2度目の悪夢 その1
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    おまけ

 何故こんなことになってしまったのか。それは3日前の放課後、文芸部室で始まった。

「今年のゴールデンウィークはまとまった休みって気がしないわよね」
 去年みどりの日から昭和の日に変わった休日をSOS団の探索とやらもなくのんびりと過ごした翌日、カレンダーとにらめっこしながら不服そうにハルヒは言った。確かに今年は29日が土日と絡んでいないので、連休は後半の4連休のみである。しかし4連休もあるだけマシじゃないのか?
「中途半端なのよ。どうせなら一週間丸々休みにすべきよね。どうして5月1日を休みにしないのかしら?」
 確かにそうすりゃ30日と2日が自動的に「国民の休日」とやらになるわけで、勝手に29日から5日までのスーパー連休のできあがりだ。もっと言えばこれに土日が絡まないことはあり得ず、連休はもう少し伸びる。是非ともそうして貰いたいものだ。
 ハルヒもそう思っているのにカレンダーがそのままってことは、こいつも半ば諦めて受け入れてるってことか。
「ま、でも確かに4日も休みがあれば何か出来るわよね」
 また何かたくらみやがったが、あいにく俺は参加できないぞ。毎年ゴールデンウィークは従兄弟連中と顔を合わすのが我が家の恒例であって、俺は妹を親戚の家まで連れて行くという重大な使命を帯びているのだ。
 そう言う俺をジロリと睨むと、ハルヒはまたカレンダーとにらめっこを始めた。
「4日間とも行くの?」
 そう聞いてくる声は不機嫌そうだ。仕方ないだろ、毎年の恒例行事なんだから。
「そうね……。妹ちゃんも行くんだし、仕方ないわよね」
 正直言ってハルヒは俺がなんといおうと強行するんじゃないかと思ったんだが、驚いたことに不機嫌ながらも俺の意見を認めてくれたようだ。今日は5月だってのに雪でも降るんじゃないのか。
 しかしかえって落ち着かないな。ハルヒは不機嫌というよりは元気がないと言った方がいい表情でパソコンを弄りだし、なぜか古泉がしきりにアイコンタクトを送ってくる。もちろん無視だ。

 そう、別に古泉なんかどうでもいい。ただ、妙に元気のないハルヒってのが不気味なだけだ。
「まあ、妹を親戚の家に連れて行くのは親も行くから問題ないわけだ。俺はあとから顔を見せればいい……と思う」
 ニヤニヤするんじゃねえ、古泉。
 ハルヒは俺の言葉を聞いたとたん、それまでの顔が嘘みたいに笑顔に変わった。
「じゃ、3日からSOS団の合宿を行います! 本当は6日まで合宿にしたかったけど仕方ないわ。1泊2日で我慢してあげるから、残りは親戚の家でもどこでも好きに行きなさい!」

 相変わらず古泉は一見静かに微笑みをたたえ、朝比奈さんは少し驚いた顔をしてハルヒを眺め、長門は本から顔すら上げない。今さら誰か反論しろなんて言わないさ。
「何ニヤニヤしてるのよ」
 別ににやついているつもりはなかったのだが、どうやらそう指摘されると言うことは笑ってたようだ。無理もない。ハルヒが俺の予定を優先してくれるとは思っても見なかったからな。去年の今頃はまだ俺と会話なんか成立しちゃいなかったことを思い出すと、なおさら感慨深いものがあるというものだ。
 1泊2日の合宿の後、親戚宅訪問。俺のゴールデンウィーク後半の予定はそう書き込まれ、少々忙しいが、なに、たかが1泊2日で殺人事件が起こるわけもない、俺はそう楽観していた。
 1年間、ハルヒやSOS団の連中と付き合ってたというのに俺の学習能力のなさと言ったら呆れるくらいだ。
 心底思う。
 何が何でもやめときゃよかった、と。

「で、どこに行くんだよ。今から予約なんてどこもいっぱいだろ」
「心配しなくてもいいわよ、予約なんか必要ないんだから」
「必要ない? どこに行く気だ」
 また多丸氏の別荘とか言うんじゃないだろうな。それなら移動だけで随分時間が取られるから、1泊2日じゃ何も出来ないぞ。
「違うわよ、バカね。もっと近場よ!」
 近場? 近場で予約が要らないところって……。
「裏山の山系を走破するわよ! 西から東まで!」
 はい?
「だから、全山縦走よ! 上手く行けば遭難して冬眠なんて体験が出来るかもしれないわ!」
 某市の職員が学校の裏山に当たる場所で遭難した挙げ句冬眠したのは秋だぞ、確か10月だ。暖かくなってくるこれから冬眠なんておかしいにもほどがあるだろ。そもそも「上手く行けば遭難」て最初からそれが目的なのかよ。てかなんだよ全山縦走って。SOS団はいつから山岳部になったんだよ。
「何言ってんの、SOS団はSOS団よ! だいたいあのあたりってスカイフィッシュが目撃されたって言うし、きっと何かあるわよ!」
 ねーよ。てかスカイフィッシュが流行ったのは何年前だ。お前は本当に高校生か。
 何でまた山登りなんて思いつきやがったのかはわからんが、ハルヒの思いつきに意味や理由を求めるほど俺は学習能力がないわけではない。
「じゃ、行くわよ、キョン」
 どこに。つーか聞けよ。
「山岳部よ! テントとか調理道具とか、色々道具借りなきゃ行けないじゃない! 何か余ってるでしょ!」
 まて、山岳部だってゴールデンウィークはどっか行くんじゃないのか? だったら道具は使うだろ、普通。
「そんなのあたしの知ったこっちゃないわよ! いいから行く!」
 そう言うが早いか俺の手を掴んで歩き出すのも恒例。おい、古泉、笑って見てるんじゃねえ。朝比奈さんも……いえ、止めるなんてできっこないのは分かりますが何故微笑んで見送ってらっしゃるのですか。長門、本から顔も上げないのはいつものことだがたまにはこの暴走女を止めてくれ。

 結果として山岳部の連中はとても人がいい、と言わざるを得ない。
 ハルヒが山岳部の部室を強襲して備品をくれ(貸してくれ、ではなくコンピ研のときのように頂戴、と言ってのけやがった)と言ったのにはさすがに驚いたらしいが、目的を聞くと使っていないシュラフや裏山山系の地図やコンパス、それに自分たちが全山縦走を行ったときの計画書まで貸し出してくれた挙げ句、素人の山歩きに対する注意事項を細々と話してくれた。テントに関しては余分がないことと、何より装備がかさばる一番の原因になるので、テント設営済みのキャンプ場があるからそこに宿泊した方がいいと助言してくれた。
 ん? だったら結局予約がいるんじゃないのか。
「寂れてるからね。問題ないよ」
 どんなところか不安になってきたな。
 山岳部の部長さんはむしろ山の魅力を分かち合えそうな仲間が増えてくれると嬉しいと思っているらしく、見所や宿泊ポイントなどを一生懸命語ってくれた。彼らも毎年、新入部員歓迎として裏山全山縦走を敢行しているらしい。本来、早朝に出て1日で完走するらしいが、山岳部も慣れない新入部員のためにあえて1泊で計画しているとのことだ。ハルヒは当然聞いちゃいなかったけどな。
 他の暇そうな部員にザイルの結び方を訊くのはいいが、部室の壁にハーケンを打ち込もうとしたのは俺が止めた。何をしに来たんだ、お前は。
 山岳部の人たちにいとまを告げたとき、部長さんは俺を引き留めて最後の忠告をしてくれた。
「山歩きで大事なのは、中止する勇気だよ。いざとなったら明るいうちに下山するのも勇気だ。強行突破しようとすると必ず痛い目に遭う。とくにまともに山に入るのが初めてならなおさらだ。裏山は毎日見ているとは言え、毎年遭難者が出ている山だから舐めてかからないように」
 肝には銘じておきますが、果たして強行突破の具現化とも言えるハルヒを阻止できるかどうか、俺は設楽原の決戦を前にした武田4名臣の気持ちになりそうだ。うん、まったく自信がない。




 さて、山岳部から借りた地図やら計画書を開いてみた俺は、正直眩暈がしたね。
「おい、ハルヒ」
「なに?」
「お前、この計画書見たのか? 全行程56km、高低差合計3000mて、素人が簡単に行けるレベルじゃねーだろ」
 正直、いくら毎日ハイキングコースを歩いている身であっても走破する自信なんかない。俺がないんだから朝比奈さんなんて途中で倒れてしまわれるんじゃないだろうか。
「なに行く前から弱音吐いてるのよ。行けば何とかなるわよ!」
 ならねーよ。
 計画なんてものは行けば何とかなるなんて言いやがるハルヒの頭の中に脳細胞1つ分も考えている訳もなく、ここであらかじめ慣れない山歩きを想定して計画を立てたり借りてもまだ足りない備品をそろえたりする仕事は当然俺と古泉、ということになる。
 というわけで、ゴールデンウィークの中休み、というのもおかしな話だが、つまり休みでない間、俺と古泉は山歩きの準備に奔走することとなってしまったわけだ。おい、重い荷物はお前が持てよ、ハルヒ。俺は知らないからな。

 そうやって準備をしていた前日、食料品の買い出しを買って出たハルヒが朝比奈さんをひきつれて出て行き、それを見送るや否や長門が突然話しかけてきた。
「気をつけて」
 何の前置きもありゃしない。気をつけるって何に、だ。
「登山」
 そりゃ登山は色々気をつけなきゃならんだろうが、長門が言うからにはそういうことじゃないだろ。何かあるのか。
 そう聞く俺に長門はわずかにうなずくことで答えた。だから何が。
「亜空間次元断層が存在する。詳細は不明」
 またわけの分からない話が降りかかってきたな。なんだって? 次元断層? これについては古泉の方が詳しいんじゃないのか? 確か閉鎖空間ってのはその辺に出来るとか言ってなかったか。
「確かに閉鎖空間は次元断層の隙間とも言うべき場所に発生します。しかし、次元断層や亜空間については僕は素人同然ですよ。特に亜空間は、始めから我々の住む世界の物理法則は破壊されていると言っていいでしょうから」
 それだけ分かってりゃ充分だろ。て、始めから物理法則が破壊されているって、だったら俺たちが必死にハルヒから隠している事実がばれても問題ないんじゃ?
「我々がいるこの時空間には、この時空間の物理法則があります。すべての時空間で通用する物理法則というものがあるのか、それとも何かしらの変換を行えば他時空間の物理法則になり得るのか僕にはわかりません。我々の“外の世界”のことは、行ってみないとわかりませんから」
 何やらSF的な話になってきたな。そういやSFなんだっけ?
 それはともかく、つまりこの山行きは何やら雲行きが怪しくなってきたようだ。どうせなら本当に雲行きが怪しくなって雨でも降れば中止になるものを。


 雨乞いが出来るものならしたかったが、俺にそんな才があるわけもなく、よく考えたら祈雨の儀式なんてものは結局山の上でやることが多いんじゃないかと思うと山登り自体を止めさせる意味もあまり無くなるわけで、しかも確か天気を無理に変えると惑星の生態系に影響を及ぼしかねないとか長門が言っていたことを考えても結論として無駄だということになる。
 結局、全山縦走決行の当日は腹が立つほどに快晴であった。
 朝の7時なんて無駄に早い時間に北口集合となった俺たちは、ここからスタート地点まで電車で移動する。ゴール地点はどちらかと言うとこちら側で、実際は北部に隣接する歌劇で有名な街になる。そこからまた電車で北口まで帰ってくるわけだ。何だか物凄く無駄な移動をする気分になるな。
 服装は山岳部の連中にある程度訊いていたのでさすがにジーンズをはいてくる奴はいなかった。
 いなかったのだが……。
「長門」
「……」
 無言の返事。
「お前はその格好で登山するのか」
 そう、長門はまったくいつもと変わらない格好、つまり制服だ。靴までいつも通りだよ。それで登山なんか……できるんだろうな、長門なら。
「もう有希ったら! そんな格好で山登りなんか出来るわけないじゃない!」
 早速割って入ってきた団長に文句つけられるが、長門は当然顔色なんか変化するわけもなく
「へいき」
 と一言。しかしそれで引き下がるハルヒではない。
「もう、怪我したらどうするのよ! 危ないわよ!」
「問題ない」
「大ありよ」
 長門とハルヒが言い争うという希有な場面を見られたわけだが、今はそんなことをしている暇はない。第一今から服や靴を買いに行こうにも店なんか開いちゃいないのだから諦めるしかない。
「ハルヒ」
 俺が止めるしかないんだろうな、やっぱり。
「長門は自分のことは自分で責任持てるさ。その長門が大丈夫と言うなら、大丈夫なんだろ」
「でも、やっぱり……」
「問題ない」
 長門はもう一度言った。ハルヒはしばらく長門の顔を眺めていたが、
「わかったわよ。でも怪我したら承知しないわよ!」
 とようやく納得したらしい。やれやれ、出発前からこれじゃ先が思いやられるな。
 俺は溜息を吐いて電車に乗るべく駅へと向かった。そういやこの電車、昔はスタート地点まで直接乗り入れてたってのにいつの間にやめたんだ?

 さて、本番である。
 心配していたようなことは何事もなく、ペースが遅い他は割にあっさり進むことができた。ペースが遅い最大の理由は朝比奈さんであるが、俺もかなり足手まといになっていることを自覚している。何せ背負っている荷物はおそらく7kg程度、登山としては相当軽量の部類に入るらしいが、山歩きなんて慣れているわけもない俺がこんな荷物と共にハイペースで歩けるわけもない。
「だらしないわね、ほらもっと早く歩きなさいよ!」
 何故か文書でもなければたいした主張とも思えない檄を飛ばす団長様は、当然俺より軽い荷物しか持っていないわけだ。くそ、お前に一番重い荷物持たせようと思ったのに、それは古泉が持っている。その古泉は俺より苦労せずに歩いているようにしか見えず、何だか俺立場ないな。
 さて、登山の描写はもういいだろう。朝比奈さんがおっかなびっくり「ひぇ?」などと言いながら歩くのを長門とハルヒがサポートし、俺と古泉はその後ろを黙々と歩いていただけだったからな。さすがの古泉も、大荷物を抱えて山道を歩きながら、いつもの饒舌ぶりを発揮することは出来なかったらしい。
 そう、初日は何事もなく過ぎていった。朝比奈さんの弁当は旨かったし、晩飯は簡易食ではあったが腹は膨れたし、疲れた身体は慣れないシュラフをものともせずに睡眠を要求した。
 あまりに何事もなく、ついでに筋肉痛にも見舞われていた俺は、長門の忠告なんか半分意識のうちからいつの間にか追いやってしまっていたらしい。

 俺たちはいつの間にか“それ”に近づいていたというのに。