桜とハルヒと俺と ~ハルヒと俺の現実問題~
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桜とハルヒと反実仮想雨と桜と現実問題ハルヒと俺の現実問題

 川沿いの公園は今日も桜が満開で、俺はハルヒと肩を並べて歩いている。
 7年前の秋に満開になり、6年前の春に時間凍結されるという無体を強いられた桜はそれでも毎年見事な花を見せてくれて、無体を強いた張本人の目をも楽しませてくれる。
 健気なこった。
 なぜハルヒと2人で歩いているかと言うと、それは6年前の約束を俺が律儀に守っているからで、俺からは2年としか言い出していないのにハルヒによって無期限にまで延長されてしまったのだから、多分これからも桜が咲くたびにハルヒとこの遊歩道を歩くことになるのだろう。
 6年という時間の経過でお気づきであろうが、俺とハルヒはこの春に無事大学を卒業して、社会人としての生活を始めたばかりである。SOS団は健在で、古泉は相変わらず怪しげな組織で暗躍しているようだし、長門はチェーン店でもなんでもない古本屋の奥のカウンターで、静かに本を読んでいるというバイトなんだか趣味なんだか分からないことを大学卒業後も続けている。長門に「就職は?」なんて聞くだけ野暮だろう。しかし宇宙人は収入をどこから得ているのかね。
 朝比奈さんは一度泣く泣く未来に帰って行ったのだが、最近ひょっこり戻ってきた。戻ってきた理由は相変わらず禁則事項らしい。照れくさそうに笑う朝比奈さんが言うには、時間駐在員ではなく、出勤としてこっちに来ているそうだ。てことは毎朝毎夕未来と行き来しているはずで、あの眩暈と吐き気のたたき売りとも言える時間移動を1日に2度もしてよく平気だよな、と感心してしまう。

 しかし昨日もSOS団の花見大会と称して来たっていうのに、今日もまた来るとは、お前はそんなに桜が好きなのか。
「桜が綺麗なのはほんの数日だけなんだから、咲いているうちに出来るだけ見ないと損じゃない!」
 そう言いながらもハルヒは満足げに笑っていた。この表情を見る限り、もう桜を凍結するなんてことはしそうにない。
「あちこち桜を見に行っても、やっぱりあたしはここの桜が一番好きだわ」
 高校時代はここの桜で満足していたハルヒは、俺が免許を取ったとたんにあちこち連れて行けと命令し、桜の季節だけではなく年中俺を運転手代わりにこき使っていたのだが、どこに桜を見に行こうとも必ずここの川沿いだけは外さない。その理由は俺には明白で、まあつまり俺とハルヒにとってこの桜はスタート地点であったわけだ。
「ここに来るとあの時を思い出すよな」
 思い出すのはあの時だけではなく、高校1年のときに作ったチャラけた映画も、雑誌を買ったらくっついてきた要らない付録のように思い出されてしまうのだが、その記憶は浮上して来ると同時に脳内魚雷で撃墜しておく。
 ハルヒは意味ありげな笑顔を作って俺を見た。その拍子に後ろでまとめられている、高校時代より伸びた髪の毛がふわりと揺れる。
「あの時のあんたは、ほんっとに素直じゃなかったわよね」
 そうだっけか? 俺はいつでもほどほどに素直なつもりだが。
「嘘ばっかり」
 嘘じゃねーよ。その証拠に、こうやって毎年あの時の約束を守ってるじゃねーか。だいたいお前の方がよっぽど素直じゃないと思うぞ。
「あら、そうかしら?」
 そう言ってハルヒは俺の腕にからみついてくる。おい、歩きにくい、離れろ。
「ほら、やっぱりキョンの方が素直じゃないわよ」
 ……少なくとも歩きにくいっていう点については本音だからな。
「それくらい我慢しなさい!」
 はいはい、分かりましたよ、団長様。

 しかし、このハルヒの態度、俺がこれからしようとしていることが分かっているみたいだ。もしかしたら本当に分かっているのかもしれない。
 やっぱり止めようかという考えが頭を掠めたが、その誘惑を瞬時に追い払う。
 何度も言おうと思って、そのたびに先延ばしにしてきた。
 だが、大学も卒業して社会人になったんだ。もう逃げるのは止めよう。

「ちょっと座るか」
 タイミング良く空いたベンチを指さすと、ハルヒはそうね、と言って俺の腕を解放した。
 並んでベンチに腰掛け、しばらく黙ってひらひらと降ってくる桜を眺めていた。空は青く晴れ渡っていて、そよ風が心地よい。日差しを受けた桜の花は白に近いピンクで、微かに輝いているように見えた。
 俺は沈黙の中で6年前を振り返る。
 あの、ハルヒが桜の時間を止めてしまい、再び動かし始めた日から俺たちの関係はほんの少しだけ変わった。それはこの花の色のように白にほんのわずかに紅を溶かしたような変化であったのだが、確実に前日までの俺たちとは違っていた。いや、変化したのは俺だけで、もしかしたらハルヒは最初から変わっていなかったのか。
「どうしたの? 黙り込んじゃって」
 黙り込んでいたのは俺だけじゃないはずなんだが、それを指摘してもどうせろくでもない返事が返ってくるだけだ。そんな無駄な会話をするくらいなら俺は言うべきことを言ってやる。

「ハルヒ」
「なに?」
 別になにかを期待しているわけでもない、ただ俺の言葉が続くのを待っている。いざとなると言葉ってのはなかなか出てこないもんだな。でも言い出しちまった以上、今更引っ込めることは出来ない。
「6年前、毎年桜を一緒に見ようって約束したけどな」
 今になって「実は2年分しか約束してねーよ」なんて言う気はサラサラない。言ったところでもうすでに6年が経過していて、じゃあ残りの4年はサービスで付き合っていたのかというとそんなつもりもまったくない。2年だとか6年だとかの期間はすでにハルヒによって無期限に延長されているわけで、そしてその延長すら俺にとっては意味がないってことにとっくの昔に気がついていた。
 ハルヒは少し怪訝そうに顔をしかめた。大方「こいつは何を言い出す気よ」とでも思っているのだろう。
「俺は桜だけじゃなくて、夏の海でも秋の紅葉でも、冬の雪だって毎年お前と見ていたい」
 別にわざわざ見に行く景色だけじゃない。例えば毎日の行き帰りに路傍で自己主張もせずに咲いている名前も知らない花でも、この街の背景にそびえている山が季節ごとに衣替えをする様でも、何でもいい。
「これからずっと、お前の隣に立ってお前と同じ物を一緒に見ていたいんだ」
 黙って俺を見つめるハルヒの瞳に星団1つ分ほどの輝きが増したように思えた。だんだん恥ずかしくなってきて目をそらしたい衝動を必死になって抑え込む。ここで目をそらしたら負けだ。何に負けてるのかはよく分からないが、きっとちゃんと顔を見て言わないと一生後悔しそうな気がする。未来の俺から罵声を浴びせられるのは勘弁願いたい。

「ハルヒ」
 まだ何も言わないハルヒの名を、もう一度呼んだ。返事はない。
 そういや俺はこいつが最初に、ここの桜にあくまでも無意識に無茶を要求したその少し前には、こいつを殴ろうかと思うくらい腹を立てていたよな。あのころは無秩序無意味な暴走を繰り返すだけの爆弾女だと思っていた。それでも根拠のない自信と意味のない行動力でもって俺を振り回していることに、俺はある種の満足感を抱いてはいなかったか。
 結局、いつだって俺はこいつと同じ物を見ていたのかもしれない。だとしたらさっきの俺の発言はどんだけ今更なんだよ。
 まあ、過去のことは置いておこう。後でいくらでも振り返ればいい。
 今重要なのは未来のことなんだから。

「だから、俺と────」

 俺はようやく覚悟を決めた。

「結婚して欲しい」

 言った瞬間が限界。
 俺は視線をハルヒから正面に戻した。急激に顔に熱が帯びてくるのを自覚する。

 ハルヒはなおも無言を貫いていて、実は今俺の隣にいるのはハルヒの変装をした長門なのではないかとまで疑ってしまう。だが、まだ俺はハルヒを見ることが出来ず、結果として2人で無言で座っているしかなかった。何だか我慢大会の気分になってきたな。
 いい加減に我慢比べに耐えられそうになくなってきたとき、それまでそよ風としか言えないような微風が、突如として強風に豹変した。

 それはハルヒの返事の代わりだったのかもしれない。
 
 突然の風は当たり前のように桜の花から花弁を奪い空中へとまきあげ、あの時の再現かと見まごうばかりの花吹雪を演出したのだから。
 もちろんあの時のように玉手箱を開けられたわけではなく、舞い散る花びらだって圧倒的に6年前の方が多かったはずだ。
 それなのに、

「不思議……。あの時の方が凄かったはずなのに、あの時より綺麗に見えるわ」
「ああ、そうだな」

 気持ちの問題、と言われればそれまでなんだろう。だが、それだけではないと思えるね。なぜならようやくハルヒの方を向いて、俺を見つめるハルヒの視線を捉えたとき、俺の目に映ったハルヒもまた今まで見た中で一番綺麗だったのだから。

「返事……聞かせてくれるか」
「そんなの最初から決まってるわよ」

 それだけ言うとハルヒは顔を近づけて来て……俺は慌てて目を閉じた。
 ここが桜の名所であって、そこら中に花見客がいることなんて今はどうでも良かった。

 触れあう唇が、ハルヒの答え。
 舞い散る桜が、気持ちの証。


 いつか今日のこともまた思い出になって、ふと振り返ることがあるだろう。
 そのときには、やっぱり隣にハルヒがいて、ハルヒだけじゃなく、ハルヒか俺に似たチビも一緒にこの桜を見上げているかもしれない。

 そうなっていたらいいと思う。
 ハルヒだって、たまには俺の願望も叶えてくれるよな。


  おしまい。