誰かが枝を折ろうとしたらどうなるんだ?
「不可能」
 不可能って、枝は折れないってことか。
「そう。凍結された流体結合情報内で時空間連続行動を取ることは不可能」
 えーと、具体的には?
「枝は折れない」
 結局結論はそこなのか。分かったような分からないような。
「えっと、時間が進行しない場所で、時間を進行させるようなことは不可能なんです。例えば『枝が折れる』というのは、折れない状態から折れる状態への経時変化ですから、時間が凍結された物に対して行うことができないってこと。詳しい理論はごめんなさい、わたしも言葉では説明できないですけど……」
 いえ、もう十分です朝比奈さん。どのみち全然分かりませんから。
「上手く説明出来なくてごめんなさい」
 申し訳なさそうな笑みを浮かべて朝比奈さんは謝った。そんな謝らないでください、多分俺の頭がついて行ってないだけでしょう。
「とにかく、まだ騒ぎにはなっていませんが、すぐに人々も気がつくでしょう。そうなれば大騒ぎになりかねませんし、涼宮さんに隠し通すことも出来なくなります」
 古泉は言葉の割には晴れやかな笑みを俺に向けると、相変わらずとんでもない役目を俺に押しつけやがった。
「ですから、早急に涼宮さんに桜の花を諦めてもらわなければなりません。どうか、よろしくお願いします」
 だから何で俺なんだよ。
「前から申し上げている通り、あなたは涼宮さんの現実世界担当なんですよ。僕が閉鎖空間を担当しているようにね」
 古泉は、相変わらずむかつくほどの微笑であった。


 結局それから妙案が出るわけでもなく、桜は自らの時間を無理矢理止められたままその日が終了、翌日は前日の雨が嘘のように快晴であった。
 当然雨が降っても風が吹いても桜は散らないわけで、今日もこの辺りの桜は満開に咲き誇っている。そろそろ誰かが枝が折れないことに気づいちゃいないだろうな。
 そんな俺の心配をよそに、昨日の不機嫌はどこへやら、桜に負けないハイテンションの団長様は朝比奈さんに作らせた弁当を突きながら桜の下で元気に弁舌をふるっていた。
 場所は、いつか朝比奈さんが自分の正体を告白したあの川沿いの公園である。ついでに言えば、この県で3ヶ所ある日本の桜名所100選に選ばれたうちの1ヶ所である。もう2ヶ所? 世界遺産の城と子午線の町の城跡だ。それはどうでもいい。
「やっぱり花見といえば外でお弁当よね! お酒はダメよ、邪道よ! せっかくの桜も堪能出来なくなっちゃうじゃない!」
 古代から日本人は酒を呑みながら花見をしていたわけで、いきなりご先祖様の行為を否定しているが、ハルヒの理論が勝手なのは何も今に始まったことじゃない。

 しかし、よく見ると異様な光景が広がっている。
 確かに桜は満開なんだが、どんなに風が吹いても1枚の花弁も散ってこない。
満開の桜に散る花びらってのはつきものであって、その当たり前の物がないってだけでこんなに雰囲気が違う物なのか、とあらためて感じた。
 本気で早く何とかしたいぜ。
 こんな不気味な桜を喜んで愛でていられるほど俺は日常を捨ててはいないんだ。ある程度捨ててるかもしれないが。
 さっきからやたらと古泉がアイコンタクトを取ろうとしているが、気づかないふりをしておこう。
 確かに俺だって何とかしたい。だが、俺にどうしろっていうんだ。ハルヒも今日の花見が終わったら諦めて花を散らすんじゃないのか? 今日の花見に拘っていたみたいだからな。
「どうせならずっと桜が咲いてりゃいいのよ! そうすれば毎週花見が出来るじゃないの! ね、みくるちゃん!」
「そそそそうですかぁ~」
 朝比奈さんは明らかに青ざめながら返事している。俺も思わず額に手を当てた。
 本気でそう思ってるのかよ、ハルヒ。

「あれ、もうお茶がないわね」
 朝比奈さんがポットにお茶を用意してくださっていたのだが、割に暖かく喉が渇くので、すぐになくなってしまったらしい。
「キョン! 飲み物買ってきなさい! 30秒以内!」
 こう言うときに命令されるのがSOS団雑用係たる俺であるのは規定事項だが、それにしても相変わらず人使いの荒い団長だ。
 と思いつつ、立ち上がって買いに行ってしまう俺もどうかと思うが。
「あ、ちょっと待って、あたしも行くわ。見て選びたいし」
 めずらしく同行を申し出たと思ったら、俺の手首を掴むと走り出した。おい待て、まだ靴をちゃんと履いてねーんだよ!
「急ぎなさいよ! ほら、駆け足!」
 相変わらず浮かれテンションのハルヒは、100Wの笑顔でそう言うと、俺が靴を履いたのを確認するや否やまた駆け出していく。
 桜が嬉しいのは分かったがな。このままじゃ本気で困るんだよ。
 さて、どうするかね。

 自動販売機の前までの強制ランニングの間も、俺は考えていた。
 確かに満開の桜は綺麗だが、こんな不自然な咲き方を見ていてもちっとも楽しくない。散らない桜なんて造花と変わらない。日々の変化があるからこそ、桜は綺麗なんだろ。
 ハルヒがそこまで考えているかは分からない。ただ、今満開の桜を見るのが楽しいから、それを留めておきたいと思っているだけで、深く考えているわけではないのかもしれない。
 俺はなんて言ってハルヒを説得すればいい?
 「散らない桜なんてない」と言っても「当たり前でしょ」と返されそうだ。
 今の桜を見て綺麗だと思うか? と聞いても思うに決まっている。
 ハルヒに、桜の未来を感じさせるなんて芸当は俺には無理だ。それこそ古泉あたりに任せれば良かった。あいつの方が頭が回るだろうに、何故俺があいつに言われるままハルヒの説得を考えねばならんのだ。
「なあハルヒ」
 上手く説得するべき言葉を持たないまま、それでも俺は話しかけてみた。
「なに?」
 機嫌のいいハルヒは笑顔で答える。まったく、俺たちがこんなに悩んでいるって言うのになんだってそんないい笑顔ができるのかね。
「その……な、満開の桜も綺麗だが、散っていく桜も綺麗なもんじゃないか?」
「は? そりゃそうでしょ。あんたいきなりなに言ってんの?」
 まあいきなりではあるが、発言の唐突さで言えばお前には負けてると思うがな。
「だからだな、桜は散って、葉が出て夏の太陽のエネルギーをもらって栄養をつけて、秋には赤く染まった葉を散らして、また次の年に咲く準備をするわけだ。そういうもんだろ?」
「だからなに言ってんのよ。そんなの当たり前じゃない」
 当たり前だと思ってはいるのだろう。だが、お前はそれを受け入れてないじゃねーか。
「だからだな」
 俺は必死に頭の中から言葉を探してみた。しかし、ハルヒを納得させる言葉なんか出てきやしねえ。
 ハルヒは訝しげに俺を見つめている。
 そのハルヒの顔を見ていると、何だか妙な気分になってくるんだが、この妙なってのがどういう物かは俺にもわからん。
 ただ、だんだん焦っては来るわけで。

 焦りすぎたのかもしれない。
 雨でも風でも散らない桜、無自覚なハルヒ。
 それらが頭の中でごっちゃになった挙げ句、俺はまた銃口をこめかみに当てたくなるような発言をしちまったのだから。

「また来年も再来年も、俺はお前と桜を見たいんだよ」

 て、違う、ハルヒだけじゃなくてSOS団でって言いたかったんだよ! と今更思ってみても遅い。口から出た言葉を再び飲み込むことは不可能で、まったく災いは口から出ずとはよく言ったもんだぜ。

「あ、あんたなに言ってんのよ」

 何故か慌てたようにハルヒがそう言った。
 本当に、俺は何を言ったんだろう。その辺に銃は落ちてないか。

 俺が後悔の念からそんなことを考えたそのとき────

 一陣の風が吹いた。

「う……わあ……!」
「すげえ……!」

 いったい何が良かったのか、俺にはわからん。
 ただ確かに言えることは、たった今、桜はその時間を取り戻した。
 今吹いた風で、それまで散らすことの出来なかった花弁を一気にまき散らしたのだ。

 今まで、見たこともないような、一面の花吹雪。
 かすかに紅をさした白色の花弁が視界を覆い尽くす。

 あまりの光景に俺もハルヒもしばらく言葉を失っていた。
 ハルヒは目を輝かせてその光景に見入っている。
 舞い散る花びらとハルヒはあまりに綺麗で、俺は思わず息を呑んだ。

 て、俺は今何を考えた?
 いや、ハルヒが美人なのは別に今始めて考えたわけでもなく、最初から認めているわけで、別に気にすることでもないよな。
 それなのに何で俺はハルヒを直視できなくなってるんだよ!
「キョン!」
 ハルヒの声に心臓が飛び出そうになる。ええい、静まれ、一臓器のくせに自己主張するんじゃねえ!
「な、なんだよ」
 努めて冷静になろうと努力するが、何故かハルヒの笑顔を見るとまた心臓が自己主張を始めた。
 勘弁してくれよ、本当に。
「さっきのあんたのセリフ、約束だからね!」
「なんのことだ?」
 俺がそう言うと、腰に手を当てて俺を睨み付ける。
「だから! 来年も再来年も、これからずっと、桜を一緒に見るの! 約束よ!」
 そう言ったとたん、突然真っ赤になって
「先に戻ってるから、早く飲み物買ってきなさいよ!」
 と命令して一目散に走っていってしまった。飲み物見て選びたいんじゃなかったのか?
 いや、そんなことよりだな。これからずっとって……。
「俺が言ったのより期間が延びてるじゃねえか……」
 相変わらず勝手なやつだ。

「ご苦労様でした」
 その労いは飲み物を調達してきたことに対するものではないよな。
「当然です。先ほどの花吹雪には驚かされましたが。圧巻でしたね」
「綺麗でした~」
 古泉も朝比奈さんもホッとした様子であった。まあ、これでこの地域の桜だけ年中無休で花をつけるってことはなくなったわけだ。
「ソメイヨシノの凍結は解除された。影響は出ていない」
 ここの桜も秋に咲かされたり時間を止められたり、ろくな目に遭ってねえな。少し労ってやりたくもなる。
「しかし、どうやって涼宮さんを説得したんですか。後学のためにも是非お聞かせ願いたい物ですが」
 後学もなにも、どうせ何かあったら俺に押しつけるんだろうが。
「おや、ばれてしまいましたか」
 前からお前は一度殴ってやろうと思ってたんだよ。
「キョン! ボサッとしてないで飲み物よこしなさいよ! て、あんた何買って来てんのよ! 飲み物の趣味悪すぎ!」
 アホか、普通にお茶買ってきて何が悪い。そりゃ朝比奈さんの入れたお茶に比べれば雲泥の差だが、お前みたいに奇をてらわないだけマシだろうが。
「仕方ないわね、それしかないならそれをよこしなさい」
 あくまで命令するハルヒは、しかし何で俺から目をそらすんだろうね。
 そう言う俺もハルヒの顔を正面から何故か見ることが出来ないんだが。

 ああ、畜生、本当は何でかなんて分かってるんだ。さっきの約束だって覚えていてやるさ。
 これからずっと、春になったら一緒に桜を見ような。

 それが答えってことでいいだろ?


  おしまい。